「2020年」(8.サバイバルゲーム<アルン・カプール(在ィンド旅行代理店経営)>

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年2月5日】アルン・カプールは29歳、北西インドのアウランガバードでトラベル・エージェンシーを経営して3年になる。大学卒業後、ムンバイのコールセンターで5年間働いていたが、不規則な夜間勤務で体を壊し、生地のアウランガバードに帰郷、高校時代の元クラスメイトに誘われて起業に乗り出したのだ。

世はスタートアップ(起業)ばやりで、ツアーガイドに携わっていた元同級生から、組んで旅行代理店をやらないかと持ちかけらたとき、2つ返事で飛びついた。

アウランガバードから30キロ離れたところに、アジャンタ・エローラという世界遺産の有名な遺跡があり、元同級生は、この観光名所のおかげで相応の収入を得ていたのだが、昨年、結婚した新妻が妊娠したため、収入アップのため起業を思いついたのだ。

資金は折半して、市街地のホテルが立ち並ぶ地域で店舗を借りてオープン、軌道に乗るまで苦労を強いられたが、お客さんの1人だった日本人旅行者が、日本のガイドブックに推薦文を寄稿してくれたことで、火がつき、日本人御用達のトラベルエージェンシーとして人気を博すようになった。

観光各所へのタクシーの手配から、ムンバイまでの列車切符や航空券、現地のホテルのアレンジ、旅関連のみならず、客の便宜を図ることなら、およそ何でも引き受けてきた。

アルンは、独学で日本語を勉強し、ガイド時代培った語学力で片言の日本語が話せた相棒より、うまく操れるようになった。日本語による観光案内は、日本人客にはいうまでもなく、重宝され、喜ばれた。

店は繁盛したが、それも3月25日までのこと、新型コロナウイルスという未知の疫病が全世界的に蔓延したことから、ィンド全土ロックダウン(都市封鎖)という予期せぬ不遇に見舞われたのである。

国際線の停止で、外国人旅行者は皆無になったどころか、ローカル旅行者も途絶え、休業要請を強いられたホテル街は、客足がぱたりと途絶えた。

最後に、「スマイル・トラベルエージェンシー」を訪れた日本人客は、年配の日本女性で、ショーコさんと言った。

遺跡案内は分担して、相棒がエローラ、アルンはアジャンタと、1日置きに自分も付き添ったが、ショーコさんは遺跡が好きなようで熱心に観て回った。渓谷にそびえる巨大な断崖をくり抜いて築かれたアジャンタの仏教石窟寺院群は、壮観で、客の付き添いで飽きるほど見ているアルンすら、そのつど感激する。

ワゴーラー河の湾曲部に沿ってそびえ立つ断崖の550メートルにわたって大小30の岩窟寺院が開け、紀元前2世紀から紀元後7世紀にかけての時を超えた素晴らしい壁画の数々が遺されているのだ。

中でも、最高傑作といわれる第1窟の蓮華手菩薩には痛く感激したようで、ショーコさんは長いこと壁画の前を動かなかった。

「素晴らしいわ。これを見れただけでも、来た甲斐があった。亡くなった母にも、ひと目見せたかった」

「お母さんも、来たがっていたんですか」

「ええ。遺跡が好きでね、インドでは、こことタージ・マハルを生きてるうちに見たいが口癖だった」

「そうでしたか。マダムは、お母さんの分までじっくり時間をかけて見てたんですね」

「マダムじゃなく、ショーコと呼んで。この紫水晶のペンダントは、母の形見なの」

ショーコさんは、胸元に垂れた大粒の石をそっと掴むようにして持ち上げてみせた。アルンは、ショーコさんの亡母を想う心に打たれずにはおれなかった。

以後、彼女はアジャンタ・エローラ遺跡に毎日アルンのエージェンシーがアレンジする貸切ジープで1週間も通い続け、最後にたんまりチップを弾んで、またアルンのアレンジした航空券でムンバイへと戻っていった。

あれから半年、ムンバイの感染爆発は止まらず、ついに100万人を突破した。飛行機で1時間ちょっと、360キロ離れたアウランガバードも大都会ほどではないが、感染者数が日増しに増えて、客日照りで商売上がったり、相棒と嘆息をつく日々、が、政府の救済は一切当てにできない。

幸いにも、5月中に国内線が再開されたため、まばらにローカル観光客が訪れるが、赤字経営は続き、苦肉の策として、チキンロールやシシカバブのテイクアウトを店頭で始めた。

相棒は、ガイドをやる前、レストランでコックをしていたので、料理の腕前はなかなかで、何とか糊口を凌げた。実家のアパレル業も行き詰まっており、家族とベーカリーでもやろうかと、相談中である。

ムンバイの大手ベーカリーのフランチャイズである。食べていかなければならないため、必死である。幸いにも、親族・友人の誰1人として感染していない。

生きて在る、そのことに感謝しなければならない。雨風を凌ぐ屋根もあるし、カツカツだが、食っていける。観光業が苦汁を嘗めているのは、誰しも同じだ。ホテル街だって、レストランだって、ガラ空きだ。

何とか、この危機を乗り越えなければならない。生死を賭けたサバイバルゲームだった。相棒と、互いの家族と力を合わせて、試練を潜り抜けなければならない。夜明け前が一番暗いんだ。きっと大丈夫、コロナ戦に打ち克てる。我らインドの民はしたたか、ずぶといんだ、根っから逞しくできているんだ。

あと少しの辛抱、感染爆発には、時期が来れば、必ず歯止めがかかる。それまで、歯を食いしばって頑張るんだ、サバイバル戦を生き抜くんだ。

アルンは、シシカバブを焼きながら、煤で黒くなったマスク顔をぎゅうっとこすった
(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。