日本橋三越で第75回春の院展、川崎麻央、西岡悠妃ら、田渕理事長も

【銀座新聞ニュース=2020年3月25日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は3月25日から4月6日まで本館7階催物会場で「第75回春の院展」を開く。

4月6日まで開かれる「第75回春の院展」で、全作品集の表紙に採用されている広島市立大学名誉教授の倉島重友(くらしま・しげとも)さんの「微風(そよかぜ)」。

第75回春の院展は、「日本美術院春季展賞(郁夫賞)」が東京芸術大学日本画教育研究助手の川崎麻央(かわさき・まお)さんの「国来、国来」、「日本美術院春季展賞」が日本美術院院友の西岡悠妃(にしおか・ゆうひ)さんの「花トバ」、外務大臣賞が愛知県立芸術大学准教授の吉村佳洋(よしむら・よしひろ)さんの「融点」が選ばれている。

今回は出品点数が343点、入選点数が308点、うち、初入選が34点となっている。入選作の308点が展示される。また、初入選の作家コーナーを会場中央に設けるとともに、日本美術院理事長(代表理事)の田渕俊夫(たぶち・としお)さんの1969年の第24回院展春季展で入選した作品「神々とオスラ」を特別展示している。

田渕俊夫さんのHPによると、「オスラとはヨルバで月のことです。実家の四畳半の狭いアトリエ兼寝室で時間があれば絵を描いていました。春の院展に4、5点の絵を出品しましたが、やっと入選するようになり、絵を描くのが楽しくて仕方なかったころです。この絵は第24回院展春季展に入選した絵ですが、他のどの絵が入選してもおかしくない位に一生懸命描いた時期」と回想している。ヨルバとはナイジェリア南西部とベナン南部を中心に居住する民族とその言語のことで、田渕俊夫さんは自らナイジェリアを旅行している。

特別展示される田渕俊夫さんの「神々とオスラ」(1969年、おかざき世界子ども美術博物館蔵)。

ウイキペディアによると、「日本美術院」は1898年に岡倉天心(おかくら・てんしん、1863-1913)が東京美術学校を排斥されて学校長を辞職した際に、自主的に連座して辞職した横山大観(よこやま・たいかん、1868-1958)らが岡倉天心の計画する美術研究の構想に賛同し、同年7月に美術研究団体としての 「日本美術院」を東京・谷中大泉寺(谷中初音町)にて結成したのがはじまりとされている(1952年に東京都の文化史蹟に指定され、現在、岡倉天心記念公 園として岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地碑が建てられている)。

同年10月に落成開院した日本美術院は日本絵画協会と連合して「日本美術院展覧会(院展)」を開いた。以後、日本絵画協会と合同で春秋2回、絵画展覧会を開くも、1900年秋季の展覧会が最盛期で、以後、資金の欠乏、院の内紛、綱紀の乱れなどが原因で徐々に沈滞するようになった。

1905年に茨城県・五浦海岸へ別荘(六角堂)を建設した岡倉天心は、 1906年に第1部(絵画)と第2部(彫刻)を改組し、第1部を五浦海岸へ移転させるが、当時、岡倉天心はフェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853-1908)の紹介でボストン美術館中国・日本美術部に入っており、五浦とボストンを往復するうちに日本美術院への興味を失っていった。また、第2部は国宝修理も行うことから1914年に「美術院」と改称し、1965年に「財団法人美術院」となり、2013年に「公益財団法人美術院」となった。

1910年に岡倉天心がボストン美術館中国・日本美術部長として渡米すると、日本美術院は事実上の解散状態となった。1914年に文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ横山大観や下村観山(しもむら・かんざん、1873-1930)らは、1913年に岡倉天心が没したことを契機に、その意志を引き継ぎ、谷中上三崎南町に研究所を建設し(現在公益財団法人「日本美術院」がある)、日本美術院を再興した。

現在、日本を代表する日本画の美術団体として活動を継続している。日本美術院には日本画のほかに洋画部(1920年9月に脱退)と彫刻部(のち「彫塑部」と改称し、1961年2月に解散)も加わったが、現在は日本画のみになっている。

日本美術院展覧会(院展)は、1914年10月に日本橋三越旧館で「日本美術院再興記念展覧会」を開き、これが現在、東京都美術館で9月に開かれている日本美術院展覧会(院展)の第1回展にあたり、1944年、1945年を除き、毎年秋に開催されてきた。

日本美術院展覧会を開催できなかった1945年11月に「日本美術院小品展覧会」が日本橋三越で開かれ、こちらは第2回展から毎年春に開かれることになり、1959年に「日本美術院春季展覧会」と改称され、1970年からは「春の院展」として現在まで毎年開かれている。1958年5月に日本美術院は財団法人化され、2011年4月に公益財団法人化され、2014年に再興100周年を迎えた。

時間は10時から18時30分(最終日は17時30分)。入場料は一般・大学生800円、高校生・中学生600円 (小学生以下は無料)。

注:「川崎麻央」の「崎」は正しくは「大」が「立」です。

注:「吉村佳洋」の「吉」は上の「士」は正しくは「土」です。