丸善日本橋でシャガール、ピカソ、デュフィ、ミロら版画展

【銀座新聞ニュース=2023年6月4日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は6月7日から13日まで3階ギャラリーで「マルク・シャガールと20世紀の巨匠版画展」を開く。

丸善・日本橋店で6月7日から13日まで開かれる「マルク・シャガールと20世紀の巨匠版画展」に出品されるマルク・シャガール「トゥルネル波止場」(リトグラフ、1968年)。

愛にあふれた幻想的なイメージで世界を魅了した画家、マルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)は動乱の20世紀に波乱の生涯を送った。マルク・シャガールは「色彩の魔術師」と呼ばれ、その色彩感覚は同時代を生きたスペインの画家、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)をして「マチス亡き後シャガールのみが色が何であるかを理解している最後の絵描き」といわしめた。

今回はシャガールと同時代に活躍し、20世紀を代表するピカソ、フランスの画家で、フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)のリーダ-的存在だったアンリ・マティス(Henri Matisse、1869-1954)、19世紀から20世紀のフォーヴィスムを代表するフランス人画家、ラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)、スペインの画家、ジョアン・ミロ(Joan Miro i Ferra、1893-1983)らの版画作品も併せて展示する。

ロシア(現ベラルーシ)出身のユダヤ系フランス人画家で、妻のベラ・ローゼンフェルト(Bella Rosenfeld、1895-1944)を深く愛し、「愛の画家」と呼ばれるマルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)が誕生して2022年に135年になる。革命前のロシアにユダヤ人として生まれ、動乱の20世紀を波乱の生涯を送ったマルク・シャガールは「愛と幻想の画家」と呼ばれ、その色彩感覚と夢のある画風で今も尚、多くの人を魅了し続けている。

ほかに、マルク・シャガールと同時代に活躍したスペインの画家、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)、近代のフランス人画家、モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo、1883-1955)、19世紀から20世紀のフォーヴィスム(野獣派)を代表するフランス人画家で、「色彩の魔術師」と呼ばれたラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)、スペインの画家、ジョアン・ミロ(Joan Miro i Ferra、1893-1983)らの作品も展示する。

ウイキペディアによると、マルク・シャガールは1887年7月7日に帝政ロシア領ヴィテブスク(ヴィチェプスク、現ベラルーシ・ヴィーツェプスク)にて9人兄弟の長男として生まれた。1910年にパリに赴き、5年間滞在し、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。1915年に母が病死し、同年にベラ・ローゼンフェルト(Bella Rosenfeld、1895-1944)と結婚した。1917年の10月革命後のロシアでしばらく生活するが、1922年に故郷に見切りをつけ、ドイツ・ベルリンを経由して1923年にはふたたびパリへ戻った。

1941年に第2次世界大戦が勃発しナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命したが、妻のベラ・ローゼンフェルトは1944年にアメリカで病死した。1947年にパリへ戻り、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得した。1951年、彫刻制作を始め、1952年にユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキー(Valentina Brodsky、1905-1993)と再婚した。

1960年にエラスムス賞を受賞し、同年、当時のフランス共和国文化大臣のアンドレ・マルロー(Andre Malraux、1901-1976)がオペラ座の天井画をシャガールに依頼し、1964年に完成している。1966年に17点の連作「聖書のメッセージ」をフランス国家に寄贈し、マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、ニース市が土地を提供する形で、1973年にニース市に「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現国立マルク・シャガール美術館)が開館し、1985年3月28日亡くなり、1966年から20年近く暮らした、ニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスの墓地に眠る。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。