【銀座新聞ニュース=2025年3月24日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は3月26日から4月7日まで本館7階催物会場で「第80回春の院展」を開く。

3月26日から4月7日まで開かれる「第80回春の院展」で、全作品集の表紙に採用されている大野逸男さんの「白木蓮」。また、「春の院展」の題字は初代理事長の安田鞍彦(ゆきひこ、1884-1978)が書いたもの。
第80回春の院展は日本美術院が主催する日本画の公募展で、応募点数が621点(2024年は636点)、入選点数が312点(同297点)。うち、招待が3点(同2点)、無鑑査が9点(同10点)、一般300点(同285点)、初入選が29点(同36点)となっている。
今回は「日本美術院春季展賞(郁夫賞)」は柏谷明美さんの「冬の花火」、春季展賞は守みどりさんの「つのかくし」、外務大臣賞は大橋智さんの「見上げる」(奨励賞も)が選ばれている。
また、奨励賞は岩波昭彦さんの「眩」、浦上義昭さんの「奥越後」、大橋智さんの「見上げる」、大村有香さんの「穴の森」、加来万周さんの「心奥」、加藤裕子さんの「回生」、狩俣公介さんの「蒼風」(無鑑査)、小針あすかさんの「月日」、下田博子さんの「ゼウスとアポロンの狭間」。
鈴木恵麻さんの「尋ぬ」、土屋圀代(くによ)さんの「ねじ花の坂道」、樋田礼子さんの「井の頭(12)-朝」(無鑑査)、中嶋純花さんの「あの日の風が吹く」、村上里沙さんの「星風」、山田雄貴さんの「静かな森」の15人。
今回の「第80回春の院展」では現代の日本画壇を代表する日本美術院同人(どうにん)の最新作と、厳しい審査を経て選ばれた一般公募の入選作をあわせた300余点を展示する。
また、第80回を記念して、「院展」に縁のある画家の横山大観(1868-1958)、片岡球子(1905-2008)、平山郁夫(1930-2009)の作品6点を特別に展示する。
ウイキペディアによると、「日本美術院」は1898(明治31)年に岡倉天心(1863-1913)が東京美術学校を排斥されて学校長を辞職した際に、自主的に連座して辞職した横山大観らが岡倉天心の計画する美術研究の構想に賛同し、同年7月に美術研究団体としての 「日本美術院」を東京・谷中大泉寺(谷中初音町)にて結成したのがはじまりとされている(1952年に東京都の文化史蹟に指定され、現在、岡倉天心記念公園として岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地碑が建てられている)。
同年10月に落成開院した日本美術院は日本絵画協会と連合して「日本美術院展覧会(院展)」を開いた。以後、日本絵画協会と合同で春秋2回、絵画展覧会を開くも、1900年秋季の展覧会が最盛期で、以後、資金の欠乏、院の内紛、綱紀の乱れなどが原因で徐々に沈滞するようになった。
1905(明治38)年に茨城県・五浦海岸へ別荘(六角堂)を建設した岡倉天心は、 1906年に第1部(絵画)と第2部(彫刻)を改組し、第1部を五浦海岸へ移転させるが、当時、岡倉天心はフェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853-1908)の紹介でボストン美術館中国・日本美術部に入っており、五浦とボストンを往復するうちに日本美術院への興味を失っていった。また、第2部は国宝修理も行うことから1914(大正3)年に「美術院」と改称し、1965年に「財団法人美術院」となり、2013年に「公益財団法人美術院」となった。
1910(明治43)年に岡倉天心がボストン美術館中国・日本美術部長として渡米すると、日本美術院は事実上の解散状態となった。1914年に文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ横山大観や下村観山(1873-1930)らは、1913(大正2)年に岡倉天心が没したことを契機に、その意志を引き継ぎ、谷中上三崎南町に研究所を建設し(現在公益財団法人「日本美術院」がある)、日本美術院を再興した。
現在、日本を代表する日本画の美術団体として活動を継続している。日本美術院には日本画のほかに洋画部(1920年9月に脱退)と彫刻部(のち「彫塑部」と改称し、1961年2月に解散)も加わったが、現在は日本画のみになっている。
