Shinwaがオフィス移転記念で近代美術の競売、横山大観、フジタら

【銀座新聞ニュース=2024年5月20日】美術品などのオークションなどを運営するShinwa Wise Holdings傘下のShinwa Auction(千代田区丸の内2-3-2、郵船ビルディング、03-5224-8620)は5月25日に郵船ビルディングで「近代美術/コンテンポラリーアート/近代美術PartⅡ」のオークションを開く。

Shinwa Auctionが5月25日に郵船ビルで開く「近代美術/コンテンポラリーアート/近代美術PartⅡ」のオークションのフライヤー。

Shinwa Wise Holdings(シンワ・ワイズ・ホールディングス)は2月26日に銀座から郵船ビルに移転したのに伴い、移転記念として5月25日14時から郵船ビル1階で、ルノワール、草間彌生さん、レオナール・フジタなど、取扱単価の高い作品をオークションにかける。入札は会場での直接入札のほか、事前入札、WEBからのリアルタイム入札でも受け付ける。

入札は「近代美術PartⅡ」(LOT.1からLOT.74)、「近代美術」(LOT.75からLOT.168)、「コンテポラリーアート」(LOT.169からLOT.207)、「Watch(ウォッチ)」(LOT.208)の順で実施される。

また、21日から23日の10時から18時まで同じ会場で下見会を開く。入場は無料で、見学もできる。

注目される作品として横山大観(1868-1958)「天壌無窮」(LOT.110、評価は300万円から400万円)、国吉康雄(1889-1953)「羽根のついた帽子の女」(LOT.154、1935年作、評価は1500万円から2500万円)、レオナール・フジタ(藤田嗣治、1886-1968)「赤いスカートの少女」(LOT.155、1965年作、評価は2500万円から3500万円)、レオナール・フジタ「花を持つ少女」(LOT.156、1950年作、評価は3000万円から5000万円)。

梅原龍三郎(1888-1986)「北京風景 長安街」(LOT.157、1940年作、評価は2500万円から5000万円)、ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet、1928-1999)「ガレの花瓶のアイリス」(LOT.161、1962年作、評価は800万円から1200万円)、 ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault、1871-1958)「グレゴワール」(LOT.166、1940年から1948年の作品、評価は200万円から300万円)、ジョルジュ・ルオー「道化師と踊り子たち」(LOT.167、1933年作、評価は500万円から800万円)。

ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir、1841-1919)「女性の胸像」(LOT.168、 1911年作、評価は3800万円から6000万円) 、草間彌生さん(1929年生まれ)「夏に死す」(LOT.207、1989年作、評価は5000万円から8000万円)。

オークションに出品される梅原龍三郎の「北京風景 長安街」(1940年作)。

他に荻須高徳(たかのり、1901-1986)、黒田清輝(1866-1924)、坂本繁二郎(1882-1969)、鴨居玲(1928-1985)、杉山寧(1909-1993)、東山魁夷(1908-1999)、平山郁夫(1930-2009)、加山又造(1927-2004)、竹内栖鳳(せいほう、1864-1942)、前田青邨(せいそん、1885-1977)、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928-1987)らの作品が出品される予定としている。

Shinwa Wise Holdingsは1987年に美術品の業者交換会「親和会」として発足し、1989年に資本金1億円で「株式会社親和会」を設立(1991年に「シンワアートオークション」に変更)、1990年に古物商の許可を取得し、同年9月に第1回アートオークションを開き、1996年に第1回陶芸オークションを開いた。

1997年に第1回茶道具オークションを開き、1999年に第1回絵画・版画・工芸のオークションを開き、2000年に交換会事業から撤退し、2001年にはワインオークションを開き、2002年には宝石オークションを開いた。2005年に大阪証券取引所「ヘラクレス」(現東証JASDAQ市場)に上場、2008年にマカオでオークションを開き、2013年にエーペック株式会社(現Shinwa ARTEX株式会社)の株式取得により子会社化、シンワメディカル株式会社(現シンワメディコ株式会社)を設立、Jオークション株式会社(現Shinwa Market)を設立、2017年8月に「Shinwa Auction株式会社」を設立し、12月に持ち株会社に移行し、「Shinwa Wise Holdings株式会社」に商号変更している。

会計検査院の論文「新しいオークションの理論と実践」(川又邦雄さんと馬場弓子さんの共同)によると、アメリカの経済学者、ヴィクリイ(William Spencer Vickrey、1914-1996)は1961年にオークションのルールに関する4つの形態を考察した。その一つであるイングリッシュ・オークション(English auction、英国型)においては、全員の前で買手がセリを行い上方への修正のみを許すとしてつけ値を上げていく。ある価格の下でだれも上方へ値を修正する者がいなくなったとき、最後に残った1人にその価格で財を購入させる。

2つ目はダッチ・オークション(Dutch auction、オランダ型)で、英国型オークションとは反対に、十分に高い値から始めて、最初に購入を申し込んだ個人がその値で財を入手する。

