【ケイシーの映画冗報=2024年9月12日】本作「ソウルの春」(2023年、12.12: The Day)は、オープニングで「本作は実話をモチーフにしたフィクションである」という一文が示されます。登場人物の名前こそ架空とされていますが、1979年の10月26日、側近によって現職の大統領が暗殺されたことをきっかけに、12月12日に起きた「粛軍クーデター」あるいは「12・12軍事反乱」と呼ばれる事件をテーマとした韓国映画です。
大統領の暗殺事件により、政治体制に混乱の起きた韓国で、暗殺事件の捜査を指揮する保安司令官のチョン・ドゥグァン(演じるのはファン・ジョンミン=Hwang Jung-min)は、これを機会に軍部内で自身の権力を拡大していきます。「ハナ(ひとつの)会」を率いるドゥグァンは自分の意のままに動く部下を軍の要職に置き、自身の発言力を強めていくのでした。
その一方、ドゥグァン司令官から距離をおく首都警備司令官イ・テシン(演じるのはチョン・ウソン=Jung Woo-Sung)は、「ハナ会」の強化に警戒感を強めます。やがて、ドゥグァンと「ハナ会」が一部の部隊を率いて反乱を起こします。首都ソウルには銃声が轟き、情報が混乱する中、断固として反乱を鎮圧しようと奮闘するテシンでしたが、権力と政治のうねりによって、残酷な現実に直面することになります。
20年ほど前ですが、韓国を旅行したことがあります。朝鮮戦争(1950年6月25日から1953年7月27日)の休戦から半世紀を経たとはいえ、準戦時下ということから、国際空港には軍用ライフルを持った警備隊がおり、北朝鮮との境界線である38度線では、数メートルまで近寄らないと判別できないほど、入念に偽装された韓国軍のコンテナを見つけ、敵対勢力の存在を意識した国家であることを実感しました。
隣国ということもあってか、あまりイメージできないのですが、基本的に成年男子に兵役が義務化され国であり、かつ建国時から、政変やクーデターがいくつも起きているのが韓国なのです。
本作の大きなモチーフとなっている1979年の韓国大統領暗殺ですが、このときの現職大統領も、クーデターで大統領となり、殺されるまでの16年間、政権を維持し、強硬な路線で民心の反感を買う結果となっています。
1979年12月12日、本作の軍事クーデターの現場に、監督のキム・ソンス(Kim Sung-su)は直面していたのです。
「事件の現場の真横に住んでおり、銃声が聞こえたのを鮮明に覚えている」(2024年8月16日付読売新聞夕刊)ということで、その瞬間の緊迫感を実感していたのです。映画的な省略はあまりなされておらず、セリフのある出演者だけでも約60人、軍人たちがメインなので制服姿、かつ事件そのものが夜間から未明ということから、暗がりの深い映像ということから、難解な部分はあるのはいなめません。
「50年近く前の事実をそのまま伝えるだけの作品であってはならない。映画である以上面白いものにしなければならない」と語るキム監督の言葉どおり、事件の渦中にあって「だれが敵でだれが味方か?」という心理的なサスペンスに引きこまれていきます。
すでに歴史的事実となっているので触れますが、「ハナ会」のクーデターは流血の末、成功しています。
「本作の題材になった事件自体は1979年に起きたものですが、1990年代まではクーデターの首謀者たちが権力の中枢に居すわってきました。そのため、このような映画の題材にすること自体が、長い間タブー視されてきたんです」(いずれもパンフレットより)とキム監督が意識してきたように、指導者層は物故しているものの、関わった人々には、存命の人物もおられますから、完全な過去とはなっておらず、日本の歴史小説の泰斗の言葉を借りれば“なまがわき”なのです。
“反逆者”でありながら、つねに周囲を仲間に囲まれ、独善的、高圧的にふるまう保安司令官のチョンですが、ときおり、弱気な一面を見せるところがあり、単なる権力欲だけの人物にはなっていません。
「ハナ会」の組織力に、首都の治安を担って孤軍奮闘するイ司令官は、高潔で、他者を寄せつけない風情を漂わせるなか、家族との交流をかいま見せたりと、対照的なキャラクターとなっています。
なお、韓国軍では敬礼時に「忠誠(チュンソン)」という掛け声を発します。「ハナ会」も鎮圧部隊もおなじ言葉です。しかし片方は暴力によって現体制を終わらせ、自分たちが権力を掴んでいます。
「だれに対しての“忠誠”なのか?」、鑑賞中にふと、そんな疑問も浮かびました。“愛国心”や“忠節”といった言葉には、完全な単一性はないのですから。次回は、「エイリアン:ロムルス」を予定しています。(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。
