リコー画廊でC・ブル「ハリウッド」展、ガルボ、リー、ゲーブルら

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【銀座新聞ニュース=2014年7月7日】リコー(中央区銀座8-13-1、03-6278-2111)グループのリコーイメージング(板橋区前野町2-35-7)が運営するギャラリー「リコーイメージングスクエア銀座」(中央区銀座5-7-2、三愛ドリームセンター、03-3289-1521)は7月9日から8月3日まで8階ギャラリーゾーン「A.W.P」でクラレンス・シンクレア・ブルによる「レジェンド・オブ・ハリウッド(The Legend of Hollywood)」を開催する。

アメリカ・ハリウッドの映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)のヘッドフォトグラファーとしてスターたちの姿を撮影し、女優グレタ・ガルボ(Greta Garbo、1905-1990)の専属写真家を務めたクラレンス・シンクレア・ブル(Clarence Sinclair Bull、1896-1971)のビンテージプリントの中から約30点を展示販売する。

ハリウッドのサイレント映画期、トーキー映画初期の伝説的スター、グレタ・ガルボ、「クール・ビューティー(cool beauty)」と賛美されたグレース・ケリー(Grace Patricia Kelly、1929-1982)、映画「風と共に去りぬ」(1939年)で主役のスカーレットを演じたヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh、1913-1967)、「キング・オブ・ハリウッド」の異名をもつ大スター、クラーク・ゲーブル(Clark Gable、1901-1960)ら1930年代から1940年代にかけてのハリウッドの黄金時代と呼ばれる時代を築き上げたスターたちのモノクロプリントを展示する。。

ウイキペディアによると、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)は1924年に3社の映画スタジオが合併し「MGMスタジオ」として設立された。MGMの由来は1915年創業の「メトロ・ピクチャーズ(Metro Pictures Corporation) 」、1917年創業のサミュエル・ゴールドウィン(Samuel Goldwyn、1879-1974)の「ゴールドウィン・ピクチャーズ」、1918年創業のルイス・B・メイヤー(Louis Burt Mayer、1884-1957)の「ルイス.B.メイヤー・ピクチャーズ(Louis B.Mayer Pictures)」の3社の名前をとったもので、親会社は当時最大の劇場チェーン「ロウズ」社だった。

心臓疾患を持ちながら24時間編集室を出ないといわれ、「ボーイ・ワンダー(神童)」と謳われたアーヴィング・タルバーグ(Irving Grant Thalberg、1899-1936)が初期作品を一手に手がけ、最初期のミュージカル映画「ブロードウェイ・メロディ」が大ヒットし、タルバーグ亡き後も多数の所属スターによる豪華なキャスティングや豪華なセットと衣装、音楽をつぎ込んだ「大作主義」でミュージカル映画全盛期の1950年代まで隆盛を極めた。

その後、メイヤーがスタジオに独裁体制を敷き、1930年代には「芸術のための芸術」をモットーに、ライオンが咆哮するトレードマーク「レオ・ザ・ライオン」が生まれた。メイヤー体制下のMGMは多数の大スターを擁し、「空の星の数よりも多いスターたちがいる」がキャッチフレーズだった。またメイヤーは同時に子役スターの育成にも力を入れた。第2次世界大戦時には、メイヤーの主導で戦時プロパガンダ的な作品を多数制作した。

戦後の1946年にレコード事業に参入したが、ロックンロールの波に乗れず、1972年にポリグラムへ売却した。その後、巨大になりすぎた豪華な「大作主義」を中心とした方針は時代の流れに乗れず、1960年代から次第に衰退し、1973年に配給部門を整理し、「ユナイテッド・アーティスツ」(UA)が配給権を掌握した。しかし、UAは「天国の門」の失敗により経営破綻し、1981年にMGMが逆にこれを吸収して「MGM/UA」になった。

1986年にテッド・ターナー(Ted Turner3、1938年生まれ)さん率いる「ターナー・ブロードキャスティング・システム」(TBS、現タイム・ワーナー傘下)傘下になり、版権の大部分がターナーに移り、残されたのはUA制作の作品と少数のMGM作品だった。しかし、取引銀行はMGMの巨額の負債を理由にこの買収を支持しなかったため、実質UAの後継会社となった「MGM/UA」を買収から74日後に再度カーコリアンに売却した。

1996年に前社長で大投資家のカーク・カーコリアン(Kirk Kerkorian、1917年生まれ)さんが株を買い戻し、元のMGMに復帰、1997年に復興後のオライオン・ピクチャーズを傘下に収めた。2005年にソニーをはじめとする投資家グループ(コンソーシアム)が「MGM/UA」を買収、UA作品の続編とリメークを中心にソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント (SPE)との合作が頻繁に行われるようになった。

2006年11月にUAのトップにトム・クルーズ(Tom Cruise)さんとパートナーのポーラ・ワグナー(ー(Paula Wagner)さんが就任したが、数本の映画を制作した後、2008年8月に退任した。2010年10月に債権者による投票で採択された再建案により、アメリカ連邦破産法第11条の適用を申請し、投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下の新興映画制作会社スパイグラス・エンターテインメントの支援で再建を図っている。

クラレンス・シンクレア・ブルは1896年アメリカ・モンタナ州生まれ、ミシガン大学を卒業、その間、地方紙のために記事写真を撮り続け、1917年にハリウッドで、メトロ・ピクチャーズ(MGMの前身)のアシスタント写真家を務め、1920年にサミュエル・ゴールドウィンに雇われ、スタジオでスターの宣伝写真を撮り始め、1924年にMGMのスチール写真部門のヘッドフォトグラファーとなり、1929年から1941年までグレタ・ガルボの専属写真家として、彼女の作品をほとんど撮り続けた。1971年に逝去した。

開場時間は11時から19時(最終日は16時)。毎週火曜日が定休。入場料は510円(税込)。