圧巻の藤田宜永「鋼鉄の騎士」、村山由佳の官能小説もお薦め((177)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2026年4月7日】久々に書評を試みたい。最近読んだ本をアトランダムにご紹介する。

双葉社から2009年に刊行された日本推理小説協会賞受賞全集79の「鋼鉄の騎士」(下巻)。上巻はよれよれの貸出新潮文庫で読んだが、下巻は同じ貸出でも、双葉社刊のほとんど新品同様の文庫で読めてよかった。

まず、故人作家で、私とは遠縁にあたる藤田宜永(よしなが、1950-2020)から。昨年11月、郷里福井の県立図書館内のふるさと文学館で催された「没後5年展」に赴いたことについては、既にご報告した通りだ。その折の展示や早川書房編集者のゆかり講演を聞いて、初めて初期のミステリー冒険小説に手を出してみた。

1995年に第48回日本推理作家協会賞(長編部門)及び、第13回日本冒険小説協会特別賞(黄金の鷲部門大賞)を同時受賞した、超大作「鋼鉄の騎士」(1994年新潮社、1998年文庫化)である。

2500枚という大長編だけに、読み終えるのに時間がかかったが、壮大なスケールで展開される大傑作で圧倒された。40代後半から恋愛小説に転向した故人の真骨頂はこっちの方だったかと、それまで恋愛小説ばかりを読んできた私としては、改めて目を見開かされる思いだった。

20代の頃のフランス遊学体験を活かして、1930年代のパリを舞台にした冒険スパイ小説で、主人公は左翼運動に挫折した若き日本人自動車レーサー。白熱物のカーレースが作中繰り広げられ、メカ音痴の私ですら、臨場感迫る描写にまるで本物のレースを見ているかのような興奮を覚え、充分楽しめた。

エンタメ要素ばかりでない。膨大な文献を渉猟して書かれただけあって、当時の時代・歴史・政治背景が詳らかな信ぴょう性を持って活写されており、第2次世界大戦(1939年9月1日から1945年9月2日)やスペイン戦争(1936年7月17日から1939年4月1日に第2共和政期のスペインで発生した内戦)、ヒトラー(Adolf Hitler、1889-1945年4月30日)やスターリン(Iosif Vissarionovich Stalin、1878-1953年3月5日)が君臨する社会の裏で暗躍するスパイたちと、スケールのでっかい政治・社会小説でもある。共産主義や革命の定義についても新たに学ばされ、知的好奇心をそそる面白さだった。

フィクションとはいえ、ヒトラーとスターリンの密約など、そうであったかもしれないと思わせる、つい鵜呑みにしそうな、故人曰く「大きな嘘」が展開され、オーバーヒートするカーレースと相まって、読者をスリリングな世界にいざなってくれる。

古地図の資料を入手しただけでなく、現地体験からくる土地勘で、パリ市内の地名、通りの名前など逐一正確に記され、並でない取材力である。この大作を30代後半から40代にかけて4年かけて書いたとあったが、その若さでここまでスケールのでかい冒険小説をものにするのは、並大抵の手腕でないと、天才ぶりに圧倒された。

主な登場人物は30人ほどだが、メインの何人かを除いてはほとんど外国人で、まるで翻訳小説を読んでいるかのようだが、違和感がなく、すんなり入ってくる。ただただすごいと唸らされた次第。超おすすめの最高傑作、ぜひ紐解いて欲しい。

ヘミングウェイの死後刊行された遺作「移動祝祭日」では、若い頃のパリにおける文学修業時代が、カフェでの多彩な交友とともに回想され、小説指南書としても読める。

次はご存知、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899-1961)。最近また再読し出したのだが、若い頃読まなかった「武器よさらば」(原題「A Farewell to Arms」、1929年アメリカで初版、2006年新潮文庫、高見浩=1941年生まれ=新訳)や、「誰がために鐘は鳴る」(原題「For Whom the Bell Tolls」、1940年アメリカで初版、2006年新潮文庫の高見浩訳で名作コレクションの一環として刊行)ら戦争小説の醍醐味、不朽の名作の素晴らしさを存分に味わわせてくれる。

ジャーナリスト(イタリアやスペインでの従軍記者=特派員歴あり)でもあった巨匠の戦争描写の巧みさ、戦時下の悲恋と、たくまざる手腕にさすがと唸らされる。現代版の新訳者(過去に読んだときは大久保康雄=1905-1987=訳だった)は高見浩だが、大作家の力量に見合うだけの達者さで、日本語表現がこなれて実にうまい。

晩年の遺作となった「移動祝祭日」(原題「A Moveable Feast」、1960年完成したが、生前未発表で、1961年の死後3年経った1964年に初版、2009年新潮文庫、高見浩訳)は、ヘミングウェイが20代前半パリにあった修業時代をスケッチ風に綴ったもので、1920年代の芸術の都に吹き荒れる熱い文学旋風が、同時代の作家群の登場とともに、体感できる。

カフェに集う画家、詩人、小説家など、特にヘミングウェイとフィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald、1896-1940)との交流エピソードが面白い。「日はまた昇る」(原題「The Sun Also Rises」、1926年初版、1955年新潮文庫、大久保康雄訳が名訳だが、高見浩による新訳版は2003年刊)の冒頭の何ページかが、フィッツジェラルドの意見を取り入れてカットされた事実を初めて知って、興味深かった。

村山由佳の2009年トリプル受賞に輝いた「ダブル・ファンタジー」。タブーを取り払った露骨な性描写が迫力の恋愛官能小説の極み。

最後に村山由佳(1964年生まれ)。「ダブル・ファンタジー」(2009年、文藝春秋)は、恋愛官能小説の傑作で、2009年第4回中央公論文芸賞、第16回島清恋愛文学賞、第22回柴田錬三郎賞とトリプル受賞の快挙を成し遂げた。

最近話題になった「PRIZE(プライズ)」(2025年1月、文藝春秋)が図書館で順番待ちで、その間旧作のこちらを借りてみたのだが、性描写の巧みさ、タブーのないあからさまな表現に圧倒された。若い頃の放蕩(?)経験から来るものだろうが、ここまで臆面もなく書ける力量はさすがである。恋愛につきものの切なさもあって、この女流はやはり、男と女を書かせたら、特に露骨とも言える官能描写においては、右に出るものがないかもしれない。

伊藤野枝(のえ、1895-1923)と大杉栄(1885-1923)を描いた「風よあらしよ」(2020年、集英社、2021年第55回吉川英治文学賞)も超面白く、おすすめである。プロ作家の直木賞争奪戦をテーマにした「PRIZE」、こちらも文壇のタブーに挑戦したものらしいが、順番が来るのがひたすら待ち遠しい(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。