権八銀座店などで大晦日和のエンター

【銀座新聞ニュース=2017年12月29日】内外に55店のレストランを展開をしているグローバルダイニング(港区南青山7-1-5)は12月31日に「権八G-zone銀座店」(中央区銀座1-2-3、G-zone銀座内、03-5524-3641)など「権八」全店で「和エンターテイメント」を開く。

12月31日夜に「和エンターテイメント」を開く「権八G-ゾーン(zone)銀座店」の店内。

大晦日に「権八」で、和太鼓の演奏やカウントダウンの後には、鏡開きと振る舞い酒を配る。

ウイキペディアによると、旧暦で毎月の最終日を晦日といい、晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(または閏12月)の晦日を大晦日と呼んだ。元々「みそ」は「三十」であり、「みそか」は30日の意味だった。ただし、月の大小が年によって変動するので、実際には29日のこともあった。後に新暦の12月31日を指すようになった。

また、大晦日を大つごもりともいい、「つごもり」は、晦日の別名で「月隠り(つきごもり)」が転じた。日本における大晦日という慣習は、日本文化に古くからある「歳神さま」(としがみさま)、または「歳徳さま」(としとくさま)への信仰に基づく儀礼から生じており、これらは歳徳神(としとくじん)などとも呼ばれるその年1年間を司る神さまである。

年の初めから来られるため、「正月さま(しょうがつさま)」とも呼ばれ、各年によって来られる方向が異なり、その方角は「恵方(えほう)」と呼ばれる。この神さまは神社のような宗教施設ではなく、各家々に訪れると昔から信じられていたため、神さまをお迎えし、食事を共にしたりするために大晦日から「年籠り」(としごもり)をして、元旦も家で過ごすことが一般的であった。

後に歳神さまが家に来られるという観念がほとんどなくなり、一般庶民が正月3が日などに神さまに願いを伝えるためにこちらから神社へ参賀する「初詣」を行うようになった。そのきっかけは、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891(明治24)年の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などを経て、関西の鉄道会社が正月三カ日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝し、これが全国にまで広まったことで、年籠りという習慣は次第に失われたとされている。

日本の平安時代に行われていた大晦日の宮廷儀礼の1つに「鬼やらい」とも呼ばれる「追儺」(ついな)があり、年の変わり目という最大の節分において、「鬼」で表現される良くない何かを追い払うために方相氏(ほうそうし)と呼ばれる恐ろしい扮装・いでたちの導士によって執り行われる古い行事であるが、これが後の節分行事に変化したとされる。恐ろしい姿の演者としては、日本の郷土文化として大晦日や旧正月などに「なまはげ」などが行われている。

大晦日には、さまざまな年越しの行事が行われ、年越しの夜のことを除夜(じょや)ともいう。かつては、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になる、皺が寄るという俗信があった。また、大晦日の伝統的な風習として、年越しそば、除夜の鐘(108つの煩悩を祓う)、2年参り(初詣)、雑煮(古くは、大晦日の夜から1日が始まるため既に新年であり、正月の食事をとる家庭もある)、お年取り(長野県などで行われるごちそうなどを食べる行事)などがあり、神社仏閣や各地方では伝統的な行事が行われている。

銀座店は20時から和太鼓を演奏し、年越し後に鏡開きと振る舞い酒のサービスがあり、「年越しそば」も用意している。西麻布店では、大晦日限定の「神戸牛の握り』も提供する。

営業時間は11時30分から1時。