丸善丸の内で「招き猫100人」大賞受賞展、もりわじん、加悦雅乃ら

【銀座新聞ニュース=2021年2月9日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は2月10日から16日まで4階ギャラリーで丸猫展「日本招き猫100人展大賞作家」展を開く。

丸善・丸の内本店で2月10日から16日まで開かれる丸猫展「日本招き猫100人展大賞作家」展に出品される有田ひろみさん・ちゃぼさんの作品。

1999年より愛知県瀬戸市で開かれている「にっぽん招き猫100人展」(1999年は「平成の招き猫70人展」)。全国で活躍するさまざまなジャンルの作家が参加する公募展で、応募の中から100作品が選ばれ、その中でも極め付けの作品が「日本招き猫大賞」となり、今回は「日本招き猫大賞」受賞作家13人と特別出品として水谷満さんの作品を展示販売する。

出品する作家は第1回(1999年)受賞者のもりわじんさん(立体造形、画)、第2回(2000年)受賞者の小澤康麿さん(陶芸/絵画)、第3回(2001年)受賞者の佐山泰弘さん(立体造形)、第7回(2005年)受賞者の宮地乃梨子さん(ペーパーワーク)、第8回(2006年)受賞者の和田芳さん(陶磁器)。

第10回(2008年)受賞者の櫻井魔己子さん(立体造形)、第11回(2009年)受賞者のまいけるからわたさん(立体イラストレーション)、第16回(2014年)受賞者の天野千恵美さん(絵画・立体)、第17回(2015年)受賞者の松風直美さん(切り絵)、第18回(2016年)受賞者の杉原京さん(陶芸)。

第19回(2017年)受賞者の加悦雅乃さん(絵画/立体造形)、第20回(2018年)受賞者の有田ひろみさん・ちゃぼさん(墨絵・ぬいぐるみ)、第21回(2019年)受賞者のよねやまりゅうさん(彫刻、人形)。また、水谷満さん(陶芸)が特別に出品する。

「にっぽん招き猫100人展」は1999年に「有限会社風呂猫」(台東区谷中2-6-24)が愛知県瀬戸市の市制70年を記念して開いたのが「平成の招き猫70人展」で、2000年からは、100人の作家による創作招き猫公募展とし、「平成の招き猫100人展」に改称し、さらに2013年には「にっぽん招き猫100人展」と変更し、「時代や国境を超えて福を招く普遍的な創作招き猫展をめざして」いる。毎年、「来る福(929、9月29日)」の招き猫の日前後に愛知県瀬戸市で開いている。

ウイキペディアによると、「招き猫」は、前足で人を招く形をした、猫の置物で、猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあったが、養蚕が衰退してからは商売繁盛の縁起物とされている。

右手(前脚)を挙げている猫は金運を招き、左手(前脚)を挙げている猫は人(客)を招くとされる。両手を挙げたものもあるが、「欲張りすぎると『お手上げ万歳』になるのが落ち」と嫌う人が多いという。

一般には三毛猫であるが、近年では、地の色が伝統的な白や赤、黒色の他に、ピンクや青、金色のものもあり、色によっても「学業向上」や「交通安全」(青)、「恋愛」(ピンク)など、意味が異なる。

黒い猫は、昔の日本では「夜でも目が見える」などの理由から、「福猫」として魔除けや幸運の象徴とされ、黒い招き猫は魔除け厄除けの意味を持つとされている。また、赤色は疱瘡や麻疹が嫌う色、といわれてきたため、赤い招き猫は病除けの意味を持つ。福の字が逆さまに書かれているのは、福を倒すとしてそこから似た漢字の到達をあらわしている。

招き猫の由来にはいくつかの説がある。「今戸焼説」は江戸時代の地誌「武江年表」嘉永5(1852)年の項に、浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼(今戸人形)の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。

古い伝世品や遺跡からの出土品から江戸時代の今戸焼製招き猫の存在は確認でき、嘉永5年の記述と符合する。記録では浅草寺および浅草神社(旧・三社権現)にゆかりのものである。

これとは別に、平成のはじめ頃より、浅草今戸に鎮座する今戸神社が、平成の招き猫ブームや縁結びパワースポットブームに乗り、自ら「招き猫発祥の地」として看板を掲げ、多くの招き猫が奉られるようになった。

その論拠は、旧今戸八幡が今戸焼の産地である浅草今戸町の産土神であったことによるものであるが、古い文献等には招き猫と今戸神社(1937年に旧今戸八幡と旧亀岡町白山神社とを合祀)との結びつきを示す記録は見当たらず、平成の招き猫ブームや新・縁結びパワースポットブームに伴い、マスコミなどに対し発祥の地を名乗るようになった。

現在、神社本殿に祀られている大型の招き猫は、戦後の常滑産招き猫の形状を参考に造形されたものであり、社務所より授与されている招き猫の形状は、陶器製・磁器製のものどちらも江戸から明治の今戸焼製の伝世品や遺跡からの出土品とは異なるものであり、時代考証的にも伝統性のない、現代の創作品とされている。

豪徳寺説(東京都世田谷区)が発祥の地とする説がある。江戸時代に彦根藩第2代藩主井伊直孝(1590-1659)が、鷹狩りの帰りに弘徳院という小寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため、藩主一行は寺に立ち寄り休憩した。

すると雷雨が降りはじめ、雨に降られずに済んだことを喜んだ直孝は、1633(寛永10)年、弘徳庵に多額の寄進をし井伊家の江戸の菩提寺と定め、弘徳庵は大寺院の豪徳寺となった。歴代藩主や正室の半数ほどの墓所が存在し、幕末の藩主で桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼(1815-1860)の墓も豪徳寺にある。

和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった。これらの猫をモデルとした著名なキャラクターが、井伊家の居城であった滋賀県彦根市の彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」となる。

招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げ小判を掲示しているが、豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。これは商家ではなく武家である井伊家の菩提寺であるためであるとされる。豪徳寺は小判を持っていない理由として「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方から、としている。

出展者以外の100人展の大賞受賞者は第4回(2002年)が渡辺志野さん、第5回(2003年)が宮前孝之さん、第6回(2004年)水野教雄さん、第9回(2007年)吉田一也さん、第12回(2010年)はら・かおりさん、第13回(2011年)桒原淑男さん、第14回(2012年)佐藤法雪さん、第15回(2013年)鈴木義美さん。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。