大丸松坂屋画廊で「抽象画」展、須田剋太、難波田龍起ら

【銀座新聞ニュース=2026年3月19日】国内百貨店業界2位の流通グループ、J.フロントリテイリング(中央区八重洲2-1-1)傘下の大丸松坂屋百貨店(江東区木場2-18-11)が運営するアートギャラリー「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3572-8886)は3月19日から25日まで難波田龍起らによる「抽象がつなぐ時間」を開く。

大丸松坂屋百貨店の「Artglorieux GALLERY OF TOKYO(アールグロリュー ギャラリーオブトーキョー)」で3月19日から25日まで開かれる「抽象がつなぐ時間」のフライヤー。

今回は、洋画家の須田剋太(すだ・こくた、1906-1990)、洋画家の難波田龍起(なんばた・たつおき、1905-1997)、画家の三津繁郎(みと・しげお)さんをはじめとする抽象画の作家の作品を通して、世代や時代の異なる抽象表現の作品を一堂に展示する。

戦後、美術の中で独自の表現を切り拓いた作家たちは、形や色、素材と真摯に向き合いながら、それぞれの作品を築き、その姿勢や思考は、時代を越えて後の作家たちへと受け継がれている。「Artglorieux GALLERY OF TOKYO(アールグロリュー ギャラリーオブトーキョー)」では「一つひとつの作品が持つ時間の重なりを感じながら、抽象という表現の豊かさと奥行きをお楽しみください」としている。

ウイキペディアなどによると、須田剋太は1906年埼玉県北足立郡吹上町(現在鴻巣市)生まれ、1927年に埼玉県立熊谷中学校(旧制、現埼玉県立熊谷高等学校)を卒業、独学で絵を学び、1936年に文展で初入選、(1939年特選)、1947年に朝井閑右衛門(あさい・かんえもん、1901-1983)らと「新樹会」を創設、1949年に抽象絵画の旗手、長谷川三郎(1906-1957)と出会い、国画会に入り、抽象画の道へ進み、1950年に森田子龍(1912-1998)編の「書の美」に論文を発表し、以後「墨美」や墨人会同人との交流を通して書に深く傾倒した。

1955年に第3回日本抽象美術展に出品し、1957年に第4回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品、1960年に第1回個展を開き、1962年に西宮市民文化賞、1971年に司馬遼太郎(1923-1996)に同行し、没する寸前まで「街道をゆく」の挿絵を担った。1975年に郷里の吹上町文化賞、1983年に「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞、1989年に埼玉県立近代美術館にすべての抽象の油彩画、グワッシュの合計293点を寄贈し、1990年に油彩画45点、グワッシュ320点、挿絵1858点の計2223点の作品を大阪府に寄贈し、1990年7月14日に84歳で死去した。

難波田龍起は1905年北海道旭川市生まれ、1923年に早稲田第一高等学院に入学して、高村光太郎(1883-1956)に出会い、美術に関心を抱き、早稲田大学政経学部に入学するもその後、中退、洋画家の川島理一郎(1886-1971)に師事し、1929年に国画会に初入選し、1936年に「アヴァンギャルド芸術家クラブ」の結成に参加、1937年に「自由美術家協会」の創設に参加、1938年に同協会の会員となり、戦後は「抽象画家」として活動、現代日本美術展や日本国際美術展などでも活躍した。

1959年に自由美術家協会を退会し、以後は個展を中心に活動、1971年に紺綬褒章(以後5回受章)、1987年に毎日芸術賞、1995年に北海道新聞文化賞、1996年に文化功労者として表彰され、1997年に92歳で逝去した。

三津繁郎さんは1981年神奈川県生まれ、2007年に多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業、2009年に大学大学院美術研究科絵画学科油画専攻を修了、さまざまな素材を用いて抽象絵画を制作し、「光」を捉えるという原初的な欲求に従い、自身の意識を超えていくものを絵として追求している。

開場時間は10時30分から20時30分(最終日は18時)まで。