2020年(16.対面<真鍋翔子再び6>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年5月20日】向こうの世界で忽然と消えた老婆と、戻ってまもないこちらの世界の生地で劇的な再会を2度果たした後、私はもう一人の自分に直接の接触を試みた。クマリのタロット占いの個人セッションに篠崎玲子の名で申し込んだのである。

篠崎玲子とは、私が向こうの世界に飛ばされていた3カ月、居候させてもらった主不在の家の姓を勝手に借用して、偽アイデンティティを作ったもので、体面上、向こうではこの名で通したのだった。

クマリは売れっ子のため、すぐに予約がとれるとは思わなかったが、予想したよりずっと早く、オンライン・セッションの日時が明記されたメールが届き、私は小躍りした。好都合にも、それはおばあさんとの3度目の会合の前日だった。

悪童から老婆を救ったのが縁で、家に招待され、主が消えた後もそのまま居着くことになってしまった向こうの世界の仮宿、今になってわかることだが、おばあさんは、私と入れ替わりにこちらに飛んでいたわけで、そうと知った以上は、何としてでも戻してあげねばならなかった。が、何ひとつ妙案は浮かばなかった。

おばあさんと同じ世界のもう一人の私、不思議な予知能力を持つタロット占い師・クマリなら、何か名案を授けてくれそうで、知恵を拝借することにしたのである。

当日16時、予約時間の1時間も前から私はそわそわと落ち着かず、鏡と睨めっこしながら、眼鏡をつけたり、マスクを着用したり、毛糸帽を被ったり、不自然にならぬような変装に余念がなかった。

クマリもセッション時は仮面を被って素顔を晒さないというし、互いが顔を隠していれば、正体は割れるはずもないのだが、私はびくびく怯えていた。霊感の強い占い師にかかったら、いくらうまく変装しても、あっけなく見破られてしまいそうだ。

初めてもう一人の自分、向こうの世界の真鍋翔子と対面したとき、ヒステリックに怒鳴られて、冷酷無比に追放されたことを思うと、またエキセントリックな反応をされて、肝心のヒントは何も聞き出せないまま終わるのではないかという危惧が募り、刻一刻と面談時間が近づいてくるたび、胸の動悸は収まらない。

私は心臓が縮みそうな思いで、老眼鏡にマスク、青いウールの帽子をすぽりと被って髪全体を覆うと、画面に向かった。どこにでもいる初老の婦人、何ら他意のないありきたりの洒落っ気のない年配女、これなら怪しまれまいと自分に言い聞かせながら、5分後に迫ったセッションをじりじりと待った。

16時ちょうどに、画面の向こうから、黒い羽根付きの金の縁どりのある鮮やかな紫色の舞踏会用マスクを着けた長い髪の女性が現れ、にこやかに挨拶した。
「タロット占い師クマリです。篠崎玲子さん、このたびは個人セッションにお申し込み頂き、ありがとうございました。本日はよろしくお願い致します」

リップグロスの艶やかなワインレッド色の唇が割れて白い歯が覗き、無料動画で聞き覚えのある涼やかな声が流れる。

「初めまして、篠崎です、今日はよろしくお願い致します」

私は少し気後れしながら、マスク越しのくぐもった声で挨拶し返した。一瞥したところ、クマリは私の正体になんの疑念も抱いていないように思われた。胸でほっと小さな息をつく。無論、私が別次元の、パラレルワールドからのクライアントであることはとっくに見抜いているだろう。しかし、そんなことはおくびも出さない。こちらの世界の相談者は、クマリが向こうの世界の住人とは思わず、申し込んでくるのだから。私の弟のように。

「今日は、どのようなご相談に乗りましょうか」

私はぐっと言葉に詰まる。正直に何もかも話してしまった方がいいのか。が、もし私の正体を知ったクマリが切れて、セッションを中断してしまったら? もう一人の自分は、地味で目立たぬ私に比して、火のように烈しい気性、濃い口紅からも華やかな性格のようだ。

でなければ、国際結婚に踏み切って海外で宿を切り盛りしていくなんて、大胆なことはできないだろう。クマリの前身は、ネパールの首都カトマンズで現地人夫とともに、ホテルを経営していたのだ。伴侶に先立たれ、永久帰国、タロット占い師に鮮やかな転身を遂げたのだった。

