福井県で「没後5年藤田宜永展」、書斎を実寸大写真で再現(171-1)

(著者の希望で、今回は「台湾」に関するコラムではなく、「藤田宜永展」について書きます)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2025年12月19日】福井県在住の叔母が気を利かして、11月中旬、同郷の直木賞作家、藤田宜永(ふじた・よしなが、1950-2020)ファンの私に情報を送ってくれた。最初は展示を見るのは年が明けてからにしようと思ったのだが、30日に福井県立図書館内で催されるトークイベントで、早川書房の担当編集者だった女性(小塚麻衣子さん)が藤田宜永の在りし日のエピソードを語るというので、急遽出席を決めた。叔父夫婦も無論誘って、承諾を得た。

11月30日、郷里の福井県立図書館内のふるさと文学館で開催中の「没後5年 藤田宜永展」に、叔父夫婦と出かけた。「没後5年藤田宜永展」は2025年11月1日から2026年1月18日まで開かれており、入場は無料。

ちなみに、私の亡母の末弟である叔父は藤田本家に婿入り養子した、いわゆる母屋の当主で、分家の藤田宜永とは姻戚関係にあたる。そのため、叔父は故人とは、帰福の際、何度か面会したことがあり、同業の配偶者である小池真理子さんも一度同伴で、叔父宅を訪問されたそうだ。

かく言う私自身も、2017年に福井県立図書館で行なわれた故人の講演会に際して、叔父の仲介で事前面談がかなったことがあり、作家亡き今は、心に残る思い出となっている。鮮やかなスカイブルーのジャケットを羽織られた藤田宜永は、おしゃれで美声、憧れの作家を前にして私はドキドキしたものだ。

軽井沢のご自宅に、拙作をお送りして批評をいただいたり、拙著(「車の荒木鬼」2011年刊)への帯の推薦文を厚かましくもお願いしたりして、手紙やメールも時たま交わす交流を続けてきていたが、お目にかかったのは、このときが初めてだった。

11月30日当日は、福井駅まで叔父夫婦が車で出迎えてくれることになり、昼食後、下馬町にある福井県立図書館に早めに行って、展示を見ることになった。というわけで、今回は、台湾ルポをお休みして、郷里福井で行なわれている「没後5年藤田宜永展」(2025年11月1日から2026年1月18日まで)について、2回に分けてご報告したい。

福井県ふるさと文学館は県立図書館内の奥まったコーナーにあり、以前も一度訪れたことがあったが、前面に郷土の文士(詩人含む)コーナーがあり(水上勉=1919-2004=や津村節子=1928年生まれ=などの著書や履歴展示)、さらに奥に進むと、藤田宜永の肖像、トレードマークのサングラスに肩までの白髪混じりの長髪、グレーのジャケットをさりげなく羽織って黒のインナーの胸元にペンダントを飾った、おしゃれなポスター写真が架かっているのにぶつかった。

「没後5年 藤田宜永展」の題かポスターの真上に大きく印字されていた。中に入ると、単行本・文庫含め200冊近くと多作だった藤田宜永の著書の1部が展示され、ガラスのケースや立てかけた棚に並列された著書群が壮観だった。30代のミステリー・冒険小説から始まって、40代で恋愛小説作家に転身、晩年の家族小説まで、故人作家のキャリアを辿っていくことができる。

故藤田宜永氏のおしゃれな肖像ポスターが、記念展の入り口に飾られていた(福井県立図書館内のふるさと文学館)。

特筆すべきは、本人自慢の書斎(自称「コックピット」)が、実寸大の写真で再現されていること。パソコンノートの乗ったL字型デスクの前には、在りし日の本人の姿も。机の周りをびっしり取り囲む蔵書はあらゆるジャンルに及び、銃や戦争、仏像、茶の湯、花の本など、趣味と実益=資料を兼ねたものも。とにかく膨大で、書棚からはみ出そうな勢いである。

さらに進むと、ガラスのケース入りで、藤田宜永の唯一の自伝的長編「愛さずにはいられない」(初刊2007年、集英社)が、死後刊行された再販の新刊書(新潮社、2021年)も含め、3冊収められていた。私が一等感動した小説で、生い立ちから始まり、母との確執、郷里を逃げるように去り、東京の早稲田高校へ進学、同郷の恋人との同棲・訣別まで、福井や東京を舞台に生々しく赤裸々に描かれた私小説である。

藤田宜永が「この小説は、一生に一度しか書けないし、書かない」とのたもうた如くに、それだけ重みのある、今でも私の中に残る感動の1冊である。私自身も家庭的に問題があり、福井を早く飛び出したかった経緯から、重ねて読み合わせ、より深く重い感動を受けたものだった。

次は直木賞受賞コーナー。「樹下(じゅか)の想い」(2000年)から始まった恋愛小説作家への転身、「愛の領分」(文藝春秋、2001年)で2001年に見事直木賞を射止め、その5年前に直木賞作家になられた妻の小池真理子さんと肩を並べることになった。夫婦ともに直木賞作家ということで注目されたものだ。

