銀座ニコンで宇井真紀子がアイヌのアシリレラ展

【銀座新聞ニュース=2011年8月14日】ニコン(千代田区丸の内3-2-3、富士ビル、03-3214-5311)が運営する銀座ニコンサロン(中央区銀座7-10-1、03-5537-1434)は8月17日から8月30日まで宇井真紀子さんによる「アイヌ、風の肖像」を開催する。

写真家の宇井真紀子(うい・まきこ)さんが2011年5月10日に写真集「アイヌ、風の肖像」(新泉社、2940円)を刊行したのを記念して、写真集から選んだ作品カラー20点、白黒30点を展示する。

宇井真紀子さんは北海道の二風谷(にぶたに)で暮らすアイヌの女性、アシリレラ(日本名、山道康子=やまもち・やすこ)さんを中心に、伝統的な茅(かや)ぶきのチセ(家)で、アイヌ文化を学びながら共同生活を送る人びとを1992年から約20年間にわたり、娘を連れて東京と二風谷を往復し、家族のように傍らで暮らしながら撮影してきた。

写真集「アイヌ、風の肖像」は宇井真紀子さんが「人間の力のおよばない存在」を感じることで、人は謙虚に生きられると受け止め、アシリレラさんたちと共に過ごした日々から自らの心にしみてきた思いや世界観を表現した作品集だ。

アシリレラさんは北海道の二風谷で生まれ、父親から山で薬草や毒草、食草の見分け方、山菜や木の実について学び、母親からはそれらの保存方法や料理の仕方、薬草のせんじ方、桜やこぶし、桃の木の枝を水に漬けておくと毒素を吸い取って浄化してくれる、といったことを学んだ。また、男の仕事であるチセ(かやぶきの竪穴式の家)の造り方も父親から学んだ。

結婚して子どもをもつが、主を事故で亡くし、28歳の時に二風谷で土産物屋をはじめるも、10年後に閉店し、1991年ころに「山道アイヌ語学校」を設立し、1984年から建設がはじめられてきた二風谷ダムの反対運動を展開するも、1997年に二風谷ダムが完成した。現在、10人以上の子どもを養子にして共同で生活している。世間からはシャーマン、女性祈祷師、活動家、学校の先生ともいわれている。

ウイキペディアによると、アイヌは日本とロシアにまたがる北方先住民族で、中世以降、日本人はアイヌを蝦夷(えみし)、北海道を蝦夷地(えぞち)と称してきた。

アイヌの歴史はアイヌ文化の成立をはじめとするが、アイヌ文化は文字を持たなかったため、文献史料が十分ではなく、北海道、樺太で13世紀に成立したと考えられている。17世紀に松前藩が日本の漁場として北海道の開拓をはじめ、19世紀には和風化政策がとられ、1854年の日露和親条約締結により北海道が日本領、得撫島(うるっぷとう)以北の千島列島がロシア領に決められた。

1875年にロシアとの間で樺太千島交換条約が締結され、樺太をロシア領、千島列島全域を日本領とされ、1878年に開拓使がアイヌの呼称を「旧土人」で統一し、これ以降さまざまな禁止政策をとり、1905年に日露戦争に日本が勝利し、ポーツマス条約により、樺太の南半分が日本に返還され、1875年に北海道に移住した樺太アイヌのうち336人が故郷に戻った。しかし、1945年に旧ソ連により樺太と千島が占領された。

一方、二風谷ダムの建設途中で「二風谷ダム建設指し止め訴訟」が起こり、1997年に裁判で原告の訴えが棄却されたものの、アイヌ民族を国の機関としては初めて先住民族として認め、裁判費用も国と北海道収用委員会が負担した。同年に「アイヌ文化振興法」が成立され、「北海道旧土人保護法」が廃止され、さらに、2008年にアイヌを先住民族として認める国会決議が衆参両院とも全会一致で可決された。

宇井真紀子さんは1960年千葉県生まれ、1983年に武蔵野美術大学を卒業、1985年に日本写真芸術専門学校を卒業、フリーの写真家として活動をはじめ、1992年よりアイヌ民族を子連れで取材し、2004年まで取材した記録をまとめた「アシリ・レラ:アイヌ スピリッツ(ASIR RERA:AINU SPIRITS)」で、第4回さがみはら写真新人奨励賞を受賞している。現在、日本写真家協会会員、日本写真芸術専門学校講師、武蔵野美術大学非常勤講師。

開場時間は10時から19時(最終日は16時)、入場は無料。