日本美術院展覧会(院展)は、1914年10月に日本橋三越旧館で「日本美術院再興記念展覧会」を開き、これが現在、東京都美術館で9月に開かれている日本美術院展覧会(院展)の第1回展にあたり、1944(昭和19)年、1945(昭和20)年を除き、毎年秋に開催されてきた。
日本美術院展覧会を開催できなかった1945年11月に「日本美術院小品展覧会」が日本橋三越で開かれ、こちらは第2回展から毎年春に開かれることになり、1959年に「日本美術院春季展覧会」と改称され、1970年からは「春の院展」として現在まで毎年開かれている。1958年5月に日本美術院は財団法人化され、2011年4月に公益財団法人化され、2014年に再興100周年を迎えた。
春の院展は毎年4月上旬(年度により3月下旬の場合も)より日本橋三越本店にて約2週間開かれるのを皮切りに、約4カ月かけて全国10カ所弱を巡回する。同展覧会の前身が習作展・試作展・小品展であることから、秋に行われる再興院展よりも出品サイズが小さく、特に同人作家にとっては実験的な作品を発表する場として位置づけられている。
会期中、会場内で3回にわたり日本美術院同人によるギャラリートークとサイン会を開く。サイン会はギャラリートーク終了後、第3会場出口にて「春の院展」図録を購入した先着100人限定となっている。
3月26日14時から東京藝術大学美術学部絵画科日本画教授、文星芸術大学特任教授の宮北千織さん、30日14時から画家の大野逸男(いつお)さん、4月3日14時から日本美術院理事の村上裕二さんが登場する。
宮北千織さんは1967年東京都生まれ、1992年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、卒業時にサロン・ド・プランタン賞、台東区長賞、1994年に同大学大学院美術研究科修士課程日本画専攻を修了、修了制作が藝大買い上げ、模写が台東区買い上げ、1995年に第10回有芽の会で全国更生保護婦人連盟賞(1998年に法務大臣賞)、1997年に同大学大学院美術研究科博士後期課程(日本画)を満期退学した。
2000年に第55回春の院展で奨励賞(2001年に春季展賞、2002年、2003年に奨励賞)、2001年に再興第86回院展で奨励賞(2002年に日本美術院賞(大観賞)、足立美術館賞、2003年に日本美術院奨学金、2004年に日本美術院賞(大観賞)、天心記念茨城賞、2007年日本美術院同人推挙、2014年に文部科学大臣賞、2015年に内閣総理大臣賞、2017年に足立美術館賞)などを受賞している。
大野逸男さんは1941年埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ、1962年に再興第47回院展で初入選、1988年に第43回春の院展で奨励賞(1991年、1992年、1993年に奨励賞、2001年に外務大臣賞)、1991年に第76回院展で奨励賞(1992年奨励賞、1996年奨励賞、1999年に日本美術院賞(大観賞)、2001年奨励賞、日本美術院招待に推挙、2008年に同人に推挙、2010年に第16回足立美術館賞、2016年に文部科学大臣賞、2022年に内閣総理大臣賞)などを受賞している。
村上裕二さんは1964年東京都生まれ、1987年に東京藝術大学絵画科日本画専攻を卒業、1989年に同大学大学院研究科(日本画)修士課程を修了、再興第74回院展で初入選(1996年に奨励賞、1997年に日本美術院賞(大観賞)、1998年に奨励賞、日本美術院奨学金、1999年に日本美術院賞(大観賞)、2000年に同人推挙、2012年に文部科学大臣賞、2016年に内閣総理大臣賞)、1992年に同大学大学院研究科(日本画)博士後期課程を満期退学。
1995年に第50回春の院展で奨励賞(1996年、1998年、1999年に奨励賞、2006年に春の足立美術館賞)、2006年に第15回MOA岡田茂吉賞絵画部門で優秀賞、2008年から画家活動を停止、2010年に第65回春の院展から創作を再開している。美術家の村上隆さんは兄。現在、日本美術院理事。
時間は10時から19時(最終日は17時)。入場料は一般500円、大学生、高校生300円。中学生以下は無料。