【銀座新聞ニュース=2026年1月12日】国内時計業界第3位のセイコーホールディングス(中央区銀座1-26-1)グループの百貨店、和光(中央区銀座4-5-11、03-3562-2111)は1月15日から25日まで6階セイコーハウスホールで「有職人形司 伊東久重三代展 つなぐ・技とこころ」を開く。
江戸時代(1603年から1867年)中期より京都で代々、御所人形(ごしょにんぎょう)を制作している家元の有職御人形司(ゆうそくおんにんぎょうし)の伊東家で、当代十二世 伊東久重(ひさしげ)さん、その息子の伊東庄五郎(旧名建一)さん、その息子(伊東久重さんの孫)の伊東大知(たいち)さんの伊東家3代に渡る作り手が各々想い描く美の表現を展示する。
当代の十二世伊東久重さんは、格調高い御所人形を中心に、胡粉高盛金彩絵(ごふんたかもりきんさいえ、胡粉はホタテ貝殻から作られる白色顔料)の飾筥(かざりばこ)や装飾作品、長男の伊東庄五郎さんは、御所人形に加え、しらたま、掌で愛でたくなるような「ちびたま」、胡粉高盛金彩絵の立体を、孫の伊東大知さんは、日本画を出品する。
同志社女子大学総合文化研究所紀要第39巻(2022年)によると、伊東家は江戸時代初期より「桝屋庄五郎」の屋号で薬種商を営む家筋で、享保年間(1716年から1736年)に手先が器用で人形作りの才に秀でた当時の当主、桝屋庄五郎(1734年没)が家業を人形制作とした。
自ら「御人形細工師(おんにんぎょうざいくし)」を名乗り、1726(享保11)年にその腕を見込まれ、祇園祭長刀鉾(なぎなたほこ)の守護神である「和泉小次郎親衡(いずみ・こじろう・ちかひろ、生没年不詳)」像や薬草を刈る病除けの「草刈童子」像を作っている。三代桝屋庄五郎の頃、「草刈童子」像が疫病に効くといううわさが、ちょうど疫病に見舞われていた洛中に広がり、時の帝、後桜町天皇(最後の女性天皇、1740-1813)が1767(明和4)年に三代桝屋庄五郎を宮廷に呼び、「有職御人形司 伊東久重」という名を下賜し、宮廷の人形を作る役目を与えられたという。このため、三代桝屋庄五郎が初代伊東久重(1777年没)を名乗っている。
1790(寛政2)年にさらに、光格天皇(1771-1840)より「入神の作に捺すように」と天皇家の御紋である「十六葉菊花紋(じゅうろく・ようぎくかもん)印」を与えられた。京都に諸芸が長く伝承され、老舗が数百年も息づく背景に、皇室の存在が大きく、伊東久重家の歴史も皇室抜きには語れない。
十二世伊東久重さんが言うには、「わたしどこは宮中に御所人形を納めるというお役をさしてもらえましたんで、そのおかげで続いてきたんやと思います。(皇室は)絶対のスポンサーでした」と語っている。
御所人形は宮中の祝い事や五節句、結婚、誕生などに用いられる。これだけでもかなりの需要があるが、皇室からの返礼品にも使われていた。朝廷をはじめ大名や門跡寺院や寺社などが宮廷に上がるときにお土産を持参するが、その返礼に御所人形が渡されていた。毎年、正月に江戸城から将軍の名代が年賀のあいさつに宮廷に派遣されるのに対して、2月から3月のあいだに天皇の勅使が返礼として江戸に遣わされる。勅使が携える返礼品に御所人形も含まれていた。御所人形が徳川家や各地の大名家に大量に残っているのはそのためである。
現在では、皇室が「絶対のスポンサー」ではなくなったが、今でも即位や結婚など祝いごとがあるときに、伊東家は皇室に御所人形を納めている。十二世伊東久重さんの代でも7、8点制作したという。たとえば「春の御子」は、雅子さまご成婚(1993年6月9日)祝いのために作られた。1993年は酉(とり)年だったので、ひよこを人形の左手に持たせている。
このほか、京都御所の依頼で昔の宮中行事を再現する等身大の人形も伊東久重さんの祖父の代から制作しており、伊東久重さんも30体ほど作っており、毎年、一般公開にこれらの等身大の人形が10体ほど陳列されている。
