インドでオディシャ探検、野生味溢れる自然美に触れる(147)

(インドに一時帰国した話を書きます。タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2024年4月19日】昨年11月21日から今年2月4日まで1年8カ月ぶりに帰印していたことは、既にお伝えした通りだ。35年間、東インドのオディシャ州(Odisha)、ベンガル湾沿いの聖地プリー(Puri)に定住したが、4年前に現地人夫を亡くし、まもなくパンデミック(世界的大流行)に襲われたことで、大転機が訪れた。

昨年12月、プリーから300キロ遠出したダリンクバディの山中で、虹の滝(Rainbow Waterfall)を見て、大感激(写真左手の虹に注目!)。

夫生存時は、日常に埋没し、内心、現地生活に辟易しながらも、惰性でずるずる甘んじていただけに、なんとかもう少し楽しめないだろうかと、考えた。若い頃、インドに病みつきになって通い詰めた挙句に移住までしてしまった往時の情熱を少しでも取り戻したかった。恋焦がれたインドがまるで、腐れ縁の情人(アマン)同然に堕していたのだ。

この機会を利用して、オディシャ州内の探検を試みてはどうかと思いついた。主目的は、ヨガのふるさととして名高い聖地リシケシ(Rishikesh)での夫の4回忌だったが、法要はさておき、以前から訪ねたいと焦がれていたオディシャ州のトライバルエリア(奥地の原住民地域)を探検したいと思った。

独り身になって自由を得たら、長年抑えていた旅熱が一挙に噴き出したのである。インドで人気のラップミュージシャン(Rapper Big Deal)である息子のライブツアーにも、この機会だから、同行することに決めた。

旅のテーマは「楽しむ」こと。州内ドライブ探検で10カ所以上巡り、州選挙にまつわるショー出演のための息子のライブツアーにも2度同行し、フライト前日ぎりぎりまで飛び回っていた。

ライブツアー同行については、既にお伝えした通りだが、改めて略述すると、1月4日のブウド(Boudh、Puriから約260キロ)と、2月2日と3日のデンカナール(Dhenkanar、Puriから123キロ)並びに、オディシャ州の西端ヌアパダ(隣州チャディスガール=Chattisgarとの境のNuapada、Puriから474キロ)まで、トータル2000キロ走破、若い観客と熱狂を分かちあった。ビッグディールの日本人母ということで、ファンから記念撮影を拝まれることもあった。

日の出時、バールクルのボート乗り場で、チリカ湖に船出するボートに遭遇、竹の棒で舟を操る船頭が見もの。

たくさんの素晴らしい場所を観たが、誕生日(2019年12月11日)に車で遠出したダリングバディ(Daringbadi、Puriから約300キロ)にあるレインボー・ウォーターフォール(Rainbow Waterfall=虹の滝)で流れ落ちる瀑布(ばくふ)の中に完璧な弧を描く小さな虹を目の当たりにした感激は、前号でお伝えした通りだ。ちなみに、ダリングバディの命名由来は、英コロニー時、この地を管轄していたイギリス人総督(旦那さま=Darling Saheb)の呼称にちなんでのことらしい。

915メートルの高地はオディシャのカシミール(Kashmir、北西インドの有名な山間避暑地でハネムーンのメッカ)として知られ、松の林立するフォレストや、めずらかなコーヒー園、エミュパーク、高台のビューポイントなどを観て回った。

余談だが、外国人である私は、ローカルホテルに泊まれず、宿探しに苦労した。外国人が訪れないような穴場のため、地元の小ホテルは外国人客を泊める許可証を持っておらず、結局、高級ホテルに泊まる羽目を余儀なくされた(1泊2800ルピー=約4800円と、物価が安いインドでは実質1万5000円から2万円クラス)。

スノービューホテル(Snow View Hotel)は高値だけあって、ベランダからは美しい山並みが見渡せ、インドのホテルには滅多にないお湯ポットも装備され、インスタントコーヒーやクリームパウダーの袋、ティーバッグも付いていて、重宝した。

今回はエスチュアリー(河口)、海と川の合流点もたくさん観た。中でも、パラディープ(Paradeep)港(Puriから160キロ)から5キロ離れたネールバンガラ・マハナディ・リバー・エスチュアリー(Nehrubangala Mahanadi River Estuary)は、素晴らしかった。岩場の分岐点には赤い3角旗がひらめき、高台から俯瞰(ふかん)する、左が穏やかな川(入り江)、右が荒い潮流へ転ずる海の対照、その壮観は一見の価値があるものだった。

近場ではこのほか、アジア最大のラグーン(lagoon、水深の浅い水域)、チリカ(Chilika)湖でボートクルーズを楽しんだ。バードサンクチュアリとして名高いナルバナ(Nalbana、1981年ラムサール条約に登録=末尾参照)を貸切ボートで3時間周遊、残念ながら、お目当てのシベリアからのフラミンゴには出合わなかったが、イラワジドルフィン(川に生息する小型の黒イルカ、Irrawaddy dolphin、カワゴンドウ=河巨頭)が湖面からちらりと頭を覗かせワクワクした。

