教文館で馬場のぼる没後10年記念展、今村洋子や佐藤英和らも

【銀座新聞ニュース=2011年7月15日】本の教文館(中央区銀座4-5-1、03-3561-8446)は7月15日から8月18日まで9階の「ウェンライトホール」で「馬場のぼる没後10年記念展『11ぴきのねこがやってきた』」を開催している。

マンガ家の馬場(ばば)のぼる(1927-2001)が2001年に亡くなってから10年経つのを記念して、29年かけて完成した代表作の「11ぴきのねこ」シリーズの絵本絵画を中心に、スケッチ、絵本作りについてのエッセイなどを展示している。また、ふるさとの三戸町(さんのへまち)の生家から2010年に発見された子ども時代の作品も公開している。

さらに、「11ぴきのねこが走る!マラソン大会の大パノラマ」も設置し、7月6日に刊行された「馬場のぼる こどもまんが全集」(こぐま社)の復刻展示や手ぬぐい、ぬいぐるみ、時計などの記念グッズも販売している。
ウイキペディアによると、馬場のぼるは1927年青森県三戸郡三戸町生まれ、1944年に岩手県立福岡中学校4年修了後、海軍予科練14期生として土浦海軍航空隊に入隊、1945年6月に特攻隊員に選ばれるも、終戦を迎え、リンゴの行商人、開墾農民、大工の見習い、小学校の代用教員などを務め、1948年に八戸市近くのアメリカ軍キャンプに勤務し、ポスターを描きながらマンガを描いた。

1949年に上京、1950年に野球マンガ「ポストくん」でデビュー、1955年に「ブウタン」で第1回小学館漫画賞、1958年にマンガ集団に入団、1967年に「11ぴきのねこ」を刊行し、以来1996年に6冊目を刊行するまで29年かかった。1968年に第15回サンケイ児童出版文化賞を受賞し、1970年から「日本経済新聞」に「バクさん」を14年間連載、1985年に「11ぴきのねこマラソン大会」でボローニャ国際児童図書展エルバ大賞、1993年に第22回日本漫画家協会賞文部大臣賞、1995年に紫綬褒章などを受章し、2001年4月7日に胃がんにより、東京都練馬区の自宅で死去した。

7月24日14時から銀座フェニックスプラザ(中央区銀座3-9-11、紙パルプ会館、03-3543-8118)でマンガ家の今村洋子(いまむら・ようこ)さんとこぐま社専務、編集長の関谷裕子(せきや・ゆうこ)さんによる「馬場のぼる先生をめぐって-マンガ・ネコ・絵本そして故郷三戸」と題して対談する。当初はマンガ家のみつはしちかさんも出演する予定だったが、体調不良で欠席する。

8月6日14時から銀座フェニックスプラザで「こぐま社」の創業者で編集者の佐藤英和(さとう・ひでかず)さんが「11ぴきのねこと馬場のぼる先生」と題して講演会を開く。

今村洋子さんは1935年東京都千代田区生まれ、10代から貸本マンガ家の父、今村(いまむら)つとむのアシスタントをし、1952年に単行本「子豚のラッパ」でデビュー、1959年に少女向け月刊マンガ誌「少女」(1949年創刊、1963年休刊)に「チャコちゃんの日記」を連載し、注目された。

その後、「ハッスルゆうちゃん」などを発表、特に小学館の学年誌に多くの作品を連載した。1977年に「小学一年生」に連載した「ぺちゃこちゃん」を最後に活動を休止、最近は「ラック(LAC)の会」という学習マンガを描いているマンガ家たちの集まりに参加している。

関谷裕子さんは1956年東京都生まれ、早稲田大学を卒業、こぐま社に入社、絵本の編集を担当、その後編集長に就任し、取締役を務めている。

佐藤英和さんは1928年長崎県生まれ、1953年に神戸経済大学(現神戸大学)を卒業、河出書房に入社、編集者として務め、1966年に創作絵本の「こぐま社」を設立、編集者として「11ぴきのねこシリーズ」や「こぐまちゃんえほんシリーズ」、「わたしのワンピース」などを手がけ、こぐま社社長を経て、現在、財団法人「東京子ども図書館」監事。

また、2階和書売り場で「馬場のぼる こどもまんが全集」(こぐま社)復刻記念フェアを開いている。4階エレンカイムで馬場のぼるの水彩画を展示販売している。

6階ナルニア国では「馬場のぼるってこんな人」と題して、「漫画家の絵本の会」の仲間である、やなせたかしさん、柳原良平(やなぎはら・りょうへい)さん、多田ヒロシ(ただ・ひろし)さん、長新太(ちょう・しんた、1927-2005)らが2002年に哀悼の意を込めて馬場のぼるへ寄せた絵やエッセイを展示する。

開場時間は11時から19時、入場料は一般700円、大学生500円、高校生以下100円。期間中は無休。講演会は定員が200人、参加費が1000円。申し込み、問い合わせはウェンライトホール(03-3563-0730)まで。