「愛の領分」のあとがきには、赤裸々に母との確執が綴られ、話題を呼んだものだった。母との亀裂は埋まらず、早稲田大学中退後はほとんど実家には寄り付かなかったようだが、年月を経て母が他界、帰省を余儀なくされ、葬儀の席で恐る恐る母の死に顔を見たところ、予想に反して可愛らしく、こんな顔で俺を育ててくれていたらなぁと、述懐するのである。厳格で完璧主義、小さなミスも逃さず責め立てたという故人の母、何が彼女をして、そこまで厳しく実子に当たらせたのだろうか。

郊外にある福井県立図書館には、福井駅前から無料バスも出ており、市民の憩いの場、各種イベントも催される。

前出の「愛さずにはいられない」には、家族の肖像、我が子を自分の意のままに操ろうとする支配欲の強い母と、対する父の溺愛ぶり、小遣いをふんだんに与え、甘やかす姿が描かれている。「金のほかは何も与えない家族」との主人公の述懐が端的に藤田宜永と父母の関係を象徴していた(末尾参照)。

ところで、私は故人の恋愛小説はかなり読み込んでいるのだが、ミステリーの方はまだ1冊も読んでいない。藤田宜永はこの初期に携わった分野でも、日本推理作家協会賞などに輝く手腕で、とにかくジャンルを問わず達者というのが私の印象で、勝るとも劣らず、細君も然りで、実に夫婦共にうまい。作家夫婦として切磋琢磨、磨き高めあったせいだろう。

展示スペースはさして広くないが、狭い中にぎっしり収められたコレクションには、愛用のレイバンのサングラスや、取材の情報収集のためのガジェットなども公開されていた。奥の小部屋にはビデオコーナーもあり、死の4年前(2016年、65歳)のまだ元気だった頃の藤田宜永が、自らの幅広いジャンルについて語っていた。あとどれくらい書けるかわからないが、ジャンルにこだわらず、ミステリーっぽい恋愛小説にもトライしたいと述べている。

ほか、ガラスケースの棚には、中学時代の卒業文集中の教師や先輩の指導に感謝する一文もあり(同人誌「北辰」)、今更ながら、私と同じ明道中学の4歳上の先輩だったことを認識させられた。

〇作者より一言
藤田宜永と母の確執については、本人も作中を始め、折に触れ述べているので、知る人ぞ知るだが、いつだったか、拙ブログで触れたことがある。「実子に辛く当たるとは、藤田宜永の母親はとても不幸な人だったような気がする」と書いたのだが、たまたま記事を読んだ妻の小池真理子さん経由でご本人に伝わってしまった。藤田宜永も、「母に傷があった」ことを後に知るわけだが、にしても、子どもに八つ当たりするなんてひどいと書いていた。

藤田宜永が生涯に一度だけ書いた自伝的長編「愛さずにはいられない」(新潮文庫版)は、死後の今こそファン必読の書(私も再読中)。

藤田宜永の父親は地元の名士で、仕事が忙しく(福井では高名な政治家だったKの秘書だった)、あまり家には寄り付かなかったようだ。「愛さずにはいられない」にも、帰宅の遅い父の姿が描かれるが、子どもができないと諦めていた夫婦の間にやっと授かった子宝だったそうで、父親は1人息子を溺愛したようだ。

「母の傷」とは、育った家庭環境のことか、夫婦間の問題かと疑ったが(「愛さずにはいられない」には、友人からの又聞きとして父の女性関係の言及がある)、故人は最後まで明かすことはなかった。私は、その辺の事情を書いて欲しい、母のことを突っ込んで書いて欲しい、との要望を伝えたのだが、私小説第2弾が書かれることはなく(おそらく、書くつもりはなく)、すべての秘密は墓場に持っていかれてしまった。

晩年こそは、母をモデルにした小説を書き、なぜ彼女が実子に厳しく当たらざるを得なかったのか、明かして欲しかった。たった1人の息子にそむかれた母親は、息子の作家としての成功をどのように見、感じていたのだろうか。

密かに喜び、誇らしかったのか、それとも腹立たしかったのか。疎遠な息子がペンで自分を攻撃するたび、どんな思いでいたのだろう。怒り、悔しさ、それとも後悔、忸怩(じくじ)たる思い、それ以前に息子の小説は読んでいたのだろうか。それとも、封印してしまったのだろうか。

母も、父も、息子も今はいない。叔父が墓守する、藤田分家の墓に藤田宜永は眠っていない。

〇藤田宜永のプロフィール
1950年福井県福井市生まれ、早稲田大学中退後、フランスにわたり、エール・フランスに勤務し、帰国後のフランス語教師などを経て、エッセイを書きはじめる。1986年に「野望のラビリンス」で小説デビュー。1995年に「鋼鉄の騎士」で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会特別賞を受賞、1997年に「樹下の想い」で恋愛小説にも新境地を開き、1999年に「求愛」で島清恋愛文学賞を受賞、2001年に「愛の領分」で直木賞を受賞した。2017年に「大雪物語」で吉川英治文学賞を受賞している。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。