「マイウェイ」初日にオダギリジョー、カン・ジェギュが挨拶

【銀座新聞ニュース=2012年1月7日】東映(中央区銀座3-2-17、03-3535-4641)は1月14日から丸の内トーエイ(TOEI、中央区銀座3-2-17、03-3535-4741)で一般公開される「マイウェイ 12,000キロの真実」の初日にオダギリジョーさんとカン・ジェギュさんによる舞台あいさつを開催する。

1月14日の9時30分の回上映終了後に、監督のカン・ジェギュ(姜帝圭)さんと主人公の「長谷川辰雄」役のオダギリジョー(おだぎり・じょう)さんが舞台に登場してあいさつする。

韓国映画「マイウェイ 12,000キロの真実」はアメリカ国立公文書館に保管されていた1枚の写真と、それにまつわるエピソードが注目を集めた。1944年、「ノルマンディー上陸作戦」の終了後にドイツ軍捕虜の中から1人の東洋人が発見された。

男は日本兵として日本統治下の朝鮮半島を出発し、ソ連、ドイツを経てノルマンディーへ到達し、日本、ソ連、ドイツの3カ国の軍服を着て戦い、敗戦に次ぐ敗戦で何度も捕虜になりながらも1万2000キロを生き抜いた。この実話を韓国の映画監督のカン・ジェギュさんが25億円かけて制作した。

物語は1928年の日本占領時代の朝鮮を舞台にはじまる。憲兵隊司令官の祖父を持ち、常に一番を目指す日本人の長谷川辰雄と幼い頃から長谷川家の使用人として働きながら、マラソンにおいては辰雄のライバルとして共に育った朝鮮人のキム・ジュンシク(チャン・ドンゴンさん)はオリンピックの金メダルを夢見るが、いつしかその関係は国同士の戦いとなり、憎み合うようになる。

やがて開催されたオリンピック選考会で事件が発生し、ジュンシクは日本軍に強制徴用され、2人のオリンピックの夢は消えてしまう。1939年にノモンハンで2人は再会し、日本兵として戦うジュンシクのもとに現れた辰雄は冷酷な軍人に変わっていた。

戦場でも夢を捨てずに走り続けるジュンシクに激しい嫌悪を抱く辰雄だが、ソ連への特攻隊にジュンシクを任命し、死闘の末、敗北した日本兵はソ連軍の捕虜となる。しかし、対ドイツの戦局が悪化し、「ソ連軍として戦うか、それとも死ぬか?」を迫られ、辰雄は誇りを捨て、生きることを選ぶ。

やがて、ドイツにも敗れ、辿り着いたのは遠い大陸の果て。すべてを失っても、それでも生きることを選んだのはなぜか?いかなる時も変わらないジュンシクに、生きる意味を気付かされる。もう一度、2人で故郷に帰ろうと決めたその時、ノルマンディー上陸作戦がはじまり、2人の運命はどうなるのか?

ウイキペディアなどによると、カン・ジェギュさんは1962年韓国慶尚南道馬山(きょんさんなむ・まさん)生まれ、1985年に中央大学演劇映画科を卒業、在学中に短編映画を制作し、映画監督をめざし、第9回韓国青少年映画祭で撮影賞、優秀賞、第3回冬柏映画祭冬柏賞を受賞、1984年にチョン・イニョプ監督の演出部で映画界に入り、1985年に合同映画社演出部に入社し、その後、三和プロダクションに入社した。

1985年に映画「イブの体験」で演出部、1987年に「桃花」と「片翼の天使」で助監督などを務め、1991年に「誰が龍の爪を見たのか」で韓国シナリオ協会大賞と第27回百想芸術大賞シナリオ賞を、1994年に「ゲームの法則」で第5回春史映画祭創作脚本賞を受賞した。

その後、「映画発電所」を設立し、1996年にSF恋愛映画「銀杏のベッド」で映画監督としてデビュー、第17回青龍賞新人監督賞を受賞し、1998年に、「姜帝圭フィルム」を設立、映画「シュリ」を制作し、1999年に第35回百想芸術大賞監督賞と第20回青龍賞監督賞を受賞した。2000年2月に韓国のベンチャー投資会社、総合技術金融と提携し、7月にソウル江南地に「シネコンズーズ(ZOOOOZ)」をオープンした。

8月にSMエンターテイメント、エンシーソフト、バルンソンなど組んで、総合エンターテイメント社「アイスクリーム・エンターテイメント」を設立、2001年に映画専門ファンド「ベンチャー・プラス・マルチメディア投資組合」を設立している。2004年に映画「ブラザーフッド」を監督している。

オダギリジョーさんは1976年岡山県津山市生まれ、岡山県作陽高校を卒業、ヒューマン国際大学機構大阪校を経て、アメリカのカリフォルニア州立大学フレズノ校俳優養成コースを中退、2000年に「仮面ライダークウガ」を主演、2003年に「あずみ」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞、2005年に「メゾン・ド・ヒミコ」に主演した。

チケットは1月7日10時からチケットぴあを通じて販売する。料金は全席指定で一般2000円、高大生1700円、シニア、中学生、3歳以上の子ども、障がい者1200円。