編集注:ウイキペディアによると、「ソウルの春」は1979年10月26日に韓国の朴正煕(パク・チョンヒ、1917-1979、1963年12月17日から1979年10月26日まで大統領)大統領が暗殺された10・26事件の直後から翌1980年5月17日の非常戒厳令拡大措置までの民主化ムードが漂った政治的過度期を指し、チェコスロバキアの「プラハの春」(1968年)に由来する言葉である。
1979年に国軍保安司令官に就任した全斗煥(チョン・ドゥファン、1931-2021、1980年9月1日から1988年2月24日まで大統領)少将の「粛軍クーデター」と「光州事件」の武力鎮圧で挫折したが、1987年の6月民主抗争で民主化がすすんだ。
1979年10月26日に朴正煕暗殺事件が起きると、暗殺を実行した韓国中央情報部(KCIA)部長の金載圭(キム・ジェギュ、1926-1980)を逮捕、処刑(1980年5月24日)するなど全斗煥少将が合同捜査本部長として事件の捜査を指揮した。
しかし、その過程などで陸軍参謀総長兼戒厳司令官の鄭昇和(チョン・スンファ、1929-2002)大将と対立を深め、1979年12月12日に、先手を打ってハナ会(ハナフェ、1964年に全斗煥が陸軍士官学校=陸士=第11期生と陸士卒業生のうち主として嶺南出身の優秀な将校を糾合して結成した軍内私組織)メンバーと共にクーデターを実行し、鄭昇和を逮捕した。当時の大統領の崔圭夏(チェ・ギュハ、1919-2006、1979年12月8日から1980年8月16日まで大統領)はこれを黙認せざるを得ず、クーデターは成功し、軍及び政権の実権を掌握した(粛軍クーデター)。
文民出身の崔圭夏大統領が1980年2月28日に発表した公民権回復措置によって、それまで政治活動を規制されていた金大中(キム・デジュン、1924-2009、1998年2月25日から2003年2月24日まで大統領)や尹普善(ユン・ボソン、「普」は左にサンズイがつく、1897-1990、1960年8月13日から1962年3月22日まで大統領)など反体制派人物の政治的自由が翌2月29日に回復した。
これにより、新民党総裁の金泳三(キム・ヨンサム、1927-2015、1993年2月25日から1998年2月24日まで大統領)、在野指導者で1971年大統領選挙における新民党候補者であった金大中、民主共和党総裁の金鍾泌(キム・ジョンピル、1926-2018、1971年6月4日から1975年12月18日と1998年3月3日から2000年1月12日まで国務総理)の所謂「三金」が、次期大統領に名乗りを上げ政治活動が本格化、学生運動や労働運動も活発化した。ソウル市内の高層ビルで青瓦台(大統領府)に向いた窓のブラインドが一斉に撤去された。
その後、民主化運動が活発化する一方で、全斗煥や第9師団長の盧泰愚少将(ノ・テウ、1932-2021、1988年2月25日から1993年2月24日まで大統領)を中心とする新軍部勢力は政治への関与の動きを公然化させた。1980年4月14日、当時、保安司令官であった全斗煥が中央情報部部長代理に就任し、民主化勢力に大きな衝撃を与えた。一方で学生デモが学園から街頭へと拡大し、労働運動も炭鉱労働者による舎北事件の発生など過激化するようになると、社会には不安な空気が醸し出された。
こうした中、与野党は5月12日、5月20日に臨時国会を召集し、10・26事件以降続いてきた戒厳令の解除を決議することで一致、金泳三、金大中、金鍾泌の「三金」も民主化推進で共同歩調を採った。これに危機感を抱いた新軍部は、5月17日午前に全軍主要指揮官会議を招集し、事態の悪化を避けるため断固とした措置(戒厳令全国拡大)を取ることを決議、軍の政治への関与を明らかにした。
同日夜の臨時国務会議で、戒厳令の全国拡大(それまで済州道は対象外であった)を決議させ、これによりすべての政治活動は禁止され、全国の大学は休校措置が採られた。同時に金大中を戒厳令布告違反で逮捕、続いて金鍾泌や李厚洛(イ・フラク、1924-2009、1970年12月21日から1973年12月3日まで中央情報部部長)、朴鐘圭(パク・チョンギュ、1930-1985、1964年5月17日から1974年8月15日まで大統領警護室室長)など朴政権の主要人物を不正蓄財容疑で逮捕した。また学生運動や労働運動の指導部、民主化運動の中心人物も逮捕された。こうして新軍部勢力が事実上、権力を掌握したことで、「ソウルの春」は終息した。
映画「ソウルの春」の登場人物と実在の人物の関係は「チョン・ドゥグァン」が全斗煥、「イ・テシン」が張泰玩、「チョン・サンホ」が鄭昇和、「ノ・テゴン」が盧泰愚。2023年11月22日に韓国で公開され、韓国内で1300万人以上という2023年公開の映画で最高の動員を記録した。