銀座の金沢で能登復興支援の珠洲焼展、宮脇まゆみ、芝雪、林春香ら

【銀座新聞ニュース=2024年5月10日】一般社団法人「金沢クラフトビジネス創造機構」(石川県金沢市香林坊2-4-30、香林坊ラモーダ、076-265-5107)は5月11日から25日まで「KOGEI Art Gallery 銀座の金沢」(中央区銀座5-1-8、銀座MSビル、03-6228-7733)で「能登半島地震復興支援 珠洲焼特別展」を開く。

「KOGEI Art Gallery(コウゲイ・アート・ギャラリー)銀座の金沢」で5月11日から25日まで開かれる「能登半島地震復興支援 珠洲焼特別展」のフライヤー。

2024年1月1日の能登半島地震で被災した伝統工芸の復興支援に向けた特別展で、石川県珠洲市の伝統工芸品である「珠洲焼(すずやき)」の陶芸家で構成される「珠洲焼創炎会」(石川県珠洲市若山町出田41-2)に所属する宮脇まゆみさんら会員の陶芸家6人が約60点を展示販売する。また、初日に出品者のほか、珠洲焼創炎会会長の篠原敬(たかし)さんも会場に来場する。

今回、出品するのは「しこたろ窯」(石川県鳳珠郡能登町布浦、076-231-3531)を主宰する宮脇まゆみさん、「たけのり陶房」(石川県珠洲市若山町鈴内27-3、0768-82-5388)を主宰する清水武徳(たけのり)さん、芝雪(しばゆき)さん、中島大河さん、折坂(おりさか)理恵さん、林春香さん。

珠洲焼などによると、「珠洲焼」は平安時代末の12世紀後半から室町時代中期の15世紀末にかけて能登半島の珠洲郡内(現在の珠洲市周辺)で作られた中世を代表する焼物で、14世紀には日本列島の4分の1に広がるほど隆盛を極めたが、15世紀後半の戦国時代に忽然と姿を消した。以来、「幻の古陶」とよばれ、わずかに残された断片からその姿が明らかになるにつれ、約400年の時を経て1979年に珠洲市が復興、1989年に石川県指定伝統的工芸品の指定を受けている。

復興は小中学校の教員だった中野錬次郎(1914-1996)らが1949年から窯跡の検証、遺物の採集に乗り出しところからはじまり、1952年に九学会による能登総合調査で、珠洲焼が「須恵器の非常に退化したもの」として注目され、1959年に「西方寺窯」が須恵器窯跡として珠洲市文化財に指定された。

1961年に日本海綜合調査で、珠洲焼が中世のやきものであることが明らかになり、古美術商の岡田宗叡(そうえい、1909-1987)が「能登の珠洲古窯」を「陶説」102号(日本陶磁協会)に発表し、1963年に日本考古学協会大会で考古学者の浜岡賢太郎さんと石川県立埋蔵文化財センター所長だった橋本澄夫さんが「珠洲焼」を発表し、1979年の珠洲焼の復興につなげた。

1976年に珠洲市が珠洲焼復興事業を珠洲商工会議所に委託し、1977年に陶芸家の小野寺玄(1934-2016)の「珠洲土壷」が文部大臣賞を受賞し、1978年8月に「陶芸実習センター(陶工育成所)」が完成し、1979年2月に「再興珠洲焼」の初窯出しが行われた。

そのつくり方は、古墳時代から平安時代にかけて焼かれた須恵器を受け継ぎ、窖窯(あながま)を使い、燃料の量に対して供給する酸素の少ない還元炎焼成(かんげんえんしょうせい)で、1200度以上の高温で焼き締めていく。火を止めた後も窯を密閉し、窯内を酸欠状態にすることで、粘土に含まれる鉄分が黒く発色し、焼きあがった製品は青灰から灰黒色となる。また、無釉高温のために、灰が自然釉の役割を果たすことが多いとされている。

ほかの中世の窯と同様に、壺や甕(かめ)、鉢の3種類が中心で、14世紀に最盛期をむかえたが、15世紀後半には急速に衰え、まもなく廃絶した。この土地を「若山荘(わかやまのしょう)」として領有した京の九条家と、直接、荘園経営にあたった日野家の関与があったと考えられている。珠洲焼の生産期間が若山荘の成立・衰退とほぼ軌を一にしているからだ。