パラディープ港から5キロ離れた地点で、海と川の合流点、ネルバンガラ・マハナディリバー・エスチュアリーへ。凪いだ川の水面が海に流れ込んで一転荒々しい潮流に変ずる妙、左に川、右に海の絶景に感嘆の息が漏れた(写真は川側の入り江)。

後日、家族でチリカ湖を再訪、車で2時間のバールクル(Barkul、Puriか105キロ)まで出かけ、政府経営のパンタニヴァス(Pantha Nivas)にチェックイン、小綺麗なホテルのバルコニーからはボート乗り場を見下ろせ、絶好のロケーションに位置していた。

ダイニングルームでの昼食後、レセプションで勧められたランバ・チリカレイク・ビューポイント(Rambha Chilika Lake View Point)まで走り(27キロ、車で35分)、広大で美しいウォーターフロントパークを満喫、折柄、陽の沈む湖を愛でることができた。翌朝は私1人早起きして、湖にのぼる日の出の神々しい洗礼を浴びたのもいい思い出だ。

神の恩寵とも言えるインド亜大陸の壮麗な自然、産まれる太陽の清々しさと、没する太陽の燃えるあでやかさには感嘆の息が漏れた。

バールクルでの第2日目は、午前中はボートクルーズ、海を思わせる広大な潟に浮かぶカリジャイ(Kalijai)島まで渡った。観光地化された通俗な小島ながらも、ヒンドゥー教のカーリ(Kali)女神を祀ったカリジャイ・テンプル(Kalijai Temple)があって、参拝客で賑わっていた。

ホテルをチェックアウト後は、車で45分(42キロ)の水鳥の楽園・マンガラジョディ(Mangalajodi)を2年ぶりに再訪することになった。が、 途中で立ち寄ったレストランがまずくて、みなブーブー。オディシャ州民は比較的マサラ(カレー粉)が少なめのシンプルなカレーを好むのだが、そこは南隣のアンドラプラデシュ州(Andhra Pradesh)ご用達でマサラがてんこ盛り。息子もドライバーも食えた代物じゃなく、閉口したのだ。

不平がひっきりなしに飛び交う車中だったが、マンガラジョディに着く頃には、一同気を取り直していた。シベリアからの渡り鳥が群れる湿地帯を3時間かけて舟巡り、バードウォッチングを存分に楽しめた。

実は、チリカ湖に浮かぶ留鳥(りゅうちょう、年間を通して同じ場所に生息し、季節による移動をしない鳥の総称)の楽園、バーズアイランド(Birds Island、別称ディノザウルス=Dinosaursアイランド、バールクルから約30キロ)に行きたかったのだが、旅行者が野鳥を威嚇するマナー違反があったため、州政府がボートクルーズを禁じてしまっていた。我が郷土、福井は知る人ぞ知る、恐竜王国、類似性にワクワクしただけに、残念だった。

水鳥の楽園・マンガラジョディの湿地帯を鳥見クルーズ、シベリアからの渡り鳥を多数目撃した。

あと、プリーから車で1時間と気軽に行けるスポットもいくつか周った。世界遺産の太陽神殿(スーリヤテンプル=Surya Tenple)があることで有名なコナラーク(Konark、Puriから35キロ)への途上にある、ロータス・エコ・リゾート・コナラーク(Lotus Eco Resort Konark)に立ち寄り、敷地内の水辺に面した藁葺き屋根レストランでランチ、私は現地カレーが苦手なのだが、ナンがおいしくて、食が進んだ。

食後は、亜熱帯の色鮮やかな花が咲き乱れ、蝶が群れ飛ぶパラダイスのような庭園を散策、外の川をボートで渡り、向こう岸のベンガル海まで出て、落日に燃えるヴァージンビーチに感動した。

プリーからコナラーク間の並木に囲まれた美しいマリーンロード(海岸道路)の途上には、野生動物保護区もあり、野鹿が道路に現れたり、ヴァージンビーチもいくつか散らばる自然の宝庫でもあるのだ(Ramchandi beach、Chandrabhaga beachほか)。

ちなみに、プリー周辺のベストビーチとして名を馳せるのは、バリハラチャンデイ(Baliharachandi)ビーチだが(コナラークとは反対方向)、オートリキシャ(三輪車)で45分、ボートで川を渡り、砂州の向こうに開ける手付かずのベンガル海を目の当たりにしたときは、感嘆の息が漏れた。

プリー周辺で1番美しいとされるバリハラチャンディ・ビーチ。川をボートで下り、砂州の向こうに開ける美浜で、ラップポーズの我が息子(Rapper Big Deal)。

*所感・パンデミックから逃げ帰った後、日本のうさぎ小屋で萎縮していた魂が、国外に出たことで、ぐんと拡大するような気がした。インドはとにかく、広い。野生味溢れる大自然の佇まいに、縮こまっていた魂も伸びやかに解き放たれていくようであった。旅に出ると、別人になって帰ってくるとはよく言われることだが、インドから戻った私は確かに、旅前とは違う自分に生まれ変わっていた。ここから、どこへ行くのか、私の旅はまだまだ続く……。

〇脚注:ラムサール条約(Ramsar)は1971年2月2日にイランのラムサールという都市で開催された国際会議で採択された、湿地に関する条約。正式名称は、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい、採択地にちなみ、一般に「ラムサール条約」と呼ばれている。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しています)