第3は第2価格入札方式(the second-price-sealed-bid auction)あるいはクラーク=グローブス=ヴィクリィ・オークション(Clarke、Groves、Vickrey=CGV auction)とよばれるもので、潜在的な買手全員が他人のつけ値を知らされずに希望購入価格を記入してからそれらを公開し、もっとも高いつけ値をした個人に、2番目に高い価格で購入させるのがルールという方式。この方法はオークションが公開あるいは非公開で進行するという違いがあるとはいえ、だれがどの値で入手するかのルールは第1の方法とまったく同一である。

第4は第1価格(最高価格)入札方式(the first-price-sealed-bid auction)で、第3の方法と違って、もっとも高い買値をつけた個人がその価格で財を購入するルールである。この方法ではオークションの進行によって参加者に情報が伝えられることがないのが普通で、その限りでは(2人以上が同じ価格をつける場合を無視すれば)第2の方法とどのような価格を提示するかという戦略の面ではまったく同等である。

英国型オークションでは進行につれて情報が開示されていくことが多い。その意味で入札が静学的なオークションであるのに対し、この方式による競売は動学的なオークションである。生鮮食品や耐久性のない財をいくつも取引する場合には、時間的制約から口頭によるオークション(セリ)が好まれる。

また、入札のプロセスが公明で決めやすいことから絵画などの取引にも英国型オークションが用いられることが多い。競売者の期待収益の大きさもこの選択に関連している。また公共事業のように巨額で費用の計算などに時間を要する対象について、あるいは相手の行動を見ての結託行動を回避したい場合には入札が好まれる。しかし、高値落札する危険とそれにともなう後悔(winner’s curse)は公開の場合の方が緩和されるという。

オークションの歴史は紀元前の古代バビロン(現在のイラクに紀元前1894年頃から紀元1000年頃まで栄えた都市)にまで遡れ、最古の文献は、ヘロドトス(Herodotus、BC484頃-BC425頃)の「歴史」の中に見られる。紀元前500年頃にバビロニア人の間で結婚相手(妻)を得るためのオークションがどの村でも1年に1度行われていたという記述がある。

ローマ時代(紀元前736年に建国、紀元395年に東西分割した)の文献によれば当時すでにオークションに関する言葉があったことが知られる。オークションの語源は増加を意味するラテン語の「オクチオ(autio)」と考えられている。家財の競売もローマ人が始めたといわれている。

戦利品や捕虜が市場で競売されたこともあり、ローマ商人たちはチャンスを逃さないように軍隊に同行していた。差し押さえ物件としての不動産のオークションによる処分方法についての記録もある。債務者はすべての財産を譲渡すれば逮捕を免れた。

史上最大のオークションもローマ帝国全盛期に行われた。英国の歴史家、ギボン(Edward Gibbon、1737-1794)の「ローマ帝国衰亡史」(1776年から1788年)によれば、混乱と殺害のつづく中、193年に全ローマ帝国の皇帝の地位が近衛隊によって競売に出された。最大の領地を申し出た第19代ローマ皇帝のデイデイウス・ユリアヌス(Marcus Didius Severus Julianus、133-193)はへつらう者が立ち去った後自省の念に駆られ、さらには身の危険を感じるまでになった。「カベアート・エンプトール」(買手に危険を負担させよ)のルールにしたがって、最高額を申し出たユリアヌスは今日、高値入札者の負担を表現するように「勝者ののろい」(winner’s curse)を全身をもって体験した。

アジアでは、7世紀の中国で死亡した僧侶の所有物はオークションで処理されたという記録がある。しかし、その後オークションについての資料はほとんどなく、16世紀後半までの空白がある。

英国では、最初のオークションが1595年に行われたとされている。17世紀後半にはそれが一般になり、18世紀には貿易、商業が盛んになり、インドに新たな貿易ルートが拓かれたこともあって、カリブ諸島と南北アメリカへと発展していく。

この時代の貿易でもっとも利益が大きかったのは「奴隷貿易」だった。18世紀後半になるとヨーロッパでオークションが急成長してきた。ロンドンを拠点にしてクリスティーズ(Christie’s、1766年設立)とサザビーズ(Sotheby’s、1744年設立)が設立され、美術品を中心に家具、宝石のオークションを行った。両社は現在に至るまでオークションの世界をリードしている。

アメリカでは1776年の独立当時より資本財や在庫品を現金化するためにオークションが用いられ、アフリカ系奴隷をアフリカから連れだしたのは、英国人やフランス人だった。奴隷と交換するために彼らは工業製品をアフリカに輸出し、奴隷をアメリカに輸出し、この奴隷労働でつくり出された砂糖や綿花を本国に輸入するという「三角貿易」によって商工業を発展させた。1650年にヴァージニアにわずか300人程度のアフリカ系しかいなかったのに、1721年には半数をアフリカ系労働者が占めている。奴隷の競売は1859年から1860年にピークを迎えた。

現在、各国のオークションで扱われる品目には、美術品、農産物、中古車、政府債券、道路工事、油田の発掘権、会社や土地、衛星放送の周波数帯や電力自由化の権利などがある。クリスティーズとサザビーズだけでも1991年から1995年の間に世界の主要都市で両社合計で8000回のオークションを開催している。