丸善丸の内でD・ホフマン「ビートルズ」展、60年代のデビュー時

【銀座新聞ニュース=2024年5月7日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は5月8日から21日まで4階ギャラリーで「デゾ・ホフマン写真展 Photo Session 1デビュー当時のザ・ビートルズ・フォト」を開く。

丸善・丸の内本店で5月8日から21日まで開かれる「デゾ・ホフマン写真展 Photo Session(フォトセッション)1デビュー当時のザ・ビートルズ・フォト」に出品されるデゾ・ホフマンが撮影したビートルズの4人の画像。

丸善丸の内本店が毎年開いている「丸善英国展」の特別催事として開くもので、「ザ・ビートルズ・クラブ(BCC)」が主催し、「ビートルズ(The Beatles)」の専属カメラマンだったチェコスロバキア(現スロバキア)出身の写真家、デゾ・ホフマン(Dezo Hoffmann、Dezider Hoffmann、1912-1986)が撮影したデビュー当時の若々しいビートルズ・メンバーの写真30点を展示する。

また、特別展示品として、アビイ・ロード・スタジオ(Abbey Road Studios)で使用された大型録音機やジョン・レノン(John W.Ono Lennon、1940-1980)が着用した映画「ア・ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night)」(1964年)用に仕立てられたベルベット襟のスーツ、ビートルズのメンバー4人のサイン入りのデビュー・アルバムなど、ビートルズゆかりのアイテムも紹介する。

今回、展示される写真は、襟なし服を着てポーズをとるビートルズ、リバプールの公園でジャンプする4人、BBCラジオ・スタジオ前の歩道を歩く4人など、ビートルズのアイコンとなった写真が数多く展示される。さらに、ビートルズのファースト・レコーディングやデビュー前からライヴを行っていたリバプールのナイトクラブ「キャバーン・クラブ(The Cavern Club)」でのシーンを捉えた画像も飾られる。

特別展示品として注目されるのは、アビイ・ロード・スタジオ(Abbey Road Studios))で使用されていた大型録音機や映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』用に仕立てられたジョン・レノンのベルベット襟のスーツなどが挙げられる。

さらに、ビートルズTシャツやキャップなどのファッション系アイテムやマグカップ、ボールペンなどの定番アイテムを始め、ビートルズの直筆サインなども展示即売される。

ウイキペディア(英語版)によると、デゾ・ホフマンは1912年オーストリア=ハンガリー帝国のバンスカー・シュチャヴニツァ(現スロバキア)生まれ、首都プラハでジャーナリズムを学んだ後、フランス・パリの20世紀フォックスで写真家として働き、1935年のムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini、1883-1945)のアビシニア(現在のエチオピア)侵攻中、侵攻のドキュメンタリーを作るために派遣された。

アフリカから帰国後、1936年の人民オリンピック(ヒトラー=Adolf Hitler、1889-1945=のプロパガンダのもとでベルリンで開催された公式オリンピックに対する抗議運動)の撮影のためスペインに派遣された。その後、戦争で数回負傷し、3度目のケガは重傷で、数カ月間記憶を失った。

回復後、イギリスに移り、第2次世界大戦中にイギリス空軍で飛行するチェコスロバキア人パイロットの飛行隊に加わり、戦後はロンドンに残り、さまざまな新聞や雑誌で働き、1955年に「レコード ミラーマガジン」の写真家として有名人を撮影することになった。

同じくデゾ・ホフマンが撮影したビートルズの録音中の画像。

1962年に「ビートルズ」の写真を撮るためにリバプールへ行き、ビートルズとの間には長期にわたる関係が生まれ、最初のビートルズの撮影中に、ビートルズを撮影したシーンも8ミリカラー映画も制作した。また、ビートルズのライブで使用された写真のほとんどと、表紙の写真を含め、デゾによって撮影された。このビートルズの写真コレクションは、2015年からハンガリーのエグリロードビートルズ博物館で展示されている。

1982年にオムニバス・プレスはビートルズの絶頂期にデゾが撮影した写真を収録した「ウィズ・ザ・ビートルズ-デゾ・ホフマンの歴史的写真(With The Beatles:The historic photographs of Dezo Hoffmann)」を出版した。1986年3月29日にロンドンのハーレー・ストリート・クリニックで73歳で死去した。

「ビートルズ」はボーカル、リズム・ギター、リードギターのジョン・レノン(John W.Ono Lennon、1940-1980)、ボーカル、ベースギターのポール・マッカートニー(Paul McCartney、1942年生まれ)さん、ボーカル、リードギターのジョージ・ハリスン(George Harrison、1943-2001)、ドラムのリンゴ・スター(Ringo Starr、1940年生まれ)さんの4人組で、1962年10月5日にシングル曲「ラブ・ミー・ドゥ(Love Me Do)」でレコードデビューした。

「ビートルズ」は元々「クオリーメン (The Quarry Men)」という名称で1957年に結成され、それ以降「ジョニー&ムーンドッグス」や「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」、「シルヴァー・ビートルズ」と改名を繰り返し、その間に複数のメンバーが入れ替わっている。「ビートルズ」と改名してからも在籍したメンバーは6人になる。

