ヴァニラでナチズムに抵抗したベルメール展、ドローイング、版画

【銀座新聞ニュース=2021年3月19日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル地下2階、03-5568-1233)は3月20日から28日までハンス・ベルメールによるコレクション展「BELLMER」を開く。

ヴァニラ画廊で3月20日から28日まで開かれるでハンス・ベルメールによるコレクション展「BELLMER(ベルメール)」に出展される作品。

ドイツ・カトヴィッツ(現ポーランド領カトヴィツェ)生まれで、絵画、写真、人形、グラフィックなどで活躍したシュルレアリストのハンス・ベルメール(Hans Bellmer、1902-1975)のドローイング作品や版画作品を展示する。

ヴァニラ画廊では「切除と分裂から生まれる肉体の知覚的イマージュ、心理学的夢想のイマージュが混じり合う、鮮烈な作品」としている。

ハンス・ベルメールは1902年生まれ、父親が裕福な技師で後にナチス党員となった。1921年に父親に対する反抗的態度のため、一時期矯正目的のため、炭坑や製鉄所での労働を強いられた。1923年にベルリン工科大学に入学するも、1924年にダダイストとの交遊が始まり、大学を中退し、植字工見習いとして働き、小説の表紙や挿絵を手がけた。1926年にベルリン郊外のカールスホルストに印刷やデザインを請け負う事務所を開き、1928年にマルガレーテ(Margarethe)と最初の結婚をし、1932年にマルガレーテの病気療養のためチュニジアとイタリアに滞在した。

1933年にナチスが政権を掌握すると、抗議のため社会貢献としての職業を放棄、フリーのアーティストとなり、最初の人形制作に着手し、皮膚が破れ、もとの木枠をむき出しにした人形を制作した。1934年に写真集「人形」を自費出版し、アンドレ・ブルトン(Andre Breton、1896-1966)らパリのシュルレアリストの賞賛を受け、シュルレアリスム機関誌「ミノトール」の表紙を飾った。

1935年にベルリンのカイザー・フリードリヒ美術館にて展示されていた16世紀のドイツの球体関節を持った木製の人形と出会い、球体関節人形の制作をはじめ、ドイツの情勢を支持する仕事はしないと宣言し、ナチズムへの反対を表明した。関節人形の制作では、人体を変形させた形態と型破りなフォルムを表現し、当時ドイツで盛んだった「健全で優生なるアーリア民族」を象徴する行き過ぎた健康志向を批判した。

1938年に妻マルガレーテが死去し、春にはナチスの脅威を逃れ、パリへ移住した。1939年9月に第2次世界大戦が勃発すると、南フランスのミユ収容所に抑留され、1940年に解放され、南フランス・カストルにとどまり、1942年にフランス人女性マルセル・セリーヌ・シュテール(Marcel Celine Stehr)と再婚し、1943年に双子の女児をもうけた(1947年に離婚)。1946年に往信不通だったドイツの家族との連絡が再開され、父の死を知る。

ジョルジュ・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897-1962)の小説「眼球譚」の銅版画によるさし画に取りかかり、1953年に戦後初めてドイツに一時滞在し、女流作家のウニカ・チュルン(Unica Zurn、1916-1970)との交際が始まり、1954年よりパリで同棲し、1957年に著書「イマージュの解剖学」を刊行した。1958年にウニカ・チュルンをモデルとした緊縛写真を撮影し、その中の1点が「シュルレアリスム・メーム」誌の表紙を飾る。1969年に脳卒中で倒れ、入院し、半身不随となり、1970年に、1957年頃より統合失調症の症状を示し、入退院を繰り返していたウニカ・チュルンが投身自殺する。1975年2月にがんにより亡くなる。

開場時間は12時から19時(土・日曜日、祝日17時)まで。入場料は800円。無休。入場に際してはマスク着用、検温などがある。時間指定有のチケット制で、定員制で1時間単位で入れ替えとなる。ライブポケット(https://t.livepocket.jp/t/te9i_)を通じて予約する。