【銀座新聞ニュース=2025年2月28日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル、03-3248-8454)は3月3日から22日までAudrey Hepburnの写真展「永遠の妖精」を開く。

Art Gallery M84(アート・ギャラリー・エムハッシー)で3月3日から22日まで開かれるudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)の写真展「永遠の妖精」に展示される画像((C)The Kobal Collection/G.I.P.Tokyo)。
Art Gallery M84(アート・ギャラリー・エムハッシー)は2018年から英国出身の女優で、「ローマの休日」(1953年)でアカデミー主演女優賞を受賞したオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn、1929-1993)の写真展を開いている。
今回は「1950年女王リジア役スクリーンテスト」の珍しい写真から始まり、「舞台ジジ」(1951年)や「ローマの休日」(1953年)、「麗しのサブリナ」(1954年)、ミュージカル映画「パリの恋人」(1957年)、「昼下がりの情事」(1957年)、「尼僧物語」(1959年)、「噂の二人」(1961年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「シャレード」(1963年)、「パリで一緒に」(1964年)、「マイフェア・レディ」(1964年)など、他では見ることのできないオードリー・ヘプバーンの代表作である映画のワンシーンやポートレートのモノクローム作品で約30点を展示する。
作品は、デジタルスキャンにより蘇った絵柄が中心で、フイルムから当時プリントした超貴重なアンティークなものも数点出品する。
オーナーの橋本正則さんはオードリー・ヘプバーンの成功の背景について「彼女の才能ももちろんあったでしょうが、ナチス・ドイツ占領下の少女時代に、草やチューリップを食べて飢えをしのぎ、生涯その辛さを忘れず、無我夢中で働き、人の好意にあぐらをかかず、目をかけてもらうだけでもありがたいことだと感謝して、セットには時間厳守、絶対遅刻せず、セリフは完璧に覚え、スタッフへの礼儀と尊敬を持ち続けていたと言われていること」とオードリー・ヘプバーンのたゆまぬ努力を挙げている。
ウイキペディアによると、オードリー・ヘプバーンは1929年5月4日ベルギー・ブリュッセルのイクセル生まれ、幼少期をベルギー、イングランド、オランダで過ごし、父親がナチズムの信奉者で、子どもたちの子守と性的関係を持ち、母親がこのことを知ると、父親は家を捨てて出て行った。その後1960年代になってから、赤十字社の活動を通じて父親とアイルランドのダブリンで再会している。
1934年にバレエをはじめ、オランダ・アムステルダムでソニア・ガスケル(Sonia Gaskell、1904-1974)のもとでバレエを習う。1939年から1945年までオランダのアーネム音楽院に通い、バレエを学んだ。その後、オランダのヘルダーラントのフェルプ近郊へ移ったが、1944年にはナチスへの抵抗運動に協力、そのためにオードリー・ヘプバーンは地下の隠れ家に身を隠したものの、栄養失調に苦しみ、重度の貧血と呼吸器障害、浮腫に悩まされる。
1948年にマリー・ランバート(Dame Marie Rambert、1888-1982)にバレエを学ぶため英国ロンドンへとわたり、英国で数本の映画に出演した後、1951年のブロードウェイ舞台作品「ジジ(Gigi)」で主役を演じ、1953年に「ローマの休日(Roman Holiday)」(監督はウィリアム・ワイラー=William Wyler、1902-1981)でアカデミー主演女優賞を獲得した。
その後も1954年に「麗しのサブリナ(Sabrina)」(監督はビリー・ワイルダー=Billy Wilder、1906-2002)、1959年に「尼僧物語(The Nun’s Story)」(監督はフレッド・ジンネマン=Fred Zinnemann、1907-1997)、1961年に「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s)」(監督はブレイク・エドワーズ=Blake Edwards、1922-2010)、1963年に「シャレード(Charade)」(監督はスタンリー・ドーネン=(Stanley Donen、1924-2019)、1964年に「マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)」(監督はジョージ・キューカー=George Dewey Cukor、1899-1983)、1967年に「暗くなるまで待って(Wait Until Dark)」(監督はテレンス・ヤング=Shaun Terence Young、1915-1994)などに出演している。
舞台作品では1954年にブロードウェイ舞台作品「オンディーヌ(Ondine)」でトニー賞を受賞している。しかし、女優業は年齢と共に減り、後半生のほとんどを国際連合児童基金(United Nations Children’s Fund=UNICEF、ユニセフ)の仕事に捧げた。
ユニセフへの貢献を始めたのは1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南アメリカ、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身し、1992年には、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカにおける文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。この大統領自由勲章受勲1カ月後の1993年1月20日にスイスの自宅で虫垂がんのために63歳で死去した。
開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)まで。入場料は800円。展示している作品は販売する。日曜日は休み。