デーモンの肖像(中編小説3)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2024年11月22日】私はだらりとカメラを下ろすと、ついに禁忌を犯した。男が描いた絵は必ず褒めなければならないとの長年の鉄則を破って、やむにやまれぬ衝動からぶっつけていたのだ。

「あなたは、こんな絵を描いちゃいけない」
「なに、今なんと言うた」
作品を拒絶され、男は一転、剥き出しの赤ら顔になって、鬼のような形相で突っかかってくる。

「あなたは病気なのよ、だから、ね、お願い、私と一緒に病院に行って、後生だから」
男の剣幕にたじろぎながらも、私は懇願せずにはいられない。彼は病んでいるのだ、自殺未遂を幾度となく繰り返し、まともな精神状態じゃない。

挙句が滅びゆく自画像の窮極、壮絶な最期を襖に描き撲って、傑作と自賛してやまない。鬼才芸術家の狂気などという綺麗事では済まされない。このままでは、彼は本当に滅んでしまう、その切羽詰まった危機感から、私は泣きながらすがりついていた。

「ね、お医者様に診てもらおう、ねっ、ね」
「俺を監禁病棟にぶち込みたいんか、お前なんぞもう一緒に暮らせん、とっと出てけ、今すぐ別れよう、二度と戻ってくるな」

男は座卓に置いた飲みかけのボトルをひったくると、喇叭(らっぱ)飲みし始めた。

「やめて、もうそれ以上飲まないで」
瓶の取り合いになる。

ウィスキーの瓶が畳に叩きつけられ、真っ二つに割れて、琥珀色の液体が溢れ出す。男の凶暴な腕力で弾き飛ばされた私は、茶室から無理矢理叩き出される。

廊下に倒れ込んだ私の目の端に、半開きの引き戸越しに、睡眠薬の白い錠剤が入った小瓶を呷り、ウィスキーで飲み下す狂乱の画家が見える。千鳥足で正気を失っている。

私は泣きながら、家を飛び出す。こうなってはもう、最後の手段、後輩の手を借りるしかない。彼は、私たちのアトリエ兼邸宅から、15分と離れていないところに住んでいるのだ。

崇敬する先輩画家の度重なる狂言自殺、「2泊3日の大騒ぎ」には、彼はまたかと辟易するだろう。しかし、もう彼のほかに、男を助けられる者は誰もいない。男の暴れ狂う衝動を抑えるには、長年連れ添った同居人の私ですら、あまりに無力だ。女の私ではどうすることもできない。もう、こんな思いはたくさんだ。

私は着の身着のまま家を飛び出す。そして、非常時の常で、少し離れた街路脇の電話ボックスに駆け込むと、SOS発信をした。20分とたたぬうちに飛んできた後輩画家に、私は今夜は帰らないと駄々をこねる。彼は必死になだめすかそうとするが、私は頑としてきかない。戻る気は失せていた。もうたくさんだ。ただ、ただ、逃げ去りたい衝動に抗(あらが)えなかった。

「駅前のホテルに泊まるから、お金貸してください」
臆面もなく要求する私に彼は諦めたように、ズボンのポケットを探って万札を1枚取り出し、私に握らせた。私はひったくるようにして、背を向ける。

「明朝、必ず電話下さいよーっ」

後輩の切迫した声が背に飛ぶが、私は返事をしない。ただ逃げるようにその場を走り去ることしか考えていなかった。

私自身もまともな精神状態じゃなかった。昂った神経のまま、とにかく一刻も早く、男のいない世界に逃れ去りたかった。それは自衛本能、己を守るために取らざるを得ないやむにやまれぬ衝動、正当防衛ともいうべきものだった。背中に飛ぶ声を無視して振り返らずに、やみくもに駆け出した。
(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)