丸善日本橋で江口智己、鈴木しのぶら「向付の器」展

【銀座新聞ニュース=2026年3月27日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は4月1日から7日まで3階ギャラリー特設会場で江口智己さんらによる「一服一献と向付」展を開く。

丸善・日本橋店で4月1日から7日まで開かれる「一服一献と向付」展のフライヤー。

今回は茶(一服)と食(一献)、酒と食にあわせて、それぞれを結ぶ器の「向付(むこうづけ)」とされる小皿などを出品する。丸善では「うつわが作る刻と景色をご高覧ください」としている。

出品するのは、江口智己さん、鈴木しのぶさん、「陶房 聖窯(ひじりがま)」(愛知県瀬戸市)を主宰する貫井(ぬくい)美保子さん、「陶工房 扇屋」(神奈川県鎌倉市)を主宰する渡辺信史(しんじ)さんの4人。

「DiscoverJapan」によると、「向付」は茶懐石で最初に出されるお膳の上で、飯碗と汁椀の“向こう側”に置かれるうつわ、もしくはそのうつわに盛られた料理を指す。もともとは、なます、近年では刺身が多い。茶懐石では料理を食べた後に向付を取り皿として使うため、茶事の趣向や季節感を表す重要な役割を担ったとしている。

33センチから36センチ四方のお膳で供されていた向付は、飯碗、汁椀とともにお膳にのるサイズであれば形に決まりはない。料亭では季節などに合わせて作家に発注するケースも一般的で、魚や葉っぱなど自然のモチーフを模した向付も多い。

その歴史的な流れについては、1336年頃から1573年頃の茶人・千利休(1522-1591)以前の室町時代(1336年から1573年)は本膳料理の1品として使われていたが、1522年から1591年頃には千利休が確立した「一汁三菜」の「菜」を担うとされた。

1615年から1624年頃には存在感のある織部焼(桃山時代の1605年頃に岐阜県土岐市付近で始まり元和年間(1615年から1624年)まで、主に美濃地方で生産された陶器のこと)の向付が現れている。

1579年から1647年頃には茶人・小堀遠州(1579-1647)により「綺麗さび」というスタイルが流行した。1603年から1869年頃には「向付」の名称が現れ、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼物とする形式が確立した。1801年から1900年には今日の懐石料理における献立の8割方が標準化され、懐石料理がほぼ完成したとしている。

和食では、形や材質の異なるうつわを取り合わせるのが基本で、汁椀が漆器、めし碗が陶器なら向付は磁器にするなど統一感とは真逆の美意識をもっている。

江口智己さんは1971年東京都生まれ、武蔵野美術大学空間演出デザイン学科を中退、1995年に愛知県瀬戸市の窯元「霞仙陶苑」に入社、1999年に瀬戸にて独立し、2003年から千葉県富津市で制作している。

鈴木しのぶさんは新潟県十日町市生まれ、1992年にアメリカのアイオワ州ノースウェスタン大学美術専攻を卒業、同年にパッケージ会社に勤務し、1996年に愛知県立窯業高等技術専門校デザイン科を修了、1998年に愛知県立窯業高等学校陶芸専攻科を卒業、1999年から2年間、中米のエルサルバドルに滞在し、陶芸指導(JOCV)をし、2005年から栃木県宇都宮市で作陶している。

貫井美保子さんは東京都文京区生まれ、2001年に愛知県立窯業高等技術専門校を卒業、瀬戸市に「陶房 聖窯(ひじりがま)」を構えて制作している。

渡辺信史さんは千葉県我孫子市生まれ、1997年に武蔵野美術大学短期大学部工芸デザイン専攻科陶器コースを卒業、同年に「九つ井 陶郷(ここのついど すえのさと)」(神奈川県)の陶器の制作スタッフとして入社、2006年に独立、「陶工房 扇屋」(神奈川県鎌倉市)を主宰し、現在、駒沢女子大学非常勤講師。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。