台湾の旅3日目、基隆を過ぎ、花蓮の壮大なタロコ渓谷へ(175-3)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2026年2月20日】だいぶん、間隔が空いてしまったが、台湾ルポの続編である(1回目は2025年11月7日掲載、2回目は12月2日掲載)。

台湾第2の港湾都市、基隆の国旗のたなびく海洋広場から仰ぐ、基隆タワー(19階建て)。

第1回は総論(旅程は2025年10月22日から29日まで)、第2回は台北から淡水、九分(正しくは「分」ににんべんがつく、きゅうふん、ジョウフェン)までの詳細を述べた台北から淡水、九分(正しくは「分」ににんべんがつく、きゅうふん、ジョウフェン)まで述べた(https://ginzanews.net/?page_id=73715、https://ginzanews.net/?page_id=73945)。

九分に1泊した翌朝、前夜、迷いに迷った道に出て、展望台スペースから、眼下の山や尾根に貼り付く村落、その向こうの海が曇天の下霞がかって見える眺望を愛でたり、周辺を散策したあと、今度は明るい中、迷わずに戻ってチェックアウト、迷路のような路地を進んで、車道に出、バス停に向かった。

ひとまずここから30分とかからない瑞芳(ルイファン、ずいほう)に移るつもりだった。瑞芳は列車で移動するのに便利な拠点と、ネットで調べてわかったからだ。宿は既に、大部屋の1ベッドを予約してあった。

瑞芳鉄道駅前で下車し、徒歩で行けるGolden House(ゴールデンハウス、1ベッド680元、1元は約5円)に、道を聞きながら向かった。駅前の車道を左折して直進、少し迷ったが、壁画の隣と言われた小さな宿を見つけ、荷物を預けてまた駅に戻り、台湾通の友人に薦められた基隆(キールン)へ。ひと駅乗り換えて40分ほど、降りたら何もなくて、おかしいなと思いつつしばらく歩いて戻ったが、回り込んだ反対側に出ると、賑やかな港町が開けていた。降り口を間違ったのである。

円筒形の本体に円弧形の屋根デザイン(鳥籠がモチーフ)がモダンな基隆駅。日本統治時代(1895年4月17日から1945年10月25日)の赤煉瓦旧舎から、近未来的で開放的な明るいイメージに刷新された(2015年)。

基隆は台湾の重要な港湾都市(人口は約36万人)で、海沿いにウッドデッキの海洋広場が開け、オブジェなども飾られ、散策にもってこい。船舶が並ぶ海面の向こうにはランドマークの基隆タワー(2023年12月にオープン、高さ58メートル、19階建て)が伸びあがり、モダンさも兼ね備えた大きな港町だった。

車の行き来が激しい大通りを挟んた向かいは商店街で、路地を入ればレトロな小店も。群衆でごった返す街中を漫歩、2時間ほど歩き回って、駅構内のスターバックスでカフェラテを飲んで、歩き疲れを癒した。

日本円にして650円と高く、店も狭かったが、大カップに入ったたっぷり2杯分のカフェラテはおいしく、そのうち端の席が空いたので移って、2時間近く粘った。異国の喫茶店で足の疲れを癒し、ぼんやりするのが私は大好きなのである。WiFiがあれば、繋ぐのだが、ないので、ただぼうっとして過ごす。スタバタイムも悪くなかった、基隆の半日観光だった。

夕刻に瑞芳駅に戻り、小さな感じのよい町中を宿まで歩き、チェックイン、3階の共有リビングはソファやテレビ、フリーのコーヒー・ティーバッグに、スナック菓子まであって、くつろげた。

夜間ライトアップした花蓮駅舎は、屋根が黄金の蓮と見紛う瀟洒でモダンなデザイン、2024年4月の地震からの復興と観光促進のためにリニューアルされたシンボルだ。

おいしい台湾菓子をポリポリ食べていると、台湾人と外国人の男性2人連れがやってきて、ビデオを観始めた。私も仲間入り、スリラーコメディの洋画を一緒に鑑賞させてもらった。台湾人は学生とかで、来春、日本に渡航予定と言うので、金沢や福井などの北陸地方を推薦しておいた。

旅先で出会う、袖すりあうも他生の縁、である。こうしたコミュニケーションは、ちょっとしたものでも、後々まで思い出に残るものだ。2段ベッドのドミトリーは常の如く、同室者の立てる物音でよく眠れなかったが、この安宿(Golden House、瑞芳駅近く)はサービスがよく、まあまあ快適だった。

翌朝、荷物を預けて駅に向かい、十分(正しくは「分」ににんべんがつく、シーフェン)に行くつもりだったが、豪雨による土砂崩れで平渓線(ピンシーシェン、へいけいせん)が不通(旅行当時は2025年10月下旬、同線は2026年1月復旧)、願いの叶う風船は飛ばせなかった。しょうがないので、宿に逆戻り、荷物を引きあげ、普通列車(台湾鉄路)で2時間半の花蓮(かれん、ホアリエン)まで行くことにした。

車中、車窓を行き過ぎる景色や停車駅の様子も楽しみながら、退屈せずに到着した。花蓮駅は小綺麗で、黄金の蓮を象(かたど)ったかのような駅舎、街中も整然としており、女性好みで、私も一目で気に入った(後でわかったことだが、日本人移民の歴史がある街だった)。

宿の「Sunrise Backpacker’s Hostel(サンライズ・バックパッカーズ・ホステル)」は駅から近く、人に訊いてすぐわかったが、荷物を預けて観光に出るつもりが、生憎と閉まっていた。

しょうがないので、そのままキャリーを転がしながら、駅近くのバスターミナルまで行った。そこから台湾屈指の景勝地、太魯閣(タロコ)渓谷行きのバスが出るのである。チケットを買おうとしたら、セブンイレブンでIC(悠遊)カードを買えと言われ、鉄道駅に戻り舎内の同店で100元(約500円)で入手して、バス停に戻った。30分後やって来たバスにカードをタッチして乗り込み、1時間かそこらで終点のタロコビジターセンター(太魯閣遊客中心)に着いた。

タロコ公園台地を降りた、シャカダン橋の下にしぶく渓流と、迫る山々。

山に囲まれた太魯閣国家公園内は広々として、羽目板風遊歩道を進んだ端が、渓谷を見下ろす展望スペースになっており、柵の遥か下方に素晴らしい景観が開けていた。園内の総合情報施設では、原住民文化の展示も楽しめた。

公園のあるタロコ台地から降りてシャカダン遊歩道の入口まで徒歩で戻り、橋を渡って眼下に開ける峡谷、エメラルドグリーンの渓流が白い飛沫を散らす景観と、切り立った大理石の断崖に息を呑んで見とれた。2024年4月の花蓮地震(震度6強の大地震)の影響で、崖崩れがあったらしく、岩穴をくぐったトンネルの奥には通行止めで行けなかったが、大自然の織り成す景観美に酔いしれた。

翌朝は早起きしてバスで七星潭(しちせいたん、チーシンタン)へ。山を背景にした、白っぽい丸石が転がる砂浜と、弧状に開ける蒼い美海を堪能し、またバスで花蓮駅に戻ると、普通列車で1時間半の台東駅(だいとうえき、タイドンヂャン)を目指した。いよいよ東南部が近づいてきた。花蓮からは雨もすっかり止んで晴れ上がり、絶好の旅日和にわくわくした。

タロコ国家公園入り口から見える、鮮やかな中華風丹塗りの門は、「東西横貫(おうかん)公路」と言って1960年開通記念のシンボルだ。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。