(著者の希望で、今回は熱海での出来事をついて書きます)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2026年1月30日】1月20日、神奈川県横浜市の所用ついでに、静岡県熱海に「弾丸ツアー」を試みた。横浜駅から東海道本線で直通1時間30分、熱海駅に降り立ったのは10時30分、まずは海岸の所在を通行人に聞いて、徒歩で熱海サンビーチに向かった。
20分ほどでとば口に着いて、ホテル街に取り巻かれた砂浜を散策した。中層ビル群が彼方に並ぶビーチはやや通俗化し、海の色はあまりきれいではなかったが、噴水付きテラスなどが設置され、遊歩客にはもってこい。
端まで行って戻り、表の歩道を引き返す途中で、車道を渡った向こうに小さな白いデザイン橋が見え、袂にピンクの花樹が咲き誇っていた。実は駅から少し歩いて商店街を抜けたところにも、ピンクの花木があり、私はてっきり梅だと思い込んでいたのだ。
横断歩道を渡って橋まで行ってみると、小さな川の両岸に7分咲きのどう見ても桜にしか見えない並木がずらり、見上げると、こんもり薄くれないの花弁が垂れ下がり、幹に「あたみ桜」の名称が。日本で一番早咲きの桜で、ひと月間咲き続けるらしい。
まさか1月に花見ができると思ってもいなかった私はびっくり。ゆっくりと花の下を巡り、大感激した。長い人生、1月に桜とまみえたのはこれが初めて、まさに迎春気分で縁起が良く、年女である私は2026年が飛躍の良年になりそうでワクワク、思わぬ天からの贈り物に大感謝した。
折しも北陸は最強寒波が到来、今頃大雪に見舞われているはずだが、熱海は暖かく、日が差して眩しいくらい。花見のあとは海岸のテラスに戻り、白いヨットや観光船、漁船が並ぶ近海を目前に缶コーヒーを飲んで休憩した。
ひと休みした後、とば口まで戻り、尾崎紅葉(1868-1903)の「金色夜叉」ゆかりの「お宮の松」を見ていなかったことを思い出し、引き返した。小さな公園内に枝葉を丸く天に広げる松があり、隣に貫一お宮の像があった。作中の熱海海岸での別れの名場面、貫一が富豪に鞍替えした許嫁お宮を下駄で足蹴にする様が再現されていた。「金色夜叉」のおかげで、熱海は盛況を博し、今ある有名観光地にのし上がったらしく、市としては尾崎紅葉への感謝の意を表して、松の古木をお宮の松とし、貫一お宮像を造成したそうな。
さらに道を引き返し、糸川沿いの桜並木に戻って、正月の桜に再見、3番目の橋で右折した通りが、かの有名な熱海銀座で、商店街を見ながらそぞろ歩きを楽しんだ後、ホテル街の立ち並ぶ表通りから駅に戻った。
賑やかな商店街では、熱海まんじゅうや干物など土産屋が軒を並べていたが、私は抹茶パイを親族用に土産に買った。3時間くらい周遊したが、ハイライトはなんと言っても、1月に目撃したアタミザクラ、2カ月半も早く桜を見れて大感激、まさに新春気分でうきうき、上野東京ラインで横浜に直帰した。
※皆さんにも、お正月の縁起の良い早咲き桜を写真越しにでも愛でていただき、かつ招福として貰いたく、急遽速報としてお届けすることにしました。次号は、延び延びになっていた台湾旅行記の続編です。お楽しみに!(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。

海沿いの小公園内に祀られた「お宮の松」(小説の舞台となった松)と、その脇の貫一お宮像は、尾崎紅葉の流行小説「金色夜叉」ゆかり。「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせて見せる」は、貫一の有名なセリフ。
編集注:ウイキペディアによると、「金色夜叉」は、尾崎紅葉が明治時代に、男女の愛憎や世相を描いた長編小説で、「読売新聞」の新聞小説として1897(明治30)年1月1日から連載が始まり、尾崎紅葉の病気のため断続的に掲載され、1902(明治35)年5月11日までで中断、翌1903(明治36)年10月30日に、尾崎紅葉が病没したため未完成で終わる。その後、熱烈な読者の求めに小栗風葉(1875-1926)が完結編を書いた。
静岡県の熱海海岸で「一生を通して、一月十七日は僕の涙で必ず月を曇らして見せる。月が曇ったらば、貫一は何処かでお前を恨んで今夜のように泣いていると思ってくれ」という場面により、熱海の知名度が高まり、観光都市として発展する契機となり、小栗風葉による金色夜叉の碑が1919(大正8)年8月15日に建てられ、近くにあった「羽衣の松」が1924(昭和9)年頃から「お宮の松」と呼ばれるようになった(現在は2代目)。
貫一お宮の像は1985(昭和60)年1月22日に熱海ロータリークラブにより建てられた。地元は例年1月17日に「尾崎紅葉祭」を開いており、2019年には記念碑を建立した。