その内2人は1962年の「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューする以前にバンドから脱退している。スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe、1940-1962)がベース担当として1960年1月に加入し、1961年に行われた2度目のハンブルク巡業が終わった時にバンドを脱退した。ドラムのピート・ベスト(Pete Best、1941年生まれ)さんは1960年8月に行われた最初のハンブルク巡業の直前に加入し、1962年8月に辞めて、その直後にリンゴ・スターさんが加入している。

今回の「デゾ・ホフマン写真展」で展示されるアビイ・ロード・スタジオで使用されていた録音機。

1962年10月にデビュー後、1963年1月11日に発売された英国での2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」がヒットし、一躍人気グループになり、これ以降、シングル、アルバムともヒットを続け、1964年1月にフランス公演、2月にアメリカ公演、1966年6月29日から7月3日まで来日し、6月30日、7月1日、7月2日に公演し、7月3日に離日した。会場はすべて日本武道館大ホールで、地方公演は行っていない。

また、1966年3月にジョン・レノンがインタビュー記事の中で「ビートルズはキリストより有名だ」と発言し、問題化され、同年8月29日のアメリカ・サンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでのコンサートを最後に公演旅行を止めた。1969年ころからメンバー間の不和が増え、1970年4月10日にポール・マッカートニーさんが「ビートルズ」脱退を表明し、これによって「ビートルズ」としての活動は終了した。その後、4人は独自に活動し、再結成がないまま、1980年12月8日にジョン・レノンが自宅前で射殺された。

1985年に「ギネス・ワールド・レコーズ」が「世界でのビートルズのCD・レコードの総売り上げが10億枚以上」と認定し、1987年にビートルズが曲の制作者の名義としていた「レノン=マッカートニー」がアメリカの「ソングライターの殿堂(Songwriters Hall of Fame)」に選ばれた。「ビートルズ」のオリジナル曲の作詞作曲でもっとも多いのはジョン・レノンとポール・マッカートニーさんの共作クレジットである「レノン=マッカートニー」で、ビートルズナンバー213曲の内、153曲がこの名義になっている。

また、「ビートルズ」の楽曲の版権は当初の楽曲の著作権を所有していた会社がATVに売却され、1985年にアメリカの歌手、マイケル・ジャクソン(Michael J.Jackson、1958-2009)がそのATVミュージック・パブリッシングを買収し、1995年12月にソニーのアメリカの音楽出版部門とATVミュージック・パブリッシングが合併して「ソニーATVミュージックパブリッシング」が誕生し、ビートルズの楽曲の著作権も同社に移った。

株式比率はマイケル・ジャクソン(ジャクソンの死後はマイケル・ジャクソン遺産管理財団)が50%、ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ(ソニーのアメリカ法人)が50%で、2006年にソニーが実質的な経営権とジャクソンの持ち株の半分を購入する権利を獲得し、2016年3月15日にソニーがマイケル・ジャクソン遺産管理財団が保有する残りの50%の持分を取得する法的拘束力を有する基本合意書を締結し、9月30日に取引が完了し、ソニーの完全子会社となった。

時事通信によると、これに対して、ポール・マッカートニーさんがアメリカの「1976年著作権法」(楽曲の原作者は手放した著作権について35年後に取り戻せる。1978年以前に作られた楽曲は56年後に著作権が原作者に返還される)に基づいて、1962年に最初の曲を制作してから2018年10月に56年になることから、2017年1月18日にソニーATVのビートルズ267曲分の著作権の返還訴訟を起こした。6月29日に両者は和解したが、記事では合意内容については詳細を明らかにされていない。

「ザ・ビートルズ・クラブ(BCC)」は、ビートルズの公認ファン・クラブで、現会長は斉藤早苗さん。1966年にビートルズが来日した年に、前身である「ビートルズ研究会」が発足し、1967年にビートルズの映画上映会を中心として活動を行っていたため、「ザ・ビートルズ・シネ・クラブ」と改名、1980年12月にビートルズのメンバー、ジョン・レノンが殺害された後(12月8日)、多くのファンからの要望によりジョン・レノン追悼集会を開いた。

1996年4月に名称を現在の「ザ・ビートルズ・クラブ」に変更し、2000年12月8日に北沢タウンホールにてジョン・レノン没後20周年追悼イベントを開き、「ヘイ・ブルドッグ」のPVなどのフィルム上映や押葉真吾さんらによるライブが行われた。会報誌として「月刊 ザ・ビートルズ」(BCC出版)を発行している。

営業時間は9時から21時(最終日は20時30分)まで。入場料は前売が1200円、当日が1500円。会期中、無休。問い合わせはザ・ビートルズ・クラブ(03-5453-2700)まで。前売りチケットは、展示品がデザインされた4種類のピクチャー・チケットで、前売チケットの販売は、ザ・ビートルズ・クラブ「チケット・トゥ・ライド」(https://www.ticket2ride.jp/)で。