【銀座新聞ニュース=2026年2月14日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2月18日から24日まで3階ギャラリーで「MASTERS of ART-ピカソ シャガール 小磯良平から現代人気作家まで」を開く。

丸善・日本橋店で2月18日から24日まで開かれる「MASTERS of ART-ピカソ シャガール 小磯良平から現代人気作家まで」に出品されるピカソの「窓の外を見つめる女」(リノカット、1959年)。
19世紀に写真が登場すると、それまでの伝統に沿った絵画では写真に対抗できないと考える画家たちが現れるが、そうした中で絵画だけではなく、版画や彫刻、陶器まで精力的に制作したのが没後53年となる、スペイン出身でフランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家のパブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)だ。
今回はピカソをはじめ、近代日本の洋画家を代表する小磯良平(1903-1988)を中心に、没後41年となるロシア出身のユダヤ系フランス人画家・マルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)、横山大観(1868-1958)ら国内外の巨匠の作品に加え、現代に活躍する作家の新作絵画など約50点を展示販売する。
また、今回はピカソと小磯良平がそれぞれ取り組んだオリジナル版画にスポットを当て、その魅力の違いも楽しめる企画としている。
出品するのは、ピカソ、シャガール、小磯良平、横山大観のほかに、フランスの画家、ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet、1928-1999)、アンニュイな女性、森にたたずむパリジェンヌ、海に浮かぶヨットなどの絵で知られるフランス人画家のジャン・ピエール・カシニョール(Jean Pierre Cassigneul、1935年生まれ)さん、フランスの画家、ベルナール・カトラン(Bernard Cathelin、1919-2004) 。
幻想的な女性像で知られる洋画家の東郷青児(1897-1978)、バラの絵で知られる中川一政(かずまさ、1893-1991)、原色を多用し、絵具を擦り付けた、力強い筆致の重厚な画風で知られる洋画家の森田茂(1907-2009)、熊本県の崇城(そうじょう)大学名誉教授で、身近な風景、静物、少年時代の思い出などをフレスコ画で描くフレスコ画の第一人者、の有田巧さん(1952年生まれ)、独自の感性と透明感のある色彩で描かれた風景や花々で知られる洋画家の岡野博さん(1949年生まれ)。
フランスで独学で絵画を学び、自然と人間、詩情をテーマに描いている喜多尾ボンタン礼子さん(1950年生まれ)、日本画家の棚町宜弘(よしひろ)さん(1971年生まれ)、スペイン在住でヨーロッパの風景や花などで知られる長縄眞兒(しんじ)さん(1949年生まれ)、主に花と女性をモチーフに描いている福永明子さん(1968年生まれ)、自然の風景や動植物を描いた作品で知られる洋画家の松沢真紀さん(1982年生まれ)ら。
ウイキペディアによると、パブロ・ピカソは1881年10月25日スペイン南部アンダルシア地方のマラガ市生まれ、1895年にバルセロナに移り、美術学校に入学、入学制作を1日で完成させ、1897年にマドリードの国展で佳作、マラガの地方展で金賞、同年秋にマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学するも、中退し、プラド美術館に通い、名画を模写し、1899年にバルセロナで店のメニューをデザインしたり、アールヌーボー調のポスターを描いた。
1901年に雑誌「若い芸術」の編集に携わり、「青の時代」(1901年から1904年)の始まりとされ、1902年にパリに住み、1904年に「洗濯船」と名付けられたモンマルトルの建物に住み、「ばら色の時代」(1904年から1907年)のはじまり、1907年から1908年まで「アフリカ彫刻の時代」とされ、1912年にモンパルナスへ移り、1918年にロシアの将軍の娘で、貴族の血を引く、バレエダンサーのオルガ・コクローヴァ(Olga Khokhlova、1891-1955)と結婚、パリに移り、1918年から1925年まで「新古典主義の時代」に入り、1926年に「シュルレアリスムの時代」、1928年から彫刻に専心し、1930年にカーネギー賞を受賞した。
1932年にマリ・テレーズ・ヴァルテル(Marie-Therese Walter、1909-1977)と共同生活をはじめ、1936年に人民戦線政府の依頼によりプラド美術館長に就任、1937年に「ゲルニカの時代」とされ、1944年にパリ解放後最初のサロン・ドートンヌに80点の作品を特別展示、1946年にフランソワーズ・ジロー(Francoise Gilot、1921-2023)と共同生活、1954年にジャクリーヌ・ロック(Jacqueline Roque、1927-1986)と共同生活(後に結婚)した。
1968年に版画に専心、6カ月間で347点を制作、1970年にアヴィニョン法王庁で140点の新作油絵展、バルセロナにピカソ美術館を開館、1973年4月8日頃、南仏ニース近くにあるムージャンの自宅で肺水腫により死去した。
マルク・シャガールは1887年7月7日に帝政ロシア領ヴィテブスク(ヴィチェプスク、現ベラルーシ・ヴィーツェプスク)にて9人兄弟の長男として生まれた。1910年にパリに赴き、5年間滞在し、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。1915年に母が病死し、同年にベラ・ローゼンフェルト(Bella Rosenfeld、1895-1944)と結婚した。1917年の10月革命後のロシアでしばらく生活するが、1922年に故郷に見切りをつけ、ドイツ・ベルリンを経由して1923年にはふたたびパリへ戻った。
1941年に第2次世界大戦が勃発し、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命したが、妻のベラ・ローゼンフェルトは1944年にアメリカで病死した。1947年にパリへ戻り、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得した。1951年、彫刻制作を始め、1952年にユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキー(Valentina Brodsky、1905-1993)と再婚した。
1960年にエラスムス賞を受賞し、同年、当時のフランス共和国文化大臣のアンドレ・マルロー(Andre Malraux、1901-1976)がオペラ座の天井画をシャガールに依頼し、1964年に完成している。1966年に17点の連作「聖書のメッセージ」をフランス国家に寄贈し、マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、ニース市が土地を提供する形で、1973年にニース市に「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現国立マルク・シャガール美術館)が開館し、1985年3月28日に亡くなり、1966年から20年近く暮らした、ニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスの墓地に眠る。
小磯良平は1903年兵庫県神戸市生まれ、1928年に東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科を卒業、在学中の1925年に「兄妹」で帝展入選、1926年に「T嬢の像」で帝展特選、卒業後の1928年にフランスに留学、1936年に帰国、「新制作派協会」(現新制作協会)の結成に加わり、1938年から1年間、陸軍省嘱託の従軍画家として中国に渡り、帰国後戦争画を描いた。
1941年に群像画「娘子関を征く」(第1回芸術院賞)と「斉唱」を相次いで発表、群像を描くため精力的に戦争画に取り組むが、戦後は画集に収録しなかった。戦後は東京藝術大学教授を務め、定年退官後に、迎賓館(赤坂)大広間の壁画「絵画」と「音楽」を制作した。1992年に創設された「小磯良平大賞展」は国内最高賞金の公募展となっている。1979年に文化功労者、1982年に日本芸術院会員、1983年に文化勲章などを受賞している。1988年12月16日に肺炎のため死去した。享年85。
開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。入場は無料。