【tamaoのOL独り言=2025年5月15日】前回のゴールデンウィーク(GW)の美術展に続き上野の話を書きます。
上野といえばやっぱり上野動物園とか、東京国立博物館や国立科学博物館ですけど、寛永寺(台東区上野桜木1-14-11、天台宗関東総本山)に行ったことがないことに気がつきまして、東京藝術大学大学美術館を見て寛永寺をぐるりと回ってみようと思い立ちました。元々寛永寺って不忍池のところまで領地だったんですね。御朱印(参拝の証し)もたくさんありましたよ。
GWだからなのかと思いましたが、寛永寺創設400年(1625=寛永2=年に創建)ということで地図が作られていて、まず根本中堂に行ってみました。
藝大の展覧会は人がいっぱいでした。根本中堂は参拝客は少なかったのですが、外国の方もおみえでした。でも、外ののんびりした感じと違って中の根本中堂のご本尊のピカピカさに驚きました。写真禁止だったので本堂の写真はないのですが、徳川家の霊廟でありやっぱり凄い。さすが徳川家です。
戊辰戦争(1868年1月27日から1869年6月27日、旧暦慶応4年1月3日から明治2年5月18日)で火事にあったり、政府に没収されたり、関東大震災(1923年9月1日)や太平洋戦争(1941年12月8日から1945年8月15日まで)の東京大空襲(1945年3月10日)もあったので、復興されたのはこの50年ぐらいなのでしょうが、やはり凄い。
つづいて開山堂をお参りして、上野東照宮(1627年創建)に向かいました。東照宮も2014年に修復が終了したようで、外からしか見えませんでしたが、金色殿と言われるだけあって、ピカピカの社殿でした。
そして、そばのお庭にあった御神木の楠の大きなこと!楠のそばに新設された静心所はとても現代的なスペースでした。御神木の楠のほかに銀杏があったそうで、銀杏は防火樹として植えられていてずっと社殿を守ってきたそうですが、さすがに腐朽し、倒壊の恐れがあったためその木を使って静心所が建てられたそうです。
その次の清水観音堂には歌川広重(1797-1858)の「上野清水堂不忍池」に描かれている丸い松の木(月の松)があるんです。
清水観音堂は京都の清水寺(778年創建)の舞台と同じ舞台があって(改築中でしたが)、歌川広重の版画には富士山は描かれていませんが、もしかしたら見えたのかも。江戸時代(1603年から1868年)、一般の庶民は見ることができたのかな?もしかしたらやんごとなき人しか見ることが出来なかったのかも。
その後は不忍池の辯天堂です。不忍池って弁天様がやきもちを焼くからカップルで行ってはダメだという都市伝説もあったせいか、初めて行ったのですが、外国人だらけでした。面白いことに外国の方もご朱印帳を集めているんですね。並んで御朱印をもらっていました。
その後、アメ横で買い物をして帰ったら2万歩も歩いておりました。でもゆっくり回ったし、なんだか新しい体験でそんなに歩いた気はしなかったですね。なんかディズニーランドを回っているみたいでした。これから気持ちのいい日に上野を回られたらよろしいかも。緑も多いし、新たな発見があるかもしれませんよ(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。