京都再訪で源光庵と鞍馬寺、歴史あるパワースポットを堪能(157-2)

(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2024年11月8日】京都旅ルポ(前回は9月20日付154回、https://ginzanews.net/?page_id=68836)の続編をお届けする。

知る人ぞ知る、血天井の穴場・源光庵の境内。

7月16日に高速バスで京都に到着し、翌17日に祇園祭や高雄の神護寺を参拝したところまで前回でお伝えした。

18日はホテル「京都シティガーデンズ」を早めにチェックアウトして荷物を預けたあと(有料で300円)、京都駅からの市バスに乗って、源光庵(京都府京都市北区鷹峯=たかがみね=北鷹峯町47、075-492-1858)に向かった(市バスで45分、230円)。源光庵は京都市にある曹洞宗の寺院で、山号は鷹峰山(ようほうざん)、本尊は釈迦如来である。

京都には寺社が多数あり、観光名所となっているが、源光庵については、ご存知ない方がほとんどではないかと思う。かくいう私も、テレビの旅番組(BS朝日の「あなたの知らない京都」)を観るまでは知らなかった。目玉は「血天井」である。

血天井とは何か、その名の通り、血の天井、血痕の染み付いた天井のことである。由来は、安土桃山時代(1568年から1600年)の慶長5(1600)年の関ケ原の戦いの前哨戦、伏見城の戦いに遡る。小早川秀秋(1582-1602)らが率いる西軍と伏見城を守っていた鳥居元忠(1539-1600)の東軍が戦い、元忠は西軍の攻撃に持ちこたえるもついに力尽きて、380人の一党とともに自刃したのだ。そのときに一族郎党の夥(おびただ)しい血潮に染まった伏見城の床板を移築し、天井にして供養したのが、血天井のそもそもの由来だ。

源光庵奥の仏間の手前の小部屋の天井を仰ぐと、赤黒い血の痕がくっきり残り、震撼させられた。

本堂に入り、回廊を辿って、奥の仏間に入ると、そこの天井がまさに血痕がありありと残る血天井であった。特に手前の小部屋の天井がすごい。くっきりと赤黒い血の跡が残り、手の跡や足跡らしきものまで窺える。

380人の血の川の染み込んだ跡が424年もの長年月を経て、現代人の肉眼ではっきり見て取れるほど残されているとは。まさに歴史の証に震撼させられた。無念の切腹を遂げた武士一派はこのような形で現代に遺ることで、成仏したのだろうか。まだ怨念が残っているような気がして、首が痛くなるまで血天井を仰ぎ続けた。

他に源光庵の見どころとしては、手前の座敷の四角く切り取られた「迷いの窓」と、丸い「悟りの窓」があったが、畳に柵があって近づけず、テレビの旅ルポの女優(賀来千香子)のように丸窓越しの丹精された庭園を見ながら、瞑想することは叶わなかった。丸くくり抜かれた窓から覗く青々とした樹々の借景もそれなりに美しかったが、紅葉の季節には燃えるような深紅に染まり、さぞかし綺麗だろと想像した。

駅に戻り、コンビニで昼食用の菓子パンを買って、次なる目的地へ向かう。帰路の金沢行きバスは真夜中0時近くとはいえ、これから叡山電鉄線で鞍馬寺(くらまでら、京都府京都市左京区鞍馬本町1074、075-741-2003)へ遠出するので、時間に余裕があるとはいえない。

源光庵の悟りの丸窓と、迷いの四角窓。

6年くらい前に貴船神社(紅葉の名所にあるパワースポット、京都府京都市左京区鞍馬貴船町180、075-741-2016)を訪ねたことがあったが、ちょうど台風が通過したあとで(2018年の台風21号)、電車は終点の鞍馬寺まで行かず、思いを残していたのだ(貴船神社に向かう途上の山肌も、倒木が累々と連なり、強台風の爪痕に息を呑んだものだ)。

バスで出町柳に向かい、そこから徒歩で叡山電鉄駅に行き、終電までのチケットを買い(片道470円)、乗り込んだ。台湾や中国の旅行者のほとんどは手前の貴船神社で下車、私は紅葉時はさぞやと思われる青々とした樹林のトンネルをさらに抜けて、終着駅へ。

小さな駅の構外には、鼻の長い赤い鞍馬天狗の巨大面が飾られていた。京都盆地の北に位置する鞍馬寺参観の拠点となる同駅は、いかにも山奥といった感じのひなびた佇まい。そこから、土産物屋を過ぎてケーブルカー乗り場へ(ケーブル普明殿=山門駅、片道200円)。

