(当分の間、インドに一時帰国した話を書きます。タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2024年1月30日】当地プリー(Puri)を午後遅く、261キロ離れたボウド(Boudh)に向けて出発した6人乗りの大型車は途上、DJ(ディスクジョッキー)のアシュトシュ(Asutosh)を拾い、さらにカメラマンのラフール(Rahul)もピックアップして、ドライバー含めて総勢5人で目的地に向けて走り続けた。
インドの常で、ドライバーの運転は荒っぽい。飛ばしがちで、日本の安全快適運転に慣れた私には今ひとつ、居心地よくない。しかし、遠距離走行なので、今日中に着くにはスピードアップせざるをえない。送迎車は15時から16時の間に来るはずが、これもインドの常で到着が1時間近く遅れたのだ。おかげで同乗予定の2人を待たせる羽目にもなり、息子はドライバーの遅刻を声高になじっていた。
途上、ペトロールポンプ(petrol pump、インドのガソリンスタンドの通称、国営のIndian Oil Co.ltd)でのトイレ休憩、ダバ(Dhaba)と言われるドライブイン食堂での夕食(辛い現地カリーが食べられない私はナンと持参したゆで卵2個で済ませた)、ボウドに入ったのは23時30分と、深夜だった。私と息子はホテル・カリンガ(Kalinga)という主催者の予約した小綺麗な宿にチェックイン、残りは近隣の別のロッジに宿泊、明朝合流する約束をして別れた。
翌朝8時30分、会場のチェックに出かけることになり、ほかの2人を乗せた車の迎えがやって来た。会場は車で10分ほどのところにあるカレッジキャンパス。州政府が票田目当てで学生をターゲットにした選挙キャンペーン名目で、エンタテインメント主体のショーを企画したのだ(歌の合間には、政治家のスクリーンによるスピーチが挟まれるプログラム)。
州政府後援のため、会場は大掛かりで、最新テクをフルに駆使したモダンセッティング、ステージの背後にはスクリーンがあり、舞台周りは花々や、与党BJD(Biju Janata Dal=ビシュ・ジャナタ・ダル)の選挙シンボル・ほら貝をあしらったデザインの幕が張られ、23年間チーフミニスター(州首相)を務める州民の信望篤い根強い人気のナヴィーン・パトナイク(Naveen Patnaik、1946年生まれ)の上半身の写真入りのボードが至る所に立てかけられている。
我が息子はステージに上がってマイクテスト、周囲の関係者と打ち合わせしたり、そのうち背後のスクリーンにRapper Big Dealのラップ動画が大写しになり、マイクを握った息子が練習を始めた。
本番ではないけれど、迫力満点のステージパワーに圧倒される。我が子ながら、すごい!観客がいないので、真ん前に立ちながら、リハーサル風景を思う存分見学できた。野外会場は広大で背後の簡易椅子が並べられた観客席は1万人は収容できそうだ。
リハーサルが終わったあと、ホテルに戻り、ティー休憩、ランチはオーダー済みで、みな一緒にこちらのホテルの部屋でとることになっていた。息子は朝食抜き、私は持参したブラウンブレッドとゆで卵、オレンジを、砂糖抜きミルクティー(北インドで愛飲される甘ったるいチャイ)とともに、流し込んだ。
それから、ホテル周辺の散策に息子を残して独りで出かけ、ボウドの町並みを30分くらい探索した。ホテルは車道に面しており、両側に店が並んでいる。雑貨食料品や現地製スイーツ(ミタイ、Mithai)の店、果物の屋台、薬屋、病院、路上で衣料品を売りさばく露天商等々、変わらないインドのバザール風景だ。
ホテルに戻ると、既にランチが届いていて、息子ははや食べ始めていた。私もパラタ(Paratha)という現地製揚げパンケーキ2枚とオニオンオムレツに取り掛かり、食べ終わる頃にほかの3人がやってきて、全員ランチを済ませたあと、チェックアウトし、会場に向かった。
いよいよ本番だ。テントを張ったVIP席で待たされること30分、まだ前の女性シンガーが歌っている最中だったが、早めに最前列の要人席を確保した。背後の一般席の学生たちのフィーバーぶりは凄まじかった。ボンベイ(Bombay、新ムンバイ、Mumbai)を本拠地とするヒンディー映画界、ハリウッドもじってのボリウッド(Bollywood)の映画音楽をカバーするベテラン女性シンガーに熱狂的な声援を送っている。
