新橋演舞場で「東をどり」、芸者が踊りと唄、花柳流が構成

【銀座新聞ニュース=2019年5月16日】東京新橋組合「東をどり実行委員会」(中央区銀座8-6-3、新橋会館、03-3571-0012)は5月23日から26日まで新橋演舞場(中央区銀座6-18-2)で新ばし花柳界による「第95回東をどり」を開く。

5月23日から26日の4日間、新橋演舞場で開かれる「第95回東をどり」のフライヤー。

東京新橋組合に所属する料理茶屋と新ばし芸者が毎年、この時期に新橋演舞場を料亭に見立て、文化を遊ぶというもので、新ばい芸者の踊りと、料亭の味を楽しむ場となっている。

また、新ばし芸者は「花柳流」(家元は5代目花柳寿輔=はなやぎ・じゅすけ=さん)、「西川流」(家元は西川左近=にしかわ・さこん=さん)、「尾上流」(家元は尾上菊之丞=おのえ・きくのじょう=さん)の3つの流派の家元に指導を受けており、東をどりの総合演出も年ごとにひとつの家元に委ねており、今年は花柳流の2代目、花柳寿応(はなやぎ・じゅおう=4代目花柳寿輔)さんが総合構成演出を担当している。

今回は第1幕と第2幕の2部構成になっており、それぞれ2幕から3幕の演技を披露する。第1幕が「長唄吾妻八景 長唄連中」では振付が西川左近さんが手がけ、西川徹(にしかわ・とおる)さんと杵屋栄八郎(きねや・えいはちろう)さんが指導している。

出演する芸者は23日と25日が男役がのりえさんと清乃(きよの)さん。女役が千代加(ちよか)さん、君千代(きみちよ)さん、ちよ美(ちよみ)さん、小優(こゆう)さん、喜美緒(きみお)さん。

24日と26日が男役が小福(こふく)さんと春千代(はるちよ)さん。女役がきみ鶴(きみづる)さん、君二郎(きみじろう)さん、小花(こはな)さん、ぼたんさん、たまきさん。

続いて「清元卯の花 清元連中」で、振付指導が尾上菊之丞(おのえ・きくのじょう)さん、指導が清元菊輔(きよもと・きくすけ)さん。23日と25日が男役が七重(ななえ)さん。女役が三重子(みえこ)さん、秀千代(ひでちよ)さん。

24日と26日が男役が喜美弥(きみや)さん、女役が今千代(いまちよ)さん、くに龍(くにりゅう)さん。

第2幕が「新ばしはるあき 囃子連中 長唄連中 清元連中」で、1.「銀座囃子」が花柳寿応さんが構成、福原百之助(ふくはら・ひゃくのすけ)さんが指導している。出演する芸者は23日と25日が喜美弥(きみや)さん、秀千代さん、千代加さん、のりえさん、きみ鶴さん、君二郎さん、清乃さん、ちよ美(ちよみ)さん、小福さん、ぼたんさん、たまきさん、小優さん、春千代さん。

24日と26日が七重さん、秀千代さん、千代加さん、のりえさん、きみ鶴さん、君二郎さん、清乃さん、ちよ美さん、小福さん、ぼたんさん、小花さん、たまきさん、春千代さん。

2.「新橋五人女」は花柳寿応さんが構成と振付、花柳寿輔(はなやぎ・じゅすけ)さんと杵屋栄八郎さんが指導している。23日と25日が静香(しずか)さん、小喜美(こきみ)さん、小いく(こいく)さん、三重子さん、あやさん。24日と26日が静香さん、小喜美さん、民(たみ)さん、加津代(かつよ)さん、あやさん。

3.「座敷唄メドレー」で尾上菊之丞さんが振付と指導、杵屋栄八郎さんが指導している。さのさ、ぎっちょんちょん、東雲、ステテコ、並木駒形、深川くずし、きりぎりすを唄い、出演する芸者は23日と25日が喜美勇(きみゆう)さん、今千代さん、君千代さん、喜美弥さん、秀千代さん、千代加さん、のりえさん、きみ鶴さん、くに龍さん、君二郎さん、清乃さん、ちよ美さん、小福さん、ぼたんさん、たまきさん、小優さん、喜美緒さん。

24日と26日が喜美勇さん、三重子さん、七重さん、君千代さん、秀千代さん、千代加さん、のりえさん、きみ鶴さん、君二郎さん、清乃さん、ちよ美さん、小福さん、ぼたんさん、小花さん、たまきさん、春千代さん、小夏さん。

4.「廻り灯篭」で花柳寿応さんが振付、花柳寿輔さんと杵屋栄八郎さんが指導している。出演する芸者は23日と25日が今千代さん、千代加さん、きみ鶴さん。24日と26日が三重子さん、秀千代さん、君二郎さん。

5.「祭りの賑わい」で、西川左近さんが振付、清元菊輔さんが指導している。出演する芸者は23日と25日が民さん、加津代さん。24日と26日が小いくさん、喜美勇さん。

最後が「口上/フィナーレ」で2代目西川鯉三郎(にしかわ・こいざぶろう、1909-1983)が1951年に吉原に出向き「お宅の『さわぎ』を東をどりの舞台で踊らせてほしい」と要望し、当時の吉原組合の正式な許可を得て、歌詞を替えて作られた東をどりの名物とされている。このため、構成と振付も当時の2代目西川鯉三郎が担当したものを再現し、芸者衆全員が出演する。

