HARIOが1000万円のガラスギター、大震災復興記念で、村治佳織が監修

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【銀座新聞ニュース=2012年11月29日】耐熱ガラスの大手メーカー、HARIO(ハリオ、中央区日本橋富沢町9-3、03-5614-2101)は11月29日午後、ロイヤルパークホテルで記者会見して、ガラス製のギターを発表した。

HARIO 村治佳織さん

HARIOのガラス製のギターで演奏する村治佳織さん。

HARIOの茨城県古河の工場が2011年3月11日に東日本大震災により、停電したことから、5年も6年も1日も休まずに稼動を続けてきたガラス窯が停止し、生産ができなくなった。その後、6月に工場の稼動を再開し、それを記念して、ガラス製のギターを約1000万円かけて2台生産した。

HARIOとギターの製作を監修したギター奏者の村治佳織(むらじ・かおり)さんが話し合って19世紀に使われた小型のギターを選んだ。村治佳織さんは「普通のギターは1.6キロに対して、ガラス製は3.7キロと重いので、演奏しているうちに疲れてきてしまう」ためとしている。また、本体完成後も、フレッドなどの微調整を繰り返したという。

ガラス製のギターは全体の素材がガラスで、フレッドやトップなどにアクリルを使っている。会見で演奏した村治佳織さんは「音は硬質な感じで、小さいころにはじめた時代を思い出す素朴な音」と表現した。また、弾く際に木のギターよりも、場所をいろいろと変えているという。

ガラス製のギターの生産を指揮した専務の村上達夫(むらかみ・たつお)さんは「希望の音」と呼び、「ガラス製のギター生産そのものに1000万円かかったというよりも、金型などに費用にかかったのが原因」と語る。HARIOではこれまでにチェロ、バイオリンなど12種の楽器をガラスで生産してきたが、ギターは初めて。「東日本大震災から復興を遂げた記念として、みんなが」

こんごは、村治佳織さんはコンサートなどで要望があれば、弾いていきたいとしている。

村治佳織さんは1978年東京都台東区生まれ、3歳ころからギター奏者の父親、村治昇(むらじ・のぼる)さんに師事し、10歳からギター奏者の福田進一(ふくだ・しんにち)さんに師事、1989年にジュニア・ギターコンテストで最優秀賞、1993年にデビューリサイタル、1994年に出光音楽賞、1996年にイタリア国立放送交響楽団の定期演奏会でヨーロッパデビューした。

女子聖学院高校を卒業、1997年からフランス・パリのエコールノルマル音楽院に留学、以降パリで活動し、1999年に帰国、内外で演奏し、2003年にイギリスのクラシックレーベル 「デッカ・レコード(Decca Records)」とインターナショナル長期専属契約を結び、2005年に中国・上海で初のコンサートを開いた。10月に右手後骨間神経麻痺により演奏活動を休止、静養に入り、2006年に復帰した。

スペインのギター奏者、ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ(Joaquín Rodrigo Vidre、1901-1999)の紹介に取り組んでいるが、2011年11月に再び右手後骨間神経麻痺の治療により演奏活動を一時休止、2012年2月に再開している。