丸善日本橋で九谷焼展、浅蔵五十吉、宮本晄ら、実演も

【銀座新聞ニュース=2019年5月27日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は5月29日から6月4日まで3階ギャラリー特設会場で「第3回九谷焼展 先人たちの英知を受け継ぎ、進化しつづける」を開く。

丸善・日本橋店で5月29日から6月4日まで開かれる「第3回九谷焼展 先人たちの英知を受け継ぎ、進化しつづける」に出品される作品。左上から宮本雅夫さんの「緑彩真麗線文四方鉢」(税別60万円)、左下が三浦晃禎さんの「青華色彩更紗文 角皿」(50万円)、右が浅蔵一華さんの「香炉 牡丹」(8万円)。

「石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会」(石川県能美市泉台町南13、石川県九谷会館、0761-57-0125)などが後援するイベントで、日本の色絵陶磁の代表的な「九谷焼(くたにやき)」は360年の歴史があり、「呉須(ごす)」と呼ばれる藍青色で線描きし、「五彩」と呼ばれる赤、黄、緑、紫、紺青の5色で絵の具を厚く盛り上げて塗る彩法で、絵柄は山水、花鳥など絵画的で上絵付けが特徴的とされている。

今回は2018年に第41回伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞した、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会副理事長の宮本雅夫(みやもと・まさお)さん、加賀九谷理事長で、同連合会副理事長、九谷焼伝統工芸士会会長の山本篤(やまもと・あつし)さんら16人の陶芸家が花器、茶わん、香炉、酒器などの美術品から湯呑、皿などの日用品まで、現在活躍する九谷焼の巨匠から若手作家の作品を展示販売する。

今回、出品するのは宮本雅夫さん、山本篤さんのほか、日展評議員、日本現代工芸美術作家協会評議員の浅蔵五十吉(あさくら・いそきち)さん、その長女で伝統工芸士の浅蔵一華(あさくら・いっか)さん、その夫で伝統工芸士の浅蔵宏昭(あさくら・ひろあき)さん、伝統工芸士の井上雅子(いのうえ・まさこ)さん、川上真子(かわかみ・まこ)さん。

「第3回九谷焼展」のフライヤー。一部の出品者と略歴、作品を載せている。

木戸優紀子(きど・ゆきこ)さん、野上映翠(のがみ・えいすい)さん、伝統工芸士の宮本晄(みやもと・あきら)さん、2015年に第18回日本伝統工芸士会作品展で経産省中部経済産業局長賞(3等)を受賞した、伝統工芸士の三浦晃禎(みうら・てるただ)さん、伝統工芸士の山中国盛(やまなか・くにもり)さん。

「株式会社加賀陶苑芳岳工房」の山本浩二(やまもと・こうじ)さん、その弟で、2018年に第41回伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞した山本秀平(やまもと・しゅうへい)さん、山本秀平さんの父親で「株式会社加賀陶苑芳岳工房」の伝統工芸士の山本芳岳(やまもと・ほうがく)さん、伝統工芸士の針谷絹代(はりや・きぬよ)さん。

ウイキペディアなどによると、九谷焼は石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器で、大聖寺藩領の九谷村(現石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、加賀藩の命により、藩士の後藤才次郎(ごとう・さいじろう、1634-1704)を佐賀・有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年ころ)、藩の殖産政策として、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりとされる。

しかし、約50年後(18世紀初頭頃)突然、廃窯となり、窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、1号窯、2号窯と呼ばれる2つの連房式登窯と、19世紀に再興された吉田屋窯の跡が残っており、この間に焼かれたものは、現在「古九谷(こくたに)」と呼ばれている。

古九谷の廃窯から、約1世紀後の1807年に加賀藩が京都から青木木米(あおき・もくべい、1767-1833)を招き、金沢の春日山(現金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。 同じ頃、能美郡の花坂山(現小松市八幡)で、新たな陶石が発見され、今日まで主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、1819年に磁器を、1820年に陶器を、それぞれ移入禁止にした。

1832年ころに小野窯に陶匠として招かれる、寺井村(現能美市寺井町)生まれの九谷庄三(くたに・しょうざ、1816-1883)は能登の火打谷(現志賀町)で、能登呉須と呼ばれる顔料を発見し、後の九谷焼に多大な影響を与え、1840年ころに故郷に戻り、寺井窯を開いた。ヨーロッパから入った顔料を早い時期から取り入れ、彩色金欄手を確立し、庄三風と呼ばれる画風は後にヨーロッパに輸出される九谷焼の大半に取り入れられることになる。

明治時代に入り、九谷焼は主要な輸出品となり、1873年のオーストリア・ウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると同時にヨーロッパの技法も入り込んだ。1872年ころから型押しの技術が九谷焼にも取り入れられ、1892年ころから、獅子を始めとする置物の制作が盛んとなり、大正時代になると型が石膏で作られるようになり量産化が進んだ。

また、明治維新による失業士族の授産施設として1872年に誕生した金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平(すなこ・きちへい、生没年不詳)、初代諏訪蘇山(すわ・そざん、1851-1922)らの参加を得て成果を上げ、1876年には「石川県勧業場」と名を改めた。1887年に金沢工業学校(現石川県立工業高校)が開校し、次代の陶芸家が育成されるようになった。

現在、九谷焼は陶器と磁器があり、上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」と呼んでいる。陶器は原料が陶土(粘土)で、温かみがあり、全体に厚くぽってりした感じで、指ではじくと、鈍い音がする。一方の磁器は原料が陶石(石の一種)で、白く堅い感じがあり、薄くて軽くて丈夫で、指ではじくと「チン」と金属質の音がする。

また、茶わんの「わん」の漢字は「苑(本来は草冠がない)」と「皿」を合わせる、「石」と「宛」を合わせる、「土」と「宛」を合わせる、「木」と「宛」を合わせる4種類があり、「皿」のわんは基本的にフタがない茶碗をさし(後世にはフタ付もある)、「抹茶わん」などに使われている。「石」の茶わんはフタ付の磁器、「土」の茶わんは素焼きでフタ付の器、「木」は木製のフタ付の漆器をさしている。

期間中、29日から6月4日まで山本篤さん、山中国盛さん、三浦晃禎さん、山本浩二さん、山本秀平さん、針谷絹代さんが来場する。

川上真子さんは29日から31日、浅蔵宏昭さん、宮本晄さん、木戸優紀子さんは6月1日から4日、井上雅子さんは3日と4日、野上映翠さんは1日のみ来場する。

その際に、宮本晄さん、三浦晃禎さん、山本秀平さん、木戸優紀子さん、井上雅子さんが実演する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)、入場は無料。

注:「山中国盛」の「国」は正しくは旧漢字です。