やっと終わり、待ちかねた息子の番がやってきた。女性司会者がオディシャ州(Odisha)の言語オディヤ(Odia)で息子を紹介、Rapper Big Deal(ラッパー・ビッグ・ディール)と声を張り上げるも、本人は気をもたせるようになかなか登場しない。背後の観客席から待ちきれないように、Big Dealのコール音が熱狂的に湧き上がっている。
司会者が再登場し、Rapper Big Dealと大きく叫ぶように紹介しても、じらすように本人はファンの前にいっかな姿を現さない。みたび司会者が大声で紹介したあと、ようやく舞台の袖から、オディシャNo.1のラップスター、ブルーの背にナンバー入りのスポーティーなジャケット姿で、Rapper Big Dealが颯爽と現れた。
「ムー・オディヤ」(僕はオディシャ州民)、リズミカルなメロディに乗ってリピートし、観客にも復唱するように腕を掲げてアピール、背後から学生たちの声が一斉にあがり、和音の波となって野外会場を駆け巡り、いっぱいに満たす。
高い天井をドローンが空撮に飛び回っていて、ハイテクぶりに目を見張らされた。私が移住した37年前にはとても考えられなかった光景だ。インドはもう、貧しい後進国じゃないんだなと、しみじみ実感、何せ田舎道の掘っ立て小屋紛いの売店ですら、スマホで払う電子マネーに対処しているのだ。ジュースもろくに売ってないような小店なのに、スマホ決済だけはオーケー、心底驚かされたものだ。
若い観衆の熱気と興奮の中、ハイテンポなラップソングが続き、会場を熱狂的に湧かせたあと、息子が、
「今日は僕の母が初めて僕のライブを観に来てくれました」
と紹介コメント、テレビカメラが不意に最前列で聞き入っていた私に向けられ、焦った。
ほどなく、スローテンポのバラード、「ボウ」(お母さん)が、母の私を始め、すべてのお母さんに捧げるとの触れ込みのもとに始まった。美しい曲調と母を想う詞(リリックス)に、思わず涙がこぼれそうになった。
たっぷり30分以上観客を楽しませ、酔わせた挙句、Rapper Big Dealはファンの惜しむ歓声を背に、礼を言いながら舞台の袖に引っ込んだ。
ブラボー!と、心からの快哉を叫びたい気持ちだった。感極まって、しばらくその場を動けなかった。震災で沈んでいた気持ちが癒され、この感動や喜びの波動が少しでも被災者の皆さんに届くようにと心から祈りたい思いだった。
感動的なショーの余韻冷めやらぬ中、ついでに観光の真似事、川沿いの古い王宮(Jogindra villa Palace)や、植民地時代宗主国だったイギリスから奪い返したとのいわれのある古いブッダ像を見て、12キロ離れた山中の洞窟(Nayakpada Cave)に向かい、行者(サドゥ、sadhu)が修行の場として瞑想したという洞穴を見学、帰路は、死後スピリットは残るや否やの怪談めいた話になり、幽霊(現地語でブットー=Bhoot)の目撃談で盛り上がった。
息子がGoogleマップでチェックした一番の近道、ジャングルの中の道なき道をドライバーに指示し走らせたため、ドライバーがストレスから発熱するアクシデントもあったが(もしかしてブットーの呪いだったかも)、どうにか22時30分には帰り着いた。
さすがに疲れたけど、楽しいライブツアー同行で、行ってよかったとしみじみ思った。いまだ我が子のパフォーマンスを初見した感激冷めやらぬまま、興奮の名残に浸りつつ心地よい眠りについた。
※新作ラップ(わがオディシャ)は1月10日で20万視聴回数突破と、ミリオンヒットの兆し。生まれ故郷オディシャの発展ぶりと自然美をアピールした観光促進動画は、ヴィジュアル的にも素晴らしいので、ぜひご視聴いただきたい。
Rapper Big Deal/Mo Odisha(わがオディシャ)
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。
2023年9月4日付で「CoronaBoard」によるコロナ感染者の数字の公表が終了したので、国別の掲載をやめてます。編集注は筆者と関係ありません)