1年8カ月ぶり帰印、聖地で夫と母の散骨儀式、最高の供養に(141-1)

(当分の間、インドに一時帰国した話を書きます。タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年12月19日】11月21日、関西国際空港を10時30分発のベトナム航空便(VN321、ホーチミン経由)で飛び立った私は、同日22時5分、インドの首都デリー(Delhi)の空港(Indira Gandhi International Airport)に到着した。迎えに来てくれた息子とあわや行き違いになりかけたが、4番出口をウロウロしていると、「マミー!」の耳覚えのある快活な声がかかり、実に1年8カ月ぶりに再会を果たせた。

いつもは成田空港(まれに羽田空港も)を利用する私だが、今回は関西国際空港を初めて利用した。設備に遜色はなく、リムジン(1600円)で向かう途上も大阪湾を横目に世界最長の連絡橋(3750メートル)を通過し、眺めがよかった。

いつもは成田空港(まれに羽田空港も)を利用する私だが、今回は関西国際空港を初めて利用した。設備に遜色はなく、リムジン(1600円)で向かう途上も大阪湾を横目に世界最長の連絡橋(3750メートル)を通過し、眺めがよかった。

息子は私から荷物を引き上げると、待たせてあったタクシーを呼び、予約済の空港近くのホテへ走らせた。車中近況を交わしながら、とりあえず元気そうでひと安心する。インドでプロの人気ラッパー(Rapper Big Deal)として活躍中の息子は、ストレスから健康を害した時期もあったのだが、今は持ち直しているようだ。

近々、西インドの商都ムンバイ(Mumba、旧ボンベイ=Bombay)への引越しを控えており、大忙しという。金融ハブ・ムンバイは商業の中心だけでなく、北インド最大の娯楽産業、ハリウッドもじってボリウッド(Bollywood)と通称されるヒンディー映画界の本拠地でもあり、いわばインド芸能界の根城、大手プロダクションに所属変えした息子はいよいよ、中心部で全土制覇をめざす野心に燃えていた。

日頃、日本とインドと離れていても、無料アプリWhatsApp(ホワッツアップ)でしょっちゅうチャットや、必要とあれば直接通話も交わしているので、大体のことは通じているが、やはり直接顔を見ての会話は、楽しい。

ムンバイへの移動間近の息子は、明日のフライトで同地に戻らなければならなかったが、私は単身翌朝9時30分発の特急バスで230キロ離れた山間聖地リシケシ(Rishkesh、Uttarakhand州)に、遠出することになっていた。11月22日は夫の命日(2019年旅立ち)、4回忌にあたり、併せて亡母(2021年10月9日旅立ち)の散骨も果たすつもりだった。

久々に顔を合わせたものの、ゆっくり話している暇もなく、一夜明けた翌朝、リシケシ行きエクスプレスバス(息子が予約済)に乗るため、タクシーでバス停まで送られた。長々と日本に逗留するうちに私のインド製スマホの電話番号は他人に売られ、回線不通と相成り、息子との今後の連絡は、ホテルのWiFiサービスを使ってのメールしかない。無料通話可能のWhatsAppも開かなくなってしまった。難はタクシー、ネット予約できないため、外国人の私はぼられる可能性がある。

11月21日にインドの首都デリーに到着し、翌朝息子が予約した特急バスで、230キロ離れた聖地リシケシに向かった。寝台仕様のスペシャルバスは、横になることもでき、寛げた。

11月21日にインドの首都デリーに到着し、翌朝息子が予約した特急バスで、230キロ離れた聖地リシケシに向かった。寝台仕様のスペシャルバスは、横になることもでき、寛げた。

心配する息子を、大丈夫、何とかなるからとなだめて、特急バスに乗り込んだ私。息子は運転士や車掌、向かいの席の若夫婦に、私のことを頼み込み、車窓越しに手を振りあってお別れ、単身山間の聖地リシケシに向かった。

