【銀座新聞ニュース=2012年1月17日】永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は1月25日に桃川鶴女さんによる「講談師と一緒に歩く 歴史と文化の散歩ラリー」を開催する。
永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開催している「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。
今回は「冬にサザンカ咲く亀戸中央公園と亀戸天神うそ替え神事」と題して、講談師の桃川鶴女(ももかわ・つるじょ)さんの案内で東武鉄道亀戸線の「亀戸水神駅」から「亀戸中央公園」(江東区亀戸9-37-28、03-3636-2558)と「常光寺(じょうこうじ)」(江東区亀戸4-48-3、03-3681-7023)、「東覚寺(とうかくじ)」(江東区亀戸4-24-1、03-3681-8213)を回る。
そこから「香取神社(かとりじんじゃ)」(江東区亀戸3-57-22、03-3684-2813)、「普門院(ふもんいん)」(江東区亀戸3-43-3、03-3681-8304)、「亀戸天神(かめいどてんじん)」(江東区亀戸3-6-1、03-3681-0010)を歩いて、その後、「お江戸日本橋亭」に移り、桃川鶴女さんらが出演する日本橋お江戸寄席を鑑賞する。
「亀戸中央公園」は1918年に日立製作所が亀戸工場を設立し、1974年に工場を移転した跡地を再整備し、1980年6月に一般に開放したものだ。A、B、Cの3地区に分かれ、A地区には、中央広場に時計塔やアスレチック風の木製遊具が設置され、B地区には、人工池と水の流れがあり、C地区は運動広場として整備され、多目的球技広場、テニスコート、児童コーナーがある。また、この公園はサザンカが多く植えられており、冬に花を咲かせることから「サザンカの名所」として知られている。
「常光寺」は曹洞宗で、本尊は阿弥陀如来、行基(ぎょうき、668-749)の作と伝えられている。
「東覚寺」は真言宗で、1531年に建立され、玄覚法印(げんかくほういん)の創建とされている。本尊は大日如来と阿弥陀如来で、1910年に深川本村町(現猿江2丁目)の覚王寺を合併した。
「香取神社」は665年に鎮祭された江東区ではもっとも古い神社で、939年の「平将門(たいらのまさかど、?-940)の乱」のとき、追討使(ついとうし)の俵藤太秀郷(たわらのとうた・ひでさと、藤原秀郷=ふじわらのひでさと、生没年不詳)が戦勝を祈り、祈願成就の後、弓矢を奉納し、以後、武運長久を祈ることが多くなったといわれている。
「普門院」は真言宗で、1616年に豊島郡(現在の荒川区)から移転してきたと伝えられている。移転の際に、梵鐘(ぼんしょう)を隅田川に落としてしまい、そこが鐘ヶ淵(墨田区)の地名の由来になったと言われている。墓地には、歌人の「伊藤左千夫(いとう・さちお、1864-1913)」や幕末の横綱「秀ノ山雷五郎(ひでのやま・らいごろう、1808-1862)」の墓などがある。
「亀戸天神」は学問の神様とされる菅原道真(すがわら・みちざね、845-903)をまつっている。1644年から1647年の正保年間に菅原道真の末裔で、九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐(すがわらのおおとりいのぶすけ)が天神信仰を広めるため諸国を巡り、1661年に江戸の本所亀戸村にたどり着き、菅原道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉ったのが始まりとされている。
江戸幕府は明暦の大火(1657年)の復興開発事業の地として本所の町をさだめ、4代将軍徳川家綱(とくがわ・いえつな、1641-1680)がその鎮守神としてまつるよう現在の社地を寄進し、1662年に社殿や楼門、回廊、心字池、太鼓橋などが太宰天満宮にならい造営された。
古くは総本社にあたる太宰府天満宮に対して、東の宰府として「東宰府天満宮」とか「亀戸宰府天満宮」や「本所宰府天満宮」と称されたが、1873年に府社となり「亀戸神社」に名称を変え、1936年に現在の亀戸天神社とされた。
亀戸天神では1月24日と1月25日の2日間、「うそ替え神事」が開催される。この神事はスズメ目アトリ科の「うそ」にちなんで、前年にあった災厄や凶事などをうそとし、本年は吉となることを祈念して行われる。
「去年の悪(あ)しきはうそとなり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによるもので、前年神社から受けた削り掛けの木うそを新しいものと交換することになっている。
桃川鶴女さんは大阪府池田市生まれ、歌手の舟木一夫(ふなき・かずお)さんの育ての親とされる「第一共永」社長の自宅に歌手修業を兼ねて住み込み、スクールメイツ養成所「東京音楽学院」で学び、1973年に田辺一鶴(たなべ・いっかく、1929-2009)に入門した。
カバン持ちを経て、1974年に前座名「田辺益子美」で初高座、1976年に二つ目、1978年に講談バスで都内歴史案内を受け持ち、1985年に真打に昇進し、「田辺鶴女」を襲名した。2004年に「桃川鶴女」に改名、田辺一門より独立した。
時間は10時から16時で、昼ころまでに終えて、お江戸日本橋亭に移り、13時30分から「日本橋お江戸寄席」を開く。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。希望者は永谷商事まで電話もしくはHP(http://www1.odn.ne.jp/engeijou/form.html)から申し込む。
「日本橋お江戸寄席」は前座の三遊亭(さんゆうてい)きつつきさん 真打の三遊亭王楽(さんゆうてい・おうらく)さん、桃川鶴女さん、早川(はやかわ)きょーじゅさん、真打で三遊亭王楽さんの父親の三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)さんが出演する予定だ。