【ケイシーの映画冗報=2024年2月29日】もう10年以上前のことですが、日本の国際空港で迷彩服を着た十数人のグループに遭遇したことがあります。国際情勢に精通した友人が話しかけたところ、「彼女たち(半数以上が女性)は通訳としてアメリカ軍に所属している」そうですが、「軍人としてのトレーニングはさほどしていない」ということでした。
「通訳が所属する軍隊で一緒に戦うと、相手側の憎悪の対象として狙われる」という現実も同時に教わりました。本作「コヴェナント 約束の救出」(Guy Ritchie’s the Covenant、2023年)は、まさにそうした戦地での軍人と通訳との絆(コヴェナント)を主軸としており、実話をベースとした作品となっています。
2018年、アフガニスタンに駐留するアメリカ軍のジョン・キンリー曹長(演じるのはジェイク・ギレンホール=Jake Gyllenhaal)らの部隊は、過激な活動をつづけるイスラム主義者タリバン(Taliban)が隠している武器弾薬の捜索をしていました。仕掛け爆弾で部下と通訳を喪ったキンリーの部隊に新たにアーメッド(演じるのはダール・サリム=Dar Salim)が配されます。
優秀だが、クセのあるアーメッドとなんとか信頼関係を築いたキンリーの部隊は、アーメッドの協力でタリバンの武器工場を急襲し、無力化することに成功しますが、そこへタリバンの部隊が襲いかかり、負傷したキンリーとアーメッドを残して、全員が戦死してしまいます。アーメッドは動けないキンリーを連れ、アメリカ軍の基地まで、タリバンとも戦いながら歩き続け、ついに生還します。
名誉の負傷兵として、故国アメリカに戻ったキンリーは妻のキャロライン(演じるのはエミリー・ビーチャム=Emily Beecham)や愛する子どもたちと再会しますが、その幸せのなかで恐ろしい事実を知ります。
命をかけて自分を救ってくれたアーメッドにタリバンが懸賞金をかけたことで、アーメッドと家族が危険にさらされているということ。そして、アメリカ政府がアーメッドら通訳とその家族に約束した入国ビザを、まだ交付していないという冷徹な現実もつきつけられました。
キンリーは個人でアメリカ軍や移民局とかけあいますが、命の恩人へのビザは、ひどく遅れているというのです。「今度は自分が救う番だ」、キンリーはアフガニスタンへ行き、自分の力でアーメッドと家族を助ける決意を固めるのでした。
監督・脚本(共同)のガイ・リッチー(Guy Ritchie)は、さまざまなジャンルを手がけていますが、ほぼ一貫して洒脱な会話とスタイリッシュな映像、そして巧みなストーリーにコメディ要素がふくまれた作品群によって、定評のある映像作家です。
そんなリッチー監督ですが、本作では実際に起きた事件をもとに、これまでの作品とは異なり、鑑賞中にニヤリとするようなシーンはほぼありません。
「本作では過去作と違うことをやりたかった。(中略)おなじみのエネルギッシュな犯罪コメディとは違うベースの作品だからね。(中略)派手なことをやってみせるよりも、ストーリーに関心があったんだ」
これまでのリッチー監督作品では、作品内の時系列がバラバラに構成されていたり、早回しとスローモーションを駆使した見栄えのする映像が強く印象づけられましたが、本作ではこうした部分は抑制気味となっています。
「ひとりの男が自分の借りを返すことに強く突き動かされている、ただそれだけを理解すればいいのです」(いずれもパンフレットより)という、主軸の部分に絞りこんだ作品となっています。余計な部分を削りこみ、シンプルな構成とすることで、国家や政治にはさほどフォーカスされていません。
本作の舞台となった2018年から3年後の2021年8月30日にアメリカ軍はアフガニスタンから撤退しますが、本作のラストにはこんな一文が添えられています。
「米軍がアフガニスタンから撤退(中略)、その1カ月後 タリバンが政権を掌握 300人以上の通訳が殺害され 今もなお数千人が身を隠している」とあり、現在進行形の問題であることが提示されます。
じつはアフガニスタンは、19世紀にはイギリス軍と戦い、20世紀には当時のソ連軍の軍事侵攻を受け、21世紀には本作のようにアメリカ軍の大規模な戦闘行動と、大国の軍隊がはいり、はげしい戦いを経て、いずれも撤退していますが、それが平和には直結していないのです。
もちろん、こうした争いはすくないほうがいいですし、理想的にはゼロがベストですが、その位置に到達することの困難さも、感じ取れるのも本作の魅力でしょう。次回は「ARGYLLE/アーガイル」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。