「行方不明になっていたおばあさんを見つけたんですが、認知症が進んでいて、保護された施設も面会に来た私も、彼女が住んでいた世界とは別物と思い込んでいて、元の世界に返してくれと泣き喚くんです。どうしたらいいでしょうか。おばあさんの気が楽になるなら、戻してあげたい、そう思わせてあげたいんですが」

私はしどろもどろに、ようやくそんな風に脚色して言った。

クマリは少し考え込むように黙り込んだ後、
「おばあ様は本当に、そう思い込んでいるだけでしょうか」
とつぶやくように投げて、核心を突いた謎かけに、私はぎくりとした。何もかも見抜かれているようでひやりとする。

「失礼。とりあえず、カードをシャッフルして、診てみましょう」
5枚のカードを十字に並べたクマリは、おもむろに1枚ずつ開いていき、じっくり吟味した後、赤い口唇を割った。

「トラベラーのカードが出ました。噴水のある公園のベンチに白いカラスが留まっています。真上の空には、天を飛翔する旅人、もうすぐ鳥のように舞って、自由になれます」
「公園のベンチに白いカラスですって?!」

私は興奮して、思わず叫んでいた。息せき切って、言葉を継ぐ。
「おばあさんが消えたのも、公園のベンチでした。居場所を教えてくれたのは、白いカラスです」

「白ガラスは、ホワイトレイブンと言われる太陽神の使い、霊魂が宿るとされる神聖な鳥ですよ」
「霊魂が宿る?」
「ええ。私は以前、ネパールに住んでいたんですが、現地人夫とともに首都のカトマンズで民宿を経営していましてね。その夫が急死した翌日から、庭の椰子の木をねぐらに、ホワイトレイブンが住み着くようになったんです。夫の化身の白ガラスは、私が永久帰国するまでずっと、私を見守ってくれたもんでした」

クマリの胸を打つ身の上話、それからはっと思い当たった。あのとき、私を安らぎの家へと引導してくれた白ガラスは、おばあさんの20年前疫病で絶命したという亡き夫だったのではないか。

「もう1枚、気になる絵柄が出ています。鍵のかかってない門の内側に、白ガラスがいて、空を飛ぶもう一羽の白ガラスを羨むように見つめています。どうやら、つがいのようですね。門のうちの烏は、空を自由に舞う烏に導かれて、すぐに自由になるでしょう。戻してあげるには、飛ばされたまさにその地点からです。原点に戻るんです。そこに手がかりがあるはずですよ」

「わかりました。それだけヒントをもらえば充分です。ありがとうございました」
「少しはお役に立てたかしら」
「はい。本当に助かりました」
「よかったわ」
赤くなまめかな唇が綻んでいる。まだセッション時間は余っていたが、私は引け際だと思った。これ以上余計なことを口走って、素性がばれないためにも。私がお礼と別れの挨拶に口にしかけたとき、遮るようにクマリが投げた。

「最後にあなたに、ひとつだけお願いがあるのだけど」
「はい、私でできることなら、なんでも」
「その眼鏡とマスクを取って頂けないかしら」
私はさすがにぎくりとしたが、一旦承諾した以上なすすべもなく、観念したように変装を解いた。

私が素顔を露わにした途端、画面の向こうから妙なうなり声、感嘆ともつかぬ雄叫びが長く尾を引いて発された。
「やはり、あなただったのね。パラレルワールドのもう一人の私、真鍋翔子」

仮面の下に隠された顔は烈しく、動揺していた。と次の瞬間、クマリは震える手で仮面を引き抜いて、私に面と向かって対峙した。
今度は、私が甚だしく狼狽する番だった。私たちは、素顔を晒し合ったまま、しばらく無言で見つめ合っていた。まるで、鏡面を見ているように、瓜二つの顔同士を。どれくらいのときが、過ぎたろうか。

私たちは我に返って、照れくさそうに互いの目を逸らし合った。
「いつぞやは、ごめんなさい。取り乱しちゃって」
「自然な反応です。私があなたなら、やはり動揺して金切り声で追い返していたでしょう」
「弟さんがいつだったか、行方不明になったあなたのこと、心配なさって相談を受けられたことがあってね。カードには、まもなく帰ると出ていてそうお答え申し上げたのだけど、やはり無事戻っていたのね。よかったわ」
「その節は弟にアドバイス頂き、お世話