遠距離受講二転三転し、ついに横浜教室3期目突入へ(168-3)

(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2025年10月10日】だいぶ間が空いたが、石川県金沢市在住の私が4月から通っている、小説教室(講師は根本昌夫=末尾参照、会場横浜ルミネ8階)についてのリポート第3回をお届けする(この教室についての詳細は第1回 https://ginzanews.net/?page_id=72558、第2回https://ginzanews.net/?page_id=72787を参照)。

授業前の根本教室(横浜小説実作教室)の室内(横浜ルミネ8階)。

朝日カルチャーセンターが主催する小説家志望者に人気のクラス(これまで受講生から3人の芥川賞作家を輩出)はワンクールが3カ月6回で、4月(春季)から始めた私は夜行バス往復の遠距離受講、7月(夏季)からの2期目も継続し、10回まではヘロヘロになりながらも皆勤した。

が、2週間ごとの小説作品提出(任意だが、私は毎回提出)と往復夜行による日帰り受講の疲労とストレスが溜まり、折柄の猛暑も加わってダウン、11回目(9月2日)は自主休講を余儀なくされた。

無理すれば、行けないこともなかったのだが、ここらでひと息入れないと、あとが続かないと、悲鳴をあげている体を休ませてあげることにしたのだ。で、前回、提出した力作長編の合評は、2期目最後の授業(9月16日)に回されることになったわけだが、その3日前、事務局から突然、休講との電話連絡が入った。どうやら、先生のお加減が優れないらしい。

慌てて、チケットをキャンセルしたが、そんなこんなで9月の2回分は休講と相成り、2期目(夏季)は4回のみで終わってしまった(講師の休講分は返金)。そして、3期目(秋季)の10月まで、50日という長い休みをいただくことになった。

この間、3期目も続けるかどうか、悩みあぐね、ギリギリまで迷いに迷った。一番のネックはいうまでもなく、距離の問題である。夜行バス往復による日帰り受講はなんといっても、年配の私にはきつすぎる。2週間ごとの10回でダウンしてしまったし(夏バテと風邪のダブルパンチ)、この辺りが体力の限界かと、気持ちはやめる方向に傾き始めていた。

簡易テーブルの上にずらりと乗せられた受講生が提出した作品群のコピー。各自1部ずつ持ち帰り、次回のクラスまでに読了し、批評を公表できるよう書き留めておくのが課題。メインは2週間ごとの自作提出(任意)で読み書きの2輪の柱。

が、提出作品の合評中心に進められる授業は魅力的で、多々学ぶべきものがあるし、間引き(自主休講)して、何とか続けられないものかと翻意の気持ちも湧きあがってきた。そもそもは3カ月だけのつもりで始めたのが、思いのほか、ハマってしまった。こうなっては、横浜とは言わないまでも、都内在住でないことを恨むのみだ。

ところか、お加減が優れないと聞いていた先生が実は転倒事故で骨折していたことが判明し、ここで事態は急展開を見せた。担当者の話では、次期はワンクールすべて休講の可能性もあるとのこと、私の側で決めなくても、向こうから思わぬ形で結論がもたらされたのである。

もう金沢から通わなくてもいいと思うと、ほっとする反面、拍子抜け、まだ2作合評してもらってない拙作があるのが心残りだし、そうと知っていたら音を上げずに、もっと身を入れて集中すればよかったとの悔いも・・・。早朝横浜着、夕刻まで周辺観光で潰すわけだが、肝心の授業が始まる頃には、疲れと寝不足で頭がぼわんとして働かなかったのだ。事後の飲み会にももう1回出席して、個人的なお話がしたかったとの後悔しきり、今更ながら自分が根本クラスに執着し、未練タラタラなのを思い知らされた。

横浜教室には2、3年続けている受講生はざらで、新宿教室だとそれ以上の猛者もいるらしいが、この思いがけない事態にはさぞかし戸惑いと失望を覚えているだろうと推測された。長く受けている人は指導者への敬慕の念からも憂慮しているだろう。が、頼りにしていた師に半ば放り出されたも同然、やむを得ない事態とはいえ、愕然と気落ちしていることは想像された。おそらく、先生の元には、安否を気遣う見舞いメールが殺到しているだろう。

開講(18時30分から2時間)30分前ぐらいから、ぼちぼちと受講生(25人から30人)が集まり出す。

何年も続けていると、どうしても依存心が出てくるし、私自身は適度なところで切り上げて、また独りで格闘する孤独な時間に戻るつもりでいたのだが、思わぬ展開に唖然となったことは言うまでもない。が、受講生から3人も芥川賞作家が出た、超人気のクラスを10回だけでも受けられたことを、ラッキーだと思い、書いていく上でいい経験をしたことに感謝し、卒業することにした、はずだった。

あにはからんや、事態は二転三転し、その翌日、事務局からメールが届いた。10月からのクラスは予定通り開講とのこと、半信半疑で電話確認すると、先生のお怪我次第で100%の確証はできないが、ご本人とも電話で話し合っての決定と言う。歩行されるのに問題はないのかと心配になったが、歩けるらしい。

9月8日以降休講を余儀なくされていたのが、ひと月という異例の速さでの復帰には、驚かされた。頼りにして待っていてくれる大勢の生徒に対する責任感と義務からも、安穏と寝込んでいられないのだろう。腰部骨折という決して軽くはない怪我を押しての再開とあっては、受講生としては、ありがたく受け入れるしかないではないか。というわけて、さんざん迷った挙句の、思いがけない成り行きで、多分に外部要因にそそのかされた形での、継続と相成った次第だ。

早速10月6・7日の往復バスの予約をしたが、3期目は、肩の力を抜いて、リラックスして楽しみながら受講出来れば、と思っている。提出作品も、1・2期の私小説(純文学)より、エンタメ中心、ファンタジーや幻想小説にもトライしてみたい。江戸の加賀(石川県)が舞台の時代物ファンタジー(400枚以上の未発表作品)のストックもあり、ゲームよろしく当たりを狙って、小説家志望の小説愛好家の賞賛を勝ち取るべく策をめぐらしている。

ちなみに、拙作のこれまでの評価は、賛否両論、絶賛されたかと思うと、貶されたりと、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しく、先生からは厳しい評を賜ることが多いが、飲み会の席で、ある程度のレベルまで達している人には、厳しくしなければならないと言われた。そのくせ、受け持ちゼミの学生の作品には甘い評価、書き始めの若い時に厳しくすれば、芽を摘んでしまうからだろうが。今、500枚の連作長編を書けと、ハッパをかけられているところである。

※根本昌夫のプロフィール
(文芸編集者・元「海燕」と「野性時代」編集長)。
1953年福島県生まれ、早稲田大学在学中から早稲田文学編集室のスタッフとして活動。文芸誌「作品」(「海燕」の前身)や「海燕」(ベネッセコーポレーション)編集長、「野性時代」(角川書店)編集長などを歴任。

島田雅彦、吉本ばなな、小川洋子、佐伯一麦、小林恭二らを「海燕」新人賞からデビューさせるなど新人作家の発掘、育成には定評があり、現在は11の講座で、学生や一般の人に小説についてレクチャーをしている。純文学からSF、ホラー・ミステリーまで幅広い人脈を持つ。著書に「〔実践〕小説教室ー伝える、揺さぶる基本メソッド」(河出書房新社)。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。