「江戸の会」で三田徳明が雅楽と歴史を語る、生演奏も

【銀座新聞ニュース=2015年1月27日】「懐かしい江戸へいらっしゃいの会」(事務局・港区六本木7-8-8、03-3479-3644)は2月1日14時から銀座会議室三丁目(中央区銀座3-7-10、銀座アネックスビル2階)で「第107回懐かしい江戸へいらっしゃいの会」を開催する。

2月1日に開かれる「第107回懐かしい江戸へいらっしゃいの会」に出演する三田徳明さん。

2月1日に開かれる「第107回懐かしい江戸へいらっしゃいの会」に出演する三田徳明さん。

「懐かしい江戸へいらっしゃいの会」は約15年前に浄土真宗本願寺派「妙泉寺」(中央区築地4-14-18)の建て替えに際して、本堂で一夜を語り明かす会を開催したところ、参加者からの要望で定期的に開くようになり、参加者が増えたため文祥堂ホールに移して年間5回程度開催してきた。しかし、文祥堂ホールが2010年8月末をもって閉鎖されたため、第89回から銀座会議室三丁目に移して続けてきた。

今回は2015年最初の会合で、「三田徳明雅楽研究会」代表の三田徳明(みた・のりあき)さんが「雅楽と歴史のおもしろさ」と題して、日本の歴史における芸能の中核である雅楽について解説し、演奏する。

鉄道トリビアなどによると、1872年9月12日(グレゴリオ暦では10月14日)に新橋駅(後に貨物専用の汐留貨物ターミナル駅、現在は駅が廃止され再開発)と横浜駅(現桜木町駅、距離は29キロメートル)間が開通した鉄道の開業式が行われた。

客車は8両編成で、開業式には宮内省の伶人(れいじん、現宮内庁式部職楽部)も同行し、新橋から発車の際に「慶雲楽(きょううんらく)」を演奏し、横浜発車の際には「蘭陵王(らんりょうおう)」を、新橋に戻った際には「還城楽(げんじょうらく)」が演奏された。また、近衛砲隊日比谷練兵場で101発の祝砲が、品川沖の軍艦から21発の祝砲が撃たれたとされている。

また、「君が代」は歌詞が10世紀初めに編さんされた「古今和歌集」の題しらず、読人しらずの短歌のひとつからとられ、曲はイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton、1831-1890)が作曲した。

しかし、洋風の曲で、日本人に馴染みにくかったため、改訂され、1880年に宮内省式部職雅楽課の伶人、奥好義(おく・よしいさ、1857-1933)がつけた旋律を一等伶人の林広守(はやし・ひろもり、1831-1896)が曲にし、それを1879年に来日したドイツ人の音楽家で、海軍軍楽教師フランツ・エッケルト(Franz Eckert、1852-1916)が西洋風和声を付けた。現在では、林広守を「君が代」の作曲者としている。

1880年10月25日に試演し、11月3日の天長節に初めて公に披露され、以後、国歌として扱われるようになり、1999年に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国歌に制定された。三田徳明さんがこうした雅楽と歴史的など出来事を説明する。

ウイキペディアによると、雅楽とは世界最古のオーケストラといわれ、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽は重要無形文化財であり、ユネスコの無形文化遺産にも選ばれている。アジア大陸の諸国からもたらされた音楽や舞に、上代以前から伝わる音楽や舞が融合し日本化した芸術で、10世紀頃に大まかな形態が成立し、今日まで伝承されている。

現在では、日本古来の歌謡をもとに平安期に完成された、神道や皇室に深い関わりをもつ歌舞「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」、5世紀頃から9世紀頃までに大陸から伝わった楽舞をもとに日本で作られた「大陸系の楽舞」、日本古来の民詩や漢詩に節づけをし、大陸からの渡来楽器による伴奏をともなう平安期に作られた歌曲「謡物(うたいもの)」がある。

「大陸系の楽舞」は中国、天竺、林邑(りんゆう、チャンパ王国、現在のベトナム)系の唐楽(とうがく)と、朝鮮半島、渤海(ぼっかい)系の高麗楽(こまがく)がある。宮内庁式部職楽部による定義では、宮内庁式部職楽部が演奏する曲目の内、洋楽を除くものとされている。

ただし、平安時代に行われた楽制改革により、大陸から伝来したものは編曲や整理統合がなされ国風化しているため変化している。主に京都の貴族の間で行われていた宮廷音楽としての雅楽の形態については応仁の乱(1467年から1477年まで約10年間にわたった内乱)以降、江戸幕府が楽師の末裔(楽家)をあつめて再編するまで、100年以上ほぼ断絶していたので往時の形態をどこまで継承しているかは不明とされている。

江戸時代に入ると江戸幕府が南都楽所(奈良)、天王寺楽所(大阪)、京都方の楽所を中心に「禁裏様楽人衆」を創設し、宮中の雅楽を復興した。紅葉山にある徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)の廟所での祭儀のため三方楽所より8人の楽人が江戸に召喚され、1618年に寺社奉行の傘下に「紅葉山楽人」が設置された。宮中では朝儀全般の復興が行われる中で、古曲の復曲が盛んに行われた。

明治時代に入ると、明治政府によって三方楽所や紅葉山楽所の楽人が東京へ招集され「雅楽局」(後の宮内省雅楽部)が編成された。しかし、各楽所や楽家によって演奏方法や舞の振り付けが異なり、伝承されていた楽譜や曲目にも差があった。そこでこれらを統一する作業が行われた。このとき楽曲の取捨選択により明治選定譜と呼ばれる楽譜が作成された。

明治選定譜の作成後は選定曲以外の曲の演奏を行わないため、1000曲以上あった楽曲の大半が途絶えたとされている。その後、「宮内省雅楽部」は「宮内庁式部職楽部」となり100曲ほどを継承しているが、使用している楽譜が楽部創設以来の明治選定譜に基づいているにもかかわらず、昭和初期から現代にかけて大半の管弦曲の演奏速度が遅くなったらしく、曲によっては明治時代の3倍近くの長さになり、これに合わせて奏法も変化している。

楽器のみの演奏を管絃と言い、主として屋内で演奏され、舞を伴う演奏を舞楽と言い、主として屋外で演奏される。曲の調子には何種類かあったが、現在は、唐楽に6種類、高麗楽に3種類が残る。唐を経由して伝来したものを左方舞(左舞)と言い、伴奏音楽を唐楽と呼ぶ。 朝鮮半島(高麗)を経由して伝来したものを右方舞(右舞)と言い、伴奏音楽を高麗楽と呼ぶ。

三田徳明さんは東京都生まれ、9歳より雅楽を学び、中学生の時から安倍季昌(あべ・すえまさ)さんに師事し、代々京都御所に仕えてきた京都方楽家(きょうとがた・がっけ)の安倍家のひちりきと右舞を修め、1988年に「都民芸術フェスティバル」で舞楽「蘭陵王」を舞い、1993年に瑞穂雅楽会を率いてタイ大使館で雅楽を公演、1995年にアメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで「蘭陵王」と「納曽利」を上演した。

現在、行なわれていない奈良時代の演奏形式を再現するコンサートを開いている。また、雅楽を「アジアの総合芸術」と捉え、「アジア里探(Return)プロジェクト」を推し進めている。東京芸術大学講師、韓国芸術総合大学招聘講師などを務めた。現在、学習院大学文学部非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師。

時間は14時から17時で、料金は弁当込みで4000円。申し込み、問い合わせは「懐かしい江戸へいらっしゃいの会」まで。