伊東家の御所人形は3頭身のふくよかな体型と、胡粉を塗り重ねた透き通るような白い肌を特徴としている。また、静岡県長泉町に「有職御人形司 十二世伊東久重美術館」(静岡県駿東郡長泉町東野515-119)があり、作品が常設展示されている。
「御所人形師伊東庄五郎」によると、「御所人形」は江戸時代に宮中でその品格と愛らしさを賞頑され、四季折々の節句の御祝いやご結婚、ご出産など、さまざまなご慶事の際に飾られた幼子の人形で、その最大の特徴は、頭が大きく3等身であることと透き通るような白い肌とされている。昔は、その体形から「頭大人形」や「三つ割人形」などと呼ばれ、その肌の白さから「白肉人形」や「白菊人形」などとも呼ばれていた。宮中を訪れる人のお土産として、あるいは位官授与などに際し参内した大名などへの御下賜品としてこの人形が使われたことから、「お土産人形」や「拝領人形」などとも呼ばれた。
これほどまでに多くの名称を持っている人形も珍しいが、宮中や公家、門跡寺院など京都の御所にゆかりの深い人々の間で愛された人形であることから、明治時代になって「御所人形」という名称が使われるようになった。伊東家では江戸時代より、伐採してから30年以上乾燥させた桐の木を素材として使用し、完成までに約1年を要する「木彫法」で人形を作っている。「天皇家からいただく人形は落として割れるようなものであってはならない」という古くからのこだわりにより、木彫法で制作することは伊東家にとって重要なポイントとされている。
御所人形の独特なところは、桐で彫った人形に胡粉を塗るところだが、陶器のようにピカピカに磨いた人形に、胡粉を30回も40回も塗る。塗っては太陽に乾かし、乾いたらまた塗る。胡粉だけではとまらないので膠(にかわ)をまぜる。この胡粉と膠の配合を間違うと人形は光らない。御所人形でもっとも神経を使うのはひび割れで、そのために胡粉を丹念にくり返し塗る。御所人形は仏像とちがい、仏像はひびが入っても気にならないが、御所人形はひびがもっとも忌避される。
最近は焼き物で人形を作る人もいて、ひび割れが起きないうえ、簡単に大量につくることができるが、落としたら修復がきかない。皇室で飾られる御所人形は、万が一、ひびが入っても修復できないといけないことを厳しく求められる。
十二世伊東久重さんは1944年京都府生まれ、同志社大学を卒業、在学中より人形作りを始め、1978年に有職御人形司12世伊東久重を継承している。2000年から2014年まで同志社女子大学非常勤講師。2018年に静岡県長泉町(ながいずみちょう)に「有職御人形司十二世伊東久重美術館」を開設している。現在、一般財団法人「伝統文化保存協会」理事長、一般財団法人「表千家不審菴」理事(2012年)。
伊東庄五郎さんは1971年京都府生まれ、十二世伊東久重さんの長男で、幼少の頃より御所人形制作の基本である粗彫りを始め、京都産業大学を卒業後、2年間、お香の老舗、松栄堂に勤務し、1995年に十二世久重さんのもと、御所人形師の道に入り、2005年に和光ホール(セイコーハウスホール)にて最初の作品を発表、2010年に和光ホールにて初の個展を開催、2019年に久重十三世嗣として後嗣(こうし)名「庄五郎」を襲名した。現在、同志社女子大学非常勤講師(2015年から)。
伊東大知さんは2003年京都府生まれ、伊東庄五郎さんの長男、2022年に京都市立銅駝美術工芸高等学校美術工芸科日本画専攻を卒業、2022年に京都市立芸術大学美術学部美術科に入学、現在、同大学美術学部美術科日本画専攻4回生。
17日14時から十二世伊東久重さんによるギャラリートークを開く。
24日14時から伊東庄五郎さんと伊東大知さんによるギャラリートークを開く。
開場時間は11時から19時(最終日は17時)まで。入場は無料。期間中は休みなし。

