【銀座新聞ニュース=2015年7月1日】東京放送グループ傘下のスタイリングライフ・ホールディングス(新宿区北新宿2-21-1、新宿フロントタワー)の子会社、マキシム・ド・パリ(中央区銀座 5-3-1、ソニービル)は6月30日に閉店した。
閉店したのはマキシム・ド・パリとケーキショップ7店舗で、1966年の開店以来、49年目にしてフランス料理店としての「マキシム・ド・パリ」の名前が日本から消える。
ただ、二子玉川ライズ・ショッピングセンターの「コート・ド・ルージュ ターブル」、渋谷ヒカリエの「コート・ド・ルージュ ロティ」、名古屋名鉄百貨店6階の「サロン・ド・テ マキシム・ド・パリ」のカフェ・喫茶は運営を続ける。
JCASTニュースによると、スタイリングライフ・ホールディングスでは「今後思うようにマキシムブランドを成長させていくのが難しいと感じ、閉店を決断した」としている。
マキシム・ド・パリは1893年にフランス・パリにウェイターだったマキシム・ガイヤール(Maxime Gaillard)が現在のコンコルド広場とマドレーヌ寺院を結ぶロワイヤル通りの真ん中あたりにあったアイスクリーム店を買い取り、2万ドルをかけて装飾した小さなビストロとしてスタートした。
その後、ギャルソン上がりでホテルの支配人にまでなったウージェーヌ・コルニュシェ(Eugene Cornuche.)が買い取り、当時の流行に合わせ、イギリス風に「マキシムズ(Maxim’s)」と店名を変え、店内をアール・ヌーボー様式に改装すると、紳士淑女で賑わい、中でもオペレッタ(Operetta、セリフと踊りのあるオーケストラ付きの歌劇)の作曲家で知られるフランツ・レハール(Franz Leha、1870-1948)の歌劇で取り上げられて知れ渡った。
1913年にフランスの詩人、ジャン・コクトー (Jean Cocteau、1889-1963)はマキシムを「ベルベット、レース、リボン、ダイヤモンドの固まりで、それ以上に私には描写できない」と語った。
1932年に「ノエル・ペテルス(Noel Peters)」のオーナー、オクターヴ・ヴォーダブル(Octave Vaudable)がマキシムを買収し、顧客を選び、著名人と富裕層に限定し、1936年1月20日にイギリス国王に即位し、12月11日に退位し、その後、ウィンザー公爵(The Prince Edward、Duke of Windsor)と名乗ったエドワード8世(Edward 8、、1894-1972)、フランスの詩人、マルセル・プルースト(Valentin Louis Georges Eugene Marcel Proust、1871-1922)、ジャン・コクトーらが通い、劇作家のジョルジュ・フェドー (Georges Feydeau、1862-1921)が「マキシムの貴婦人」というコメディを書いた。
オクターヴ・ヴォーダブルの息子のルイ・ヴォーダブル(Louis Vaudable)が経営を引き継ぐと、さらに世界的なレストランとなり、1970年代には女優のブリジット・バルドー(Brigitte Bardot、1934年生まれ)さんが裸足で入店し、騒ぎを引き起こすなど、話題をさらった。
1981年にルイの息子、フランソワ・ヴォーダブル(Francois Vaudable)はマキシムをファッションデザイナーのピエール・カルダン(Pierre Cardin、1922年生まれ)さんに売却し、現在もピエール・カルダンさんがオーナーで、1979年に歴史的建造物に指定されたマキシムの上階で世界中で買い集めた550点以上のコレクションを一般公開している。
日本では1966年にソニーの創業者の盛田昭夫(おりた・あきお、1921-1999)がライセンス契約を結んで、銀座に本格的なフランス料理店として開業した。パリのマキシムの内装、サービス、雰囲気をそのままに銀座にもってきたとされている。
パリのマキシムは長年、ミシュランの3つ星を獲得していたが、1977年ころにミシュランから2つ星への格下げを打診されたことから掲載を拒否し、以来、格付けを拒否している。このため、日本のマキシムでもミシュランの調査を受け入れていないことから、格付けの対象外となっていた。
