素直に歴史に翻弄された人物を描いた「オッペンハイマー」(391)

【ケイシーの映画冗報=2024年4月11日】本年3月10日(アメリカ時間)、アメリカの第96回アカデミー賞で最多の13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影、編集、作曲の7部門で受賞したのが本作「オッペンハイマー」(Oppenheimer、2023年)です。

3月29日から一般公開されている「オッペンハイマー」((C)Universal Pictures. All Rights Reserved.)。作品は「R15+」(15歳未満は鑑賞できない)に指定されている。制作費は約1億ドル(1ドル=145円計算で約145億ドル)、興行収入が世界で9億5759万ドル(約1388億5055万円)。

20世紀の初頭から、理論物理学や原子物理学の研究がすすみ、それまで“重くて、ときどき自然発火する”金属であったウラニウム(uranium、ウランの英語名)が、核分裂により莫大な熱エネルギーを放出することが知られてきました。

世界の主要国でその研究がはじまり、日本でも陸軍と海軍で独自に行われていました。海軍の原爆開発をあつかった邦画「太陽の子」が2021年に劇場公開されています。

文庫本で3冊分の大作「オッペンハイマー」(原題:American Prometheus:The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer)を原典に、原爆開発を主導した物理学者、ロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer、1904-1967)の栄光と悲劇を描いたのは、実物を駆使したフィルム撮影を主軸にして、重厚かつリアリティのある映像づくりで知られるクリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)監督です。

専攻する理論物理学に熱量を傾けるオッペンハイマー(演じるのはキリアン・マーフィー=Cillian Murphy)は、アメリカ生まれのユダヤ系として各国に留学したことで、物理学の知己にめぐまれた人物でしたが、研究者としての評価は芳しくありませんでした。

第2次世界大戦(1939年9月1日から1945年9月2日)がはじまり、ウラニウムの核分裂によるエネルギー源としての活用が見いだされると、各国でこれを強力な兵器として完成させることが構想されるようになり、アメリカでは、ナチスの迫害を逃れたユダヤ系の物理学者たちによる研究がはじまります。

その研究施設であるロスアラモス研究所(Los Alamos National Laboratory、LANL)の初代所長となり、原爆開発を推進させたのがオッペンハイマーでした。軍の責任者、レズリー・グローヴス(Leslie Groves=1896-1970、演じるのはマット・デイモン=Matt Damon)らと協力して、ついに実用可能な原爆を生み出しますが、一番の敵国ドイツは降伏しており(1945年5月7日)、まだ戦っていた日本へと原爆が使われ、その圧倒的な破壊力による惨劇を直視したオッペンハイマーは、強い衝撃を受けます。

世界大戦の終結後、アメリカはソ連と対峙することになり、原爆の量産や、より強力な水爆の実用化を進めます。

「戦争が終結しても新たな戦争に備える」ことに異議を唱えるオッペンハイマーは、戦後に誕生した原子力委員会のトップであるルイス・ストローズ(Lewis Strauss=1896-1974、演じるのはロバート・ダウニー・Jr=Robert Downey Jr.)から過去の左翼運動を指摘され、ソ連への密通を疑われたことから公職を追放され、その名声は地に落とされるのでした。

主要な登場人物だけでも50人以上がとくに説明もなく登場し、作品の構成も過去と現在、オッペンハイマーと彼を失脚させるストローズの視点が交錯し、オッペンハイマーの内面までが映像として各部に折り込まれていることから、難解な部分を含んだ内容となっています。

同様に、戦争の意味や原爆の成果と被害、また戦後の世界情勢についての論調や考察を描いたものでもありません。「私は彼の逆説的な性質に興味を持った。その矛盾の塊こそが、物語を魅力的なものにしている。(中略)彼の人生を追体験してもらい、この題材に漂う暗さ、つまりニヒリズム(虚無主義) を浮き彫りにしたかった」とノーラン監督が語るように、歴史に翻弄されたオッペンハイマー個人を中心とした作品なのです。

そして、彼を演じて主演男優賞を受けたキリアン・マーフィーについて、こう述べています。「彼は大胆不敵な演技で真実味のある空間を作り出してくれた。観客の同情を誘うような演技はしない。ただ可能な限り素直に、その人物を生きた」(いずれも2024年3月19日付読売新聞)

戦史、歴史に詳しい友人から、あまり、知られていないであろう「マンハッタン計画」の知識を伝えられました。作品鑑賞の一助になるやと思いますので開陳してみます。

オッペンハイマーは計画全体を統率する役割でした。グローヴスが軍と政府の責任者で、実際に原爆の開発を指揮したのは、ノーベル物理学賞を受けた(1938年)エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi、1901-1954)で、フェルミは1942年、世界初の原子炉を完成させています。

ナチス・ドイツでも核開発は研究されていましたが、物理学者にはユダヤ系が多かったことから消極的で、オットー・ハーン(Otto Hahn、1879-1968)は原始核分裂を発見(1938年)しましたが、原爆の研究は進まなかったのです。ハーンは1944年にノーベル化学賞を受けています。両名とも、本編中に名前だけで、大きく取り上げられてはいません。

次回は「陰陽師0」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。