デーモンの肖像(中編小説7)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2025年5月16日】ある日、男の不在中に出かけた町の闘牛場で、勇敢との誉れ高い美貌のマタドール(闘牛士)を撮って帰った私が、家で現像していると、外に華々しいブレーキ音が響いて、愛車のムスタングで遠出していた男が帰ってきた。

私は手を止めて、すぐに出迎える。派手なグリーンのアメ車の助手席から後部座席まで日本からの客人で埋まっていた。私は同胞を歓迎する意味でも、料理の腕をふるってもてなすことにした。常々男からフランス料理をマスターするように言い渡されていた私には、腕によりをかけて本格フレンチを振る舞う願ってもない機会だった。

照れ屋の男は通り一遍に私を紹介しただけて、私も出しゃばらず、もっぱらキッチンに引きこもっていた。自分の性格上、主立ったことは好まず、裏方に甘んじることに不満はなかった。が、リビングから漏れ聞こえる母国のニュースには、わくわくした。

男は、何やかやと集まって飲んで騒ぐのが好きで、それは寂しさの裏返しでもあり、異国に暮らしているせいもあったろう、たまに日本から友人や、画家仲間、評論家、記者連が訪ねてくると、大歓迎し、賑やかな酒宴になるのが常だった。

銀座の画廊のオーナーである芳賀社長とその夫人も、パリに支所を開設したのを機に、折々訪ねてくるようになっていた。社長代理で夫人のみが単身で訪ねたときは、男は進んでエスコート役を買って出ていた。

社長の年の離れた愛妻は日本人離れした容貌の華やかな美人で、長身美形の男とは釣り合いが取れた。パリの社交パーティーの席上でも、2人は外国人カップルに見劣りしないお似合いのペアだった。私はそんな2人に嫉妬を覚えないこともなかったが、夫人は若い私が彼のパートナーであることを認めてくれ、「ルイさんも、隅に置けないわね、こんな可愛らしい人とちゃっかり」と、甘く睨みつけ、揶揄するのだった。シャイな男は顔を赤らめ小さくなっていた。

芳賀に目をかけられているのをいいことに、男は懐が寂しくなると厚かましく無心、原稿用紙何枚にも及ぶ長い手紙を送りつけ、前借りの所望を臆面もなくするのだった。一度なんかは、社長自らが500万円という分厚い札束を抱えて来仏したことすらあった。

借金返済のため、個展で展示する作品を同時進行で何点も進め、どうやらこうやら精算するのだが、時を経ずしてまた借入れと悪循環、私は毎月の家賃が払えるかどうか、ハラハラし通しだった。

その上、男は、自分が居室中は、私がどこにも出かけず家内にとどまることを望んだ。呼ばれたらすぐに飛んでいかないと、機嫌を損ねるのである。絵が描き上がると、大声でよわばって、見に来いと強要する。急いでアトリエに駆けつけ、好き嫌いを問わず、どんな作品であろうとも、まず褒めなくてはならない

「どうや、この虫歯のじいさん、よう描けとるやろ」
私は、顎に巻き付けた白いタオルを頭上に吊り上げながら、鏡に自身を写して絵筆を振るった経緯を知っているだけに、村人に投影された自画像に改めて感に入る。
「ほんとよく描けているわ。でも、次の帰国時には、虫歯を治さなきゃね」
男はきまり悪げな顔つきになって、
「紹介してもろた歯科医がおるから、短期でやっつけてもらうつもりや。人生は道化、とうそぶくおもろい奴ちゃで、気が合いそうや」
とうそぶくのだった。

人生は道化、それはまさに、河宰類の作品のテーマでもあり、男の生き方そのものでもあった。私と今こうしてスペインの小さな村で同居していることも結局は、茶番にすぎないのだろうか、そう思うと、少し寂しくなる。

やがて、男はちょっと言い淀んだあとで、
「あのな、お前が撮った闘牛士の写真のことやけどな」
と切り出した。私はとっさに後を引き継ぐ。
「あぁ、あれ、なかなかよく撮れてるでしょう」