能登の里山里海によると、「若山荘」は能登国珠洲郡にあった能登最大の荘園で、現在の珠洲市西部から能登町の旧内浦町地区全体まで広がっていた。若山荘は、平安時代末期の1143(康治2)年に能登守・源俊兼(生没年不詳)の子、源季兼(すえかね、生没年不詳)が領家職を確保しながら土地の保護を求め、皇太后宮の藤原聖子(ふじわらのせいし、皇嘉門院=こうかもんいん、1122-1182)を本家と仰いで寄進し、成立したとされている。

1221(承久3)年の「能登国田数目録」には、公田数500町(1町は約1ヘクタール)との記録があり、国内の荘園・国領の中でも最大規模を誇っていたと考えられている。本家職は皇嘉門院から九条家、領家職は日野家へと伝えられ、地元の武士である打波家や本庄家、松波家が荘園の経営を担い、当時、園内で盛んに焼かれた珠洲焼は、富山湾を経由して日本海沿岸の東北地方まで広く流通した。

「珠洲焼創炎会」は珠洲焼の振興発展をめざして、1988年に設立された陶工集団で、歴史を古陶に学び、技巧を次の世代へつなげ、珠洲焼の魅力を広く発信することを目的としている。会員数は2024年1月1日時点で38人。

ウイキペディアによると、能登半島地震は2024年1月1日16時10分に、日本の石川県の能登半島地下16キロで発生した内陸地殻内地震で、震央は鳳珠郡穴水町の北東42キロの珠洲市内にあった。気象庁によれば、この地震の気象庁マグニチュード(Mj)は7.6であり、内陸部で発生する地震としては日本でも稀な大きさの地震であったとしている。

4月29日現在、死者は245人、行方不明3人、全壊家屋は8528棟とされている。被害総額は1.1兆円から2.5兆円と推計されている。

宮脇まゆみさんは1973年石川県金沢市生まれ、1997年に珠洲焼研修塾に入塾、1998年に珠洲市陶芸センターに入所、2009年3月に能登町布浦に「しこたろ窯」を築窯、同年9月に「しこたろ窯」で初窯、2010年に石川県デザイン展で入賞(2011年、2012年入賞)、2015年に石川県伝統産業優秀技術者奨励者に選ばれ、2016年に伊丹国際クラフト展で入賞している。

清水武徳さんは1973年愛知県生まれ、1996年に立命館大学産業社会学部を卒業、1997年 に九谷焼技術研修所を卒業、1998年に加賀の「妙泉陶房」にて磁器(型打)制作を学び、2001年に珠洲市にて珠洲焼を始め、2004年に「倒焔式薪窯」を築き、独立、2010年に「半地下式穴窯」を築く、2013年に石川県伝統産業優秀技術者奨励者に選ばれる。

芝雪さんは1979年石川県珠洲市生まれ、2012年に珠洲焼基礎課程を修了、珠洲市陶芸センター自立支援工房に入所、同年に金沢城・兼六大茶会で入選、2014年に自立支援工房を退所し、珠洲市陶芸センターに勤務、2018年に珠洲市陶芸センターを退職、2019年に石川県立九谷焼技術研修所実習科に在籍、2021年に第77回現代美術展で入選している。

中島大河さんは1994年石川県金沢市生まれ、2017年に金沢美術工芸大学油画専攻を卒業、同年に「奥能登国際芸術祭2017」の金沢美術工芸大学アートプロジェクトチーム「スズプロ」のコーディネイター、金沢美術工芸大学陶磁コース研究生、2022年に研究生を終了している。

折坂理恵さんは1979年北海道生まれ、2021年に珠洲焼基礎研修課程を受講するため、石川県珠洲市に移り住み、2023年に珠洲市珠洲焼基礎研修課程を修了、研修修了後、「珠洲陶房 折々」と屋号を設定している。2022年に第26回工芸作品公募展で入賞(2023年に入選)、2023年に第63回石川の伝統工芸展で入選している。

林春香さんは1989年石川県生まれ、北陸デザイナー専門学校広告メディア科を卒業、2019年秋に陶芸教室に通い始め、主な展示に2023年に「全国伝統的工芸品公募展」、2023年に金沢城兼六園大茶会、2022年に第49回 石川県デザイン展、第78回現代美術展などがある。

初日の11日に、今回は出品していないが、篠原敬さんが11時から14時、出品者の宮脇まゆみさんが11時から14時、芝雪さんと林春香さんが14時から17時まで来場する。

開場時間は11時から19時(最終日は16時)まで。入場は無料。