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【銀座新聞ニュース=2014年11月20日】ミキモト(中央区築地1-8-9、03-5550-5678)は11月21日から12月30日までミキモト本店(中央区銀座4-5-5、03-3535-4611)の6階ミキモトホールで「銀座から世界へ、世界からギンザ(GINZA)へ『銀座と共に歩むミキモト』展」を開催する。

11月21日から12月30日までミキモト本店で開催される「銀座から世界へ、世界からギンザ(GINZA)へ『銀座と共に歩むミキモト』展」に展示される1899年から1906年頃の御木本真珠店の移転の軌跡。左から1899年、1906年(現在の本店地と同じ)、1902年の時の店舗の模型。
1899年に西洋文化の中心地であった銀座にミキモトが日本初の真珠専門店として「御木本真珠店」を開設して以来、115年の歳月を銀座と共に歩み、宝飾文化を発信し続けてきた軌跡や、銀座の地で果たしてきた役割を探る展示会だ。
ミキモトを中心に時代ごとに異なる表情の「銀座」を、当時の写真や映像、貴重な資料とともに紹介する。山野楽器やパウリスタ、資生堂など、銀座中央通りに面した店舗の昔の姿も展示する。
「シンス(Since)1899-銀座進出」コーナーでは1899年に日本初の真珠専門店として銀座・京橋区弥左衛門町(現銀座4丁目並木通り)に「御木本真珠店」を開設し、1902年に元数寄屋町(現銀座5丁目晴海通り)に移転しており、銀座出店の背景を、出店当時のイラストや広告、地図などを通して立体的に解説する。
「『真珠色の店』から世界へ」コーナーでは1906年に現在の店舗がある銀座通り(銀座4丁目)に移転し、和風建築が多い当時の銀座で「真珠色の店」と呼ばれる白い石造りの洋館を開店した。そのモダンな店舗を再現し、当時の店内の様子や装飾品のデザインの歴史などを紹介する。
「流行と文化の中心地-大正から昭和初期」コーナーでは、銀座の街に多くの店が出店し、「銀ぶら」という言葉ができるほど文化や流行の中心地として賑わった大正から昭和初期にかけての華やいだ時代を、当時の写真やさまざまな店の資料を使って見せる。山野楽器の展示では、松井須磨子(まうち・すまこ、1886-1919)の「カチューシャの唄」(1914年)と佐藤千夜子(さとう・ちやこ、1897-1968)の「東京行進曲」(1929年)を聴くことができる。
「新たな街への変貌-1950年代から1970年代」コーナーでは、戦後、銀座通り沿いには近代建築が揃い、銀座は新しい街に変貌したが、当時の写真や映像などから、銀座の街の移りかわりを説明する。
「銀座の灯を一日たりとも消すな-復興」コーナーでは、1923年に発生した関東大震災や、1945年の東京大空襲により、打撃を受けた銀座の街について、「銀座の灯を一日たりとも消すな」と叱咤した御木本幸吉(みきもと ・こうきち、1858-1954)の言葉に象徴されるように、銀座の商人の心意気をかけた銀座の復興の軌跡を紹介する。
「ウィンドウからのメッセージ」コーナーでは、1974年に現在の本店が開設された際、店舗の銀座通り側の壁面にはショーウインドウが設けられ、さまざまなメッセージが発信され、1980年には「第1回ショーウインドウ優秀店」に選ばれている。「銀座の街との交歓」とも言える歴代のウィンドウドーディスプレイを紹介する。
「新たなスタートに向けて」コーナーでは、2020年の東京オリンピックに向けて、2017年に新たに生まれ変わる「ミキモト本店」の完成予想図などを使って説明する。
ウイキペディアによると、「銀ぶら」は近代に入って、銀座が商業都市として著しく発展したことを背景に、この風俗や言葉が生まれ、1918年の服部嘉香(はっとり・よしか、1886-1975)と植原路郎(うえはら・ろろう、1894-1983)編「新らしい言葉の字引」」(実業之日本社)には「銀ブラ 銀座の街をぶらつく事」と記されており、これが現在のところ、「銀ぶら」に言及したもっとも古い文献と見られている。
1924年の水島爾保布(みずしま・におう、1884-1958)「新東京繁昌記」(日本評論社)では、この言葉を使いだした人物として、慶応義塾大学の学生など複数の説を紹介している。
また、「銀座のコーヒー店・カフェーパウリスタでブラジルコーヒーを飲むこと」という説もあるが、「三省堂国語辞典 第7版」では、「銀ぶら」の項目で「もと、銀座でブラジル コーヒーを飲むことだったという説はあやまり」と否定している。
開場時間は11時から19時。入場は無料。期間中は無休。

