日本橋三越で中原淳一展、「ひまわり」表紙画など400点

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【銀座新聞ニュース=2013年2月4日】日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は2月6日から18日まで新館7階ギャラリーで「生誕100周年記念 中原淳一展」を開く。

日本橋三越で2月6日から18日まで開催される「生誕100周年記念 中原淳一展」に出品される「蝶々夫人」(1976年、絶筆、((C)JUNICHI NAKAHARA/ひまわりや)。

戦前から戦後にかけて、雑誌編集をはじめファッションデザイナー、人形作家、インテリアデザイナー、イラストレーターとした活躍した中原淳一(なかはら・じゅんいち、1913-1983)が若いころから晩年に至るまでの足跡を押さえながら、戦後自ら創刊した雑誌「それいゆ」、「ひまわり」、「ジュニアそれいゆ」により花開いた才能に重点を置いて、雑誌の表紙絵やさし絵、スタイル画などの原画を中心に、人形、付録など約400点を展示する。「ひまわり」表紙原画3点は初公開となる。

また、中原淳一の作品を使用したマグカップ(1680円)、ミニトート(1260円)、復刻ブラウス(2万9400円)などの関連グッズも販売する。

ウイキペディアなどによると、中原淳一は1913年2月16日香川県大川郡白鳥町(現東かがわ市)生まれ、1928年に日本美術学校に入学し、本格的に西洋絵画を学び、1932年に銀座松屋でフランス風人形の個展を開き、雑誌「少女の友」の専属画家として表紙、さし絵を手がけるも、軍部の圧力により、1940年5月号を最後に掲載されなくなる。

1940年に千代田区麹町にグッズを扱う雑貨店「ヒマワリ」を開店し、「きものノ絵本」を通信販売で発行し、宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子(あしはら・くにこ、1912-1997)と結婚し、2男2女が誕生する。1945年3月に招集され、8月に復員し、1946年に神保町で雑貨店「ヒマワリ」を再開し、雑誌「ソレイユ」を創刊し、売れ行きがよく「ヒマワリ社」(後「ひまわり社」)を設立した。

1947年に雑誌「ひまわり」を創刊(1952年に廃刊)、1948年に「それいゆ」臨時増刊として「ジュニア号」を発行、1954年に雑誌「ジュニアそれいゆ」を創刊、1958年に心筋梗塞のため入院し、12月に退院した。1959年7月に脳溢血のため入院、10月に退院、1960年に心臓発作のため入院し、「それいゆ」と「ジュニアそれいゆ」を廃刊、1961年に千葉県館山市で療養生活、1964年にフランスにわたり、半年後に帰国、1970年3月に雑誌「女の部屋」を創刊、体調悪化により廃刊し、1972年に脳血栓で倒れ、館山市で療養生活し、1983年4月19日に亡くなった。

開場時間は10時から19時(最終日は17時30分)まで。入場料は一般、大学生800円、中学、高校生600円。小学生以下無料。