聖なるガンジス河(Ganges=Genger、詳細は末尾※1を参照)の源の清流が注ぐこの地で、夫の4回忌供養をしようと決めたのはいつのことだったか、そのときふっと母の散骨も併せて行えたらと思いついたのだ。生前一度もインドに来たことがなかった母がヒマラヤの麓の清流の注ぐ美しい聖地を、肉体なきあとの遺骨とはいえ、ひと目見ることができたら、喜ぶような気がしたのである。

それにしても、インドの首都に15時間かかって(ホーチミンで4時間待機)辿り着いたばかりの翌朝という強行スケジュール、時差ボケの老体でこなせるかと危ぶまれたが、同行叶わなかった息子が、寝台仕様のスペシャルバスを予約してくれたおかげで(運賃は1441ルピー、円換算で約2400円、所要約4時間30分)、車内ではゆったり寛げた。

リシケシ郊外のバス停(Nepali Farm)に着いてからは、息子が私のことを頼んでくれた若夫婦の案内で、シェアオート(三輪車、1人100ルピー)を捕まえ、予約したホテルのある14キロ離れたタポバン(Tapovan)エリアへ。親切な若夫婦は、その前のトリベニ・ガート(Triveni Ghat)で下車、同ガートがリシケシ最大かつ、三河、ガンガー(Ganger)ー、ヤムナー(Yamuna)、サラスワティ(Sarasvati、神話上の消えた河)が合流する地点(サンガム=Sangam)にある神聖なガートで、毎夕壮麗に行われる、河の女神・ガンガーに捧げられる火の祭礼、ガンガー・アールティー(Ganger Aarti、アールティとは火を灯す神具の皿のこと)で有名なことを知ったのは、後日だった。

バスで途上通過した聖地ハリドワール(Haridwar、リシケシの27キロ手前)で、私は生前の夫とまだ大学生だった息子と3人て規模の大きなガンガー・アールティを目撃しており、大感激したことがあった。日没に僧の一団が火をともした精油(純脂ギー=gee)皿を河の女神を讃える聖歌に合わせて、時計回りに回しながら行う敬虔な祈祷儀式(プジャ=Puja)で、燃え上がる炎が松明のようにゆらめきのぼり、黒い川に映し出される様は何とも神秘的かつ幻想的で、美しいバイブに溢れた祈りの歌と相まって一見の価値はあるものだ。異教徒でも、魂が震えるような感動、身内から湧き上がる深い感応に揺り動かされる。

オートリキシャから、タポバンの町中、交通量の烈しい車道の脇で下ろされた私は、人づてに訊いて、坂を上がったところにあるらしいホテルへ向かった。重いトランクを引っ張りながら登り、上がりきる手前の角のところに「Hostel Cosy Beds(ホステル・コージー・ベッド)」の看板が見えてきた。脇の通路を進んで建物の入口に入ると、奥のレセプションカウンターにマネージャーらしき男性が座っていた。

パスポートとOCIカード(Overseas Citizen of Idia、外国籍者のインド市民権に準ずる永住ビザ)を見せて宿帳に記入しサイン、部屋代は既に息子がカード決済ずみだったので、そのまま従業員に先導されて、階段を上がり3階へ。エレベーターがないのにぞっとしたが、トランクは彼が持ち上げながらのぼってくれ、室内に。

建物は古かったが、部屋は広めで真ん中に大きなダブルベッドがでんとあり、まあまあ。しかし、鍵の立て付けは悪いし、どこからか聞こえてくる大音響の音楽が神経に触る。音の出処を確かめると、上の4階、トップフロアがレストランになっているという。嫌な予感がしたが、閉店時刻にはいくらなんでもおさまるだろうと楽観し(これが甘かった)、とりあえず室内に落ち着き、荷を解いた。

