毛利臣男の葬儀しめやかに、100人超が悼む

【銀座新聞ニュース=2022年10月19日】10月9日に亡くなられた毛利臣男さんの葬儀告別式が10月17日に代々幡斎場(渋谷区西原2-42-1、03-3466-1006)でしめやかに催された。

10月17日に営まれた毛利臣男さんの葬儀告別式に飾られた花の数々。歌舞伎界で知られただけあって、歌舞伎役者の供花が目についた。

当日は親族、関係者などおよそ100人が出席し、毛利臣男さんの早すぎる死を悼んだ。代々幡斎場は8月に三宅一生の葬儀が営まれたところでもあった。

毛利臣男さんは10月6日夜、家の近くに食事に出たところ、財布がなくなっているのに気づいて、近くの交番に「財布を奪われた」と届け出た。その際に、交番の入り口の段差で転んで、頸椎などを激しく損傷し、交番が救急車を呼び、そのまま「国立国際医療研究センター病院」(新宿区戸山1-21-1)に入院した。当初は安静にしていたが、9日午前に症状が急変し、そのまま亡くなった。享年79。

毛利臣男さんは1971年から三宅一生(1938-2022年8月5日)のアートディレクターを務め、1973年に三宅一生と一緒にパリコレに参加し、その際にモデルとして山口小夜子(1949-2007)も同行した。ファッションは三宅一生が担当し、毛利臣男さんはアートディレクターとして、山口小夜子らモデルの演出などを手がけた。その後も、3人でパリコレに参加し、時には、演出の一環として舞台上から観客席に向けて水を撒いたこともあったという。

1986年からは市川猿之助さん(現3代目市川猿翁)が主演した「スーパー歌舞伎」全作の舞台装置と衣裳デザインを手がけた。その第一弾が「ヤマトタケル」で、1989年に「リュウオー・龍王」、1991年に「オグリ・小栗判官」、1993年に「八犬伝」、1996年に「カグヤ」、1997年に「オオクニヌシ」、1999年に「新・三国志」、2001年に「新・三国志Ⅱ・孔明篇」、2003年に「新・三国志Ⅲ・完結篇」、2008年に「新・水滸伝」が舞台化され、全作の衣装を毛利臣男さんがデザインした。