男はぶすっと苦虫を噛み潰したような顔つきをしている。鈍感な私は、その心情を解せず、さらに続けた。
「マタドールは勇敢にも、獰猛に歯向かう牡牛の前にムレタ(赤布)を翻し、射止めたのよ。生死を賭けた一瞬を、シャッターチャンスを逃さず捉えたの」

あの場の熱狂と興奮を思い出すと、今でも体が熱くなるようだった。やっと、男が応じた。
「若くて美男で、惚れ惚れするようなええ男やなぁ」
「ええ。今、若手で最も注目されているマタドールで、飛び切りハンサムだから、若い女性が放っておかないのよ。ルックスだけでなく、怖いもの知らずの大胆さ、死をも恐れぬ勇敢さがファンを熱狂させるのよ」
「アンナもぞっこんてわけや」
「私はあくまで観察者よ。華麗なマタドールのマグマのように噴き上げるパッションを、フィルムに焼き付けたつもりよ。素材としては最高だわ」
「それって、僕よりもか」
「えっ?」
「お願いやから、これからはもう、僕以外の男を撮らんでくれんか」

懇願する相棒に、さすがに私は唖然とする。確かに私は男を撮ることを、ライフワークと定め、覚悟して河宰類との生活の一歩に踏み出したのだが、それにしたって、類以外の男性を撮るなとは、なんとも理不尽で馬鹿げた要求に思えた。子供じみた嫉妬といえなくもない。自分のみに集中して欲しいとの甘ったれた欲求に呆れながらも、私はあえて胸のうちに燻るもやもやしたものを呑み込むと、頷いた。
「わかったわ」

助手のように影となって寄り添う若い同居人には、口答えは許されない。崇敬する天才画家がそれを求めるなら、理不尽であろうともしかたあるまい。河宰類は私が愛した芸術家のみならず、蠱惑的な一個の男性でもあるのだから。

私は世界を飛び回る冒険家の大胆さの一方で、好きな男に尽くす古風な女の一面も持ち合わせ、それは日本人の母から受け継いださがかもしれなかった。母はロシア人の白皙碧眼の美丈夫だった父に青春を捧げ尽くしたのだ。

が、そのことで私はかえって、覚悟が定まったような気がした。これからは、彼一筋、河宰類だけを撮っていく、それがわが写真家としての使命なのだ。男が高名になればなるほど、私が影のように寄り添い撮った、公私共のイメージは、見る者の想像を掻き立て、刺激するだろう。

この画家はこんな風にしてキャンバスに向かったんだ、私生活ではこんな風だったんだ、美男で洒落ものだけに、被写体としては願ってもない、ファンは男の厳格な創作姿勢の一方で、私生活では温かみのあるユーモアや、人間らしい一面も垣間見て、芸術家を身近に感じ、よりよく理解する手立てになろう。

私はあくまで黒子なのだ。彼の影像を切り取ってフィルムの中に焼き付け、あぶりだす。その中から滲み出てくるもの、リアリズム、写実の中からそれぞれに感応し見えてくるもの、撮り手の主観で感情移入しないよう、見たままありのままを撮るようにしていたが、その一方で、結局は安奈ベレフキンの作品、アンナが撮った、同居人にしか撮れない画家の素顔、個性は如実に出るだろう。

私はその時点では、一回り以上年上のひと癖もふた癖もある画家との異国での生活に踏み出したことに悔いはなかったし、私の写真家としての技能は彼のみに捧げようと真剣に思っていた。すなわち、彼の題材となるモチーフの撮影や、画家である彼自身の創作風景、愛犬や村人と戯れる私生活、日本の友人たちとの交流、パリや銀座を始め、ニューヨークなど世界各地の個展風景、そして全作品の正確で丁寧なフィルムへの焼き付け、画文集になくてはならない写真作品のブラッシュアップだ。

が、後年、そうした私の覚悟さえ揺るがすような、連れ合い相棒の凄絶な狂気に苦しめられる修羅場が待ち受けていようとは予想だにしなかった(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)。