夫と母の散骨を、リシケシの川のほとりで済ませたとき、川の女神ガンガーを讃える儀式、ガンガー・アールティが絶好のタイミングで始まり、最高の供養になった。

夫と母の散骨を、リシケシの川のほとりで済ませたとき、川の女神ガンガーを讃える儀式、ガンガー・アールティが絶好のタイミングで始まり、最高の供養になった。

ここに3泊とはちょっとなぁ、とぼやきつつ、まあコージーベッドとのホテル名どおり、ベッドだけは大きくて寝心地よさそうだしと妥協(これが、とんでもなかった)、ちなみに、部屋代は1000ルピー(1ルピー=1.7円)弱。

実は多少高めでも、川沿いのホテルに泊まりたかったのだが、満室でしかたなく川に比較的近いこのホテルに決めたのだ。ネット予約の功罪である。写真で見るといいが、実際は大したことない。宿は我が目で見て決めるのが鉄則だった元バックパッカーの私も、かたなしだ(ネット時代は、インドでも、agodaなど、日本でもお馴染みの予約サイトがポビュラー)。

気を取り直して、小さなプラスチックケースに納めた遺骨をショルダーバッグに忍ばせ、部屋を出た。1階の受付に川のありかを訊いて、屋外に飛び出す頃には、日は傾きかけていた。昼食抜きだった私は、坂を降りた車道を横切り、さらに直進したホテルやレストランが立ち並ぶ通りに、洒落たカフェ(Divineホテル1階)を見つけ、ガラスのケースに並ぶケーキ類の中から、フルーツケーキ(120ルピー)とハート型パイ(50ルピー)とアメリカンコーヒー(160ルピー、超濃いめでミルクなし)で腹ごしらえした(円換算で税込約660円、インドの物価は日本の3分の1から4分の1なので、高級カフェだが、雰囲気はよかった)。

ベランダの籐椅子に座って沈みゆく夕日を眺めたあと、そこを出て、少し先に進んだ道を右折し、小店が両手にひしめき合う細い路地の曲がりくねった石段を降りていくと、小さなガート(Ghat、河岸)に出た。

リシケシはこれで3度目だが、タポバンエリアは初めてなので、やや戸惑いがち。小さめの商業エリアは、聖地に似つかわしくない喧騒に満ちている。コマーシャリズムが浸透し、過去ヨガの聖地として外国人旅行者に人気があった頃に比べると、インド人で溢れ、いまやヨガよりもラフティング(ラフト=raftと言われる大型ゴムボートで川下りをするレジャースポーツ)の方が人気のようである。

牛が多いのにも、びっくりした。内陸部の有名な聖地・ベナレス(Varanasi、Utter Pradesh州)に、ゴミゴミして牛が狭い路地を行き交う様が似ていなくもない(街の規模はベナレスの方がはるかに大きい)。前は川沿いのホテルに泊まり、近くのアシュラムでヨガの講習も受け、辺りは静けさと神聖な空気に満ちていたのだが、タポバンの聖地らしからぬかしましさには失望させられた。

アールティという神具の皿に火をともして行うヒンドゥーの祭礼は神秘的で、祈りの唱歌の昂まりととも手拍子が打ち鳴らされ、クライマックスへ。涙が自ずと溢れる感動的な4回忌となった。

アールティという神具の皿に火をともして行うヒンドゥーの祭礼は神秘的で、祈りの唱歌の昂まりととも手拍子が打ち鳴らされ、クライマックスへ。涙が自ずと溢れる感動的な4回忌となった。

川原は大きな石がごろごろしており、歩きにくかったが、乳色がかった翡翠色の清流のほとりまで降りて、持参した小箱を開けて、まず夫の遺骨を流れの中ほどめがけて放った。次に母の砕けそうにもろい石灰化した骨片は、足元の透き通ったせせらぎに浸す。淡く溶けながら、流れていくのを感無量の思いで見下ろしていると、河の女神ガンガーに捧げる祈祷儀式(Ganger Aarti)で、祈りの唱歌が始まった。供養には願ってもないタイミングで、川辺に朗々と響き渡る清涼な歌声、敬虔な祈りのこもった神聖なバジャン(Bhajan、聖歌)に聞き入る。