神護寺(じんごじ、京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5、075-861-1769)で懲りたので、丹塗りの灯籠(とうろう)が並ぶ石段を上がって、仁王門を潜り、ケーブル乗り場で車両に乗って山頂のお寺をめざすことにしたのだ。ちなみに、このケーブルカーは寺院そのものが経営する、いわば日本では唯一の宗教法人管轄の鞍馬山鋼索鉄道である。

叡山電鉄の終点、鞍馬寺駅構外には、長い鼻の鞍馬天狗の紅面がシンボルのように飾られていた。

多宝塔駅で降りたあと、脇に丹塗りの灯籠の立つ細い参道を過ぎて、少し山路を歩いて境内にたどり着いた。鞍馬寺は、京都市にある鞍馬弘教の総本山て、山号は鞍馬山、本尊は「尊天」と言われる毘沙門天王、それに千手観世音菩薩、護法魔王との三身一体神である。開山は770(宝亀元)年、鑑真(688-763)の高弟・鑑禎(がんてい、生死年不詳)と言われ、巷に知られるところでは、牛若丸(源義経=1159-1189=の幼名)が修行した場として有名だ。

本殿の金堂は、六芒星(ろくぼうせい)ゆかりのパワースポットとして名高い。金堂前の金剛床(こんごうしょう)は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅(六芒星)を模し、内奥に宇宙のパワーを蔵す人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっていると、鞍馬寺のホームページにはあった(詳細は末尾の注参照)。

山奥の境内には神聖な霊気が流れ、貴船神社と並んでパワースポットとして高名なのもうなずける。裏の石段を上がったところにある奥の院の魔王殿はさらに強力なパワーが流れているらしかったが、参拝し損ねた(650万年前に金星から降臨したとされるサナート・クマラ=魔王尊を祀る)。

帰りもケーブルに乗るつもりで下り始めたが、中国からと思われる旅行者の後についていくうちに、徒歩で降りる羽目になってしまった。しかし、途上小さな寺社がいくつもあって、素晴らしい道行になった。

ケーブルで10分、山路を少し歩くと、鞍馬寺に。広い境内は、樹々の霊気に満ちて、パワースポットとして名高い。

行きはケーブルでわからなかったが、こんなにもたくさんの見どころ(小さな滝もあって風光明媚)があるのだと感に入った。行きはつづら折り参道で厳しい道程らしかったが、帰りは下りなのでそれほどしんどくないし、徒歩で降りて大正解だった。

由岐神社(ゆきじんじゃ、京都府京都市左京区鞍馬本町1073、075-741-1670))をはじめ、風情ある小社や寺社群の佇(たたず)まいを大満喫して、スタート地点に降りたあと、周辺のひなびた町中を川沿いに散策、観光客の姿はほとんどなく、美しい京風の家並みを愛でられた。玄関を、緑のつる系植物が飾り、涼しげで、京都の民の美意識の高さに感激した。

予定通り、2寺参拝を終えてホテルに戻ったのが、21時過ぎ、それから2時間余遅い夕食も兼ねてロビーで過ごし、荷物を引き上げ、京都駅に向かった。時間的にもちょうどよく、旅の虫のうずきを癒した満足感に浸りながら、ライトアップされた京都タワーを仰ぎつつ、バス停へ。

何度も訪ねた京都だったが、今回もまた新しい顔を見せてくれた。古都はまだまだ奥行きが深い。歴史の軌跡を垣間見る興味深い旅になったことに感謝した。

〇脚注
鞍馬寺で特に注目されているのは、本殿金堂の前にある六芒星の形をした「金剛床」だ。六芒星は直径約2メートルの大きさで、中央には魔王尊(サナート・クマラ)と毘沙門天王、千手観音菩薩を表す三角形が描かれ、もっとも神聖な部分とされ、この図形を踏むことは禁じられている。

鞍馬寺参拝後、駅周辺の民家を散策。軒下にはつる系植物の緑が涼やかで、町民の美意識に感激した。

ちなみに、六芒星は、古代から続く神秘主義や神聖幾何学において重要な意味を持つ図形で、上向きの三角形(天界や精神世界)と下向きの三角形(地上の物質界)が組み合わされている。

宇宙の微細なバランスと深い調和を象徴し、精神と物質、男性性と女性性、光と闇などの二元性を統合、完全な調和と統一を示唆しているという。三角形を踏まないようにここに立つことで、宇宙エネルギーとの深い繋がりを感じ、心身のバランスを整えることができるとされている。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)