【銀座新聞ニュース=2026年2月24日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2月25日から3月3日まで3階ギャラリー特設会場で「第7回丸善・益子焼の世界展」を開く。
栃木県の「益子焼」を代表する2人の重要無形文化財保持者(人間国宝)、濱田庄司(1894-1978)と島岡達三(1919-2007)の作品と、2人を継承する濱田窯、島岡製陶所を中心に、益子を拠点に活躍している現代作家12人の益子焼約3000点を一堂に展示販売する。
今回、出品するのは、濱田庄司、濱田庄司の次男、濱田晋作(1929-2023)、濱田晋作の次男で「濱田窯」3代目の濱田友緒さん(1967年生まれ)、島岡達三、その孫、島岡桂(けい)さん(1978年生まれ)。
陶芸家の横尾聡さん(1953年生まれ)とその妻、浅田恵美子さん(1953年生まれ)、「板橋窯」の板橋伸一郎さん(1981年生まれ)とその妻、板橋麻由子さん(1981年生まれ)、榎田若葉さん(1978年生まれ)。
「清窯(きよしがま)」の2代目の大塚一弘さん(1966年生まれ)、「健一窯」の2代目で長男の大塚雅淑(まさよし)さん(1976年生まれ)、大塚雅淑さんの妻、大塚菜緒子さん(1981年生まれ)、陶芸家の川島郁朗さん(1980年生まれ)。
「栗原窯」の栗原節夫さん(1963年生まれ)、「薄田窯」の薄田浩司(1945-2015)の次女で2代目の薄田(すすきだ)いとさん(1973年生まれ)、陶芸家のホソカワカオリさん(1974年生まれ)、陶芸家、向山(むこうやま)文也さんの娘で、陶芸家の向山ひなたさん、「萩原製陶所:萩原窯」の5代目、萩原芳典さん(1974年生まれ)。
「KOGEI JAPAN」によると、益子焼は栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器で、江戸時代末期の嘉永年間(1848年から1855年)に常陸国笠間藩(現笠間市)で修行した大塚啓三郎(1828-1876)が益子に窯を築いたことにより始まったとされている。
益子焼の陶土は、豊富にあるものの、肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ、火鉢、壺などの日用品として制作された。その後、1927年から創作活動を始めた濱田庄司によって花器や茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られた。1959年には、加守田章二(1933-1983)が開いた窯により民芸一辺倒だった益子の作陶に現代的な独創性が加えられた。1979年には通産省(現経産省)から伝統的工芸品に指定された。
益子焼は砂気の多いゴツゴツとした土の質感をもち、材料の性質上割れやすく、重いという欠点がある。益子焼のもっとも基本的な釉薬(ゆうやく)は漆黒(しっこく)や「柿」と呼ばれる赤茶色、飴色(あめいろ)を出す鉄釉(てつゆう、てぐすり)で、石材粉や古鉄粉を釉薬にし、犬毛筆で色づけを行うため、重厚な色合いとぼってりとした肌触りに特徴がある。こうした昔ながらの施釉は土鍋や土瓶、片口といった、肉厚な陶器に使われる。
民藝運動以来、濱田庄司が得意とした杓掛け、流し掛け、掻き落としの技法を使った紋様を施した鉢や皿などが知られる。また、信楽焼流の絵付けを施した山水土瓶や、呉須(コバルト顔料)を使った陶器も多い。
栃木県益子町観光協会によると、現在、窯元は約250、陶器店は50店あり、春(2024年4月27日から5月6日までの予定)と秋に「陶器市」が開かれる。
益子陶器市は1966年から始まり、例年、春のゴールデンウイークと秋の11月3日前後に開かれている。販売店約50店舗の他、約550のテントが立ち並び、伝統的な益子焼からカップや皿などの日用品、美術品まで販売される。焼物だけでなく、地元農産物や特産品の販売も行われ、春秋あわせて約60万人の人出がある。
ウイキペディアによると、濱田庄司は1894(明治27)年神奈川県橘樹郡高津村(現川崎市)溝ノ口の母の実家で生まれ、東京府立一中(現日比谷高校)を経て、1916(大正5)年に東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科を卒業、在学時は板谷波山(1872-1963)に師事し、窯業の基礎科学を学び、卒業後は2年先輩の河井寛次郎(1890-1966)と共に京都市立陶芸試験場にて主に釉薬の研究を行う。この頃、柳宗悦(1889-1961)、富本憲吉(1886-1963)、陶芸家のバーナード・リーチ(Bernard Howell Leach、1887-1979)の知遇を得る。
1920(大正9)年に英国に帰国するリーチに同行、1922(大正11)年に共同してコーンウォール州(Cornwall)セント・アイヴス(St Ives)に「リーチポタリー(Leach Pottery)」を築窯した。1923(大正12)年にロンドンで個展を開き、1924(大正13)年に帰国し、しばらくは沖縄・壺屋窯などで学び、1930(昭和5)年からそれまでも深い関心を寄せていた益子焼の産地、栃木県益子町で作陶をはじめた。
ほとんど手轆轤(ろくろ)のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様を得意とした。戦後、1955年2月15日には第1回の重要無形文化財保持者(人間国宝、工芸技術部門陶芸民芸陶器)に認定され、1964年に紫綬褒章、1968年に文化勲章を受章した。
柳宗悦の流れをうけて民藝運動に熱心であり、1961年の柳の没後は日本民藝館の第2代館長に就任した。1970年の大阪万博の日本民芸館パビリオンの名誉館長を経て、1972年に大阪日本民藝館の初代館長に就任した。1977年には自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館した。1978年1月5日に益子にて没。享年83。墓所は川崎市の宗隆寺。
島岡達三は1919(大正8)年東京市芝区愛宕町(現東京都港区愛宕)生まれ、1938年(昭和13)年に府立高校(後に都立高等学校、東京都立大学を経て、現在、首都大学東京)在学中に日本民藝館を訪れ、民芸の美に目ざめ、1941(昭和16)年に東京工業大学窯業学科を卒業、1942年に「赤羽工兵隊」に入営、1943年にビルマ(現ミャンマー)に派遣される。
1946年6月に濱田庄司門下となり、1950年に栃木県窯業指導所に勤務、1953年に退職し、益子に住居と窯を構え、1954年に初窯をたいた。1962年に日本民芸館賞を受賞、1968年 夏に米ロングビーチ州立大学、サン・ディエゴ州立大学夏期講座に招かれ、渡米し、ヨーロッパを経て帰国した。1980年に栃木県文化功労章、1994年に日本陶磁協会賞金賞、1996年に民芸陶器(縄文象嵌)で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、1999年に勲4等旭日小綬章、2007年12月11日没、享年88歳。
開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。入場は無料。