地方(じかた)は4日間とも長唄の唄が照代(てるよ)さん、小玉(こたま)さん、三味線が晶子(あきこ)さん。清元では浄瑠璃が多賀子(たかこ)さん、清葉(きよは)さん、三味線が美葉(みは)さん、ゆめさん、小雪(こゆき)さん。陰囃子が百々香(ももか)さん、ゆいさん。

長唄では唄が照代(てるよ)さん、小玉(こたま)さん、三味線が晶子(あきこ)さん、ゆいさん。清元では浄瑠璃が多賀子(たかこ)さん、清葉(きよは)さん、三味線が美葉(みは)さん、ゆめさん、小雪(こゆき)さん。

現存するおもな「新橋」の料亭としては、「青柳」(中央区銀座8-18-7)、「金田中」(中央区銀座7-18-7)、「吉川」(中央区銀座8-16-6)、「東京吉兆本店」(中央区銀座8-17-4)、「小すが」(中央区築地2-11-5)、「新喜楽」(中央区築地4-6-7)、「立花」(中央区築地4-1-8)。

「松山」(中央区銀座7-16-18)、「やま祢」(中央区銀座7-15-7)、「吉田」(中央区銀座6-16-3)、「米村」(中央区銀座7-17-18)、「わのふ(wanofu)」(中央区築地4-2-10)などがある。

また、今回の「第95回東をどり」では、「味を競う陶箱 松花堂弁当」(税込6000円)は東京吉兆、新喜楽、金田中、米村、松山の5軒が日替わりで味を競う。「料亭の鮨折」(2000円)は東京吉兆、新喜楽、金田中、米村、わのふの5軒が話し合って内容を決めている。「東をどり桟敷膳」(2万2000円)は金田中が担当し、桟敷席と食事を合せた特別鑑賞券(25日と26日の壱の席のみ)として販売される。

東京新橋組合によると、「東(あずま)をどり」とは、明治の頃、芸能を街の色に決めた新ばし芸者が一流の師匠を迎えて踊りと邦楽、技芸をみがき、やがて「芸の新橋」といわれるようになり、1925(大正14)年に新橋演舞場で第1回の東をどりを公演し、大東亜戦争でレンガの壁を残して焼けた演舞場は戦後の復興の中で、「東をどり」の舞踊劇の脚本として、吉川英治(よしかわ・えいじ、1892-1962)、川端康成(かわばた・やすなり、1899-1972)、谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886-1965)、井上靖(いのうえ・やすし、1907-1991)、川口松太郎(かわぐち・まつたろう、1899-1985)らが書いた。

女だけの舞踊劇、台詞の稽古などしたことのない芸者衆の舞台は大きな挑戦で、そうした中でまり千代(まりちよ、1908-1996)というスターが現れる。1948年に戦後復活の東をどりで、男役を務め、凛々しい踊りの名手として「まり千代ブーム」を巻き起こし、東をどりは春秋のふた月の興行となった。

ウイキペディアによると、花街としての「新橋」は、現在の中央区銀座における花街で、昔から「芸の新橋」と呼ばれ、日本各地の花柳界からも一目置かれている。1857(安政4)年に現在の銀座8丁目付近に三味線の師匠が開業した料理茶屋が始まりといわれている。

当時、新橋の芸者(芸妓)の「能楽太夫(のうがくだゆう)」(芸妓の最高位)の名にちなみ「金春芸者」(こんばるげいしゃ)と呼ばれ、「金春新道」沿いに粋な家屋が明治初年まで並んでいた。

明治に入り、江戸期からの花街柳橋とともに「新柳二橋(しんりゅう・にきょう)」と称し、人気の花街となり、明治期に新政府高官が新橋をひいきにして集い、伊藤博文(いとう・ひろふみ、1841-1909)の愛人「マダム貞奴(まだむ・さだやっこ、1871-1946)」、板垣退助(いたがき・たいすけ、1837-1919)の愛人「小清(こせい、後に板垣清子、1856-1874)」、桂太郎(かつら・たろう、1848-1913)の愛人「お鯉(おこい、1880-1948)」らが知られている。また、殺人事件で知られた「お梅(おうめ、1863-1916)」は金春芸者の中ではもっとも有名だった。

大正期になると芸者の技芸の向上に取り組み、1925(大正14)年に新橋演舞場のこけら落とし公演として「東をどり」を初演した。1926(大正15)年度の花柳名鑑によると、今の中央区(当時の京橋区、日本橋区)に組合の事務所を置く芸妓屋は、新橋(当時は京橋区竹川町)、柳橋(日本橋区吉川町)、葭町(日本橋区住吉町)、新富町(日本橋区新富町)、日本橋(日本橋区数寄屋町)、霊岸島(京橋区富島町)と5つあった。

昭和中期には最盛期を迎え、芸者約400人を擁し、高度経済成長期、石油ショック以後には料亭、芸者数が減り、2007年には料亭12軒、芸者70人に減っている。

新橋演舞場は1922(大正11)年に当時の「新橋芸妓協会」が中心となり、新橋演舞場株式会社を設立し、1925年に大阪にある演舞場や京都の歌舞練場を手本に新橋芸者の技芸向上を披露する場として建設され、3階建て、客席数1679席、こけら落しとして「第1回東をどり」が開かれた。銀座にありながら「新橋」と名付けられたのは、新橋芸者の技芸向上を披露する場とされたためという。

開始時間は23日と24日が昼が13時、夜が15時50分の2回。25日と26日が壱の席が11時30分、弐の席が13時40分、参の席が15時50分と3回。料金は桟敷席9000円、1階席7500円、2階正面席と右席6000円、2階左席と3階席2500円。

注:「花柳寿応」の「寿応」と「花柳寿輔」の「寿」は正しくは旧漢字です。