喉の奥にに込み上げる塊、泣きたいような感傷にとらわれる。歌声は次第に昂まりゆき、それと共に手拍子が打ち鳴らされる。神との一体感にも似たエクスタシーが頂点にのぼり詰める。宵闇になだらかな稜線を描いて浮かび上がる山並みのシルエット、上空をくっきりと穿つしろがねの半月、月の近くにひときわ明るく瞬く星粒、神の恩寵ともいえる荘厳なる自然に包まれて、故人に思いを馳せた。

儀式は大掛かりなものでなく、白い法衣をまとった僧が独りで先導し、10人に満たない信者の中には旅行者も混じったこぢんまりとした集まりで、それがまたよかった。厳かに執り行われる火の祭式、夫と母の散骨に際してガンガー・アールティが絶好のタイミングで始まったことは、天からの祝福、まさに奇跡のように思われた。

祈祷一団の女性のひとりが、焚かれた炎の煙を我が身に引き寄せ功徳を得ようとする私に、純白の清浄な花を1輪差し出した。日本から飛来したばかりで供花を持たない私にはそれは天からの贈り物のように思え、ありがたく受け取り、慰霊に川に流して黙祷、聖なるせせらぎをひとすくい眉間に押しいただいて、儀式を締めくくった。

なぜか白蓮と思い込んでいたのだが、今思うと、ジャスミンだったような気もする。黄昏のシルエットを描く山並み、上空にくっきりと浮かぶ弦月、灯りが琥珀色の帯を流す暗い川、神聖な空気に包まれた川原一帯、涙が溢れ、胸が締め付けられるようで、感動的な4回忌となった。

ヒンドゥー教徒の夫は、生前訪ねたこの地をひとしお気に入っていたが、それは熱烈に信仰していた破壊と再生を司るシヴァ神(詳細は末尾※2を参照)の聖地だったからかもしれない。早朝と夕刻に近くの寺院からバジャン(Bhajan)、祈りの歌が流れてきて、「オーム」(宇宙の始まりの聖音)の清浄なバイブが辺り一帯を神聖な空気で満たし、とても厳粛な気持ちにさせられたものだ。川に面した宿のベランダでオームの響きに耳を澄ませていると、内奥にこだまする音響が平和(シャンティ=Shanti)と静けさを呼び覚まし、深い安らぎに満たされたものだった。

夫の4回忌をリシケシで行なうことを決断し、それに伴い、迷っていた帰印の日程も自ずと定まったことは、天のはからいだったと思う。今ここでいったん帰らないと、我が魂のふるさとへは二度と戻れなくなるような気もしていた私だった。それはまさに、我が意志が完璧な形で満たされた瞬間でもあった。

〇脚注
※1.ガンジス(Ganges)河(またはガンガー=Ganger)は、ヒマラヤ山脈の南側、インド亜大陸の北東部を流れる大河で、長さは約2525キロ、流域面積は約173万キロ平方メートル、リシケシ南部からガンジス平野、西ベンガル、ベンガル湾へと流れる。「聖なる河」としてヒンドゥー教徒の信仰の対象でもあり、この河の水で沐浴すればすべての罪は浄められ、死後の遺灰を流せば永遠に繰り返される輪廻から解脱できると信じられている。

※2.シヴァ(「吉祥者」「吉祥ある者」の意)は、ヒンドゥー教の神で、もっとも影響力を持つ3柱の主神のうちの1人。特にシヴァ派では最高神に位置付けられ、創造、破壊、再生、瞑想、芸術、ヨガ、解脱の神である。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年9月4日付で「CoronaBoard」によるコロナ感染者の数字の公表が終了したので、国別の掲載をやめてます。編集注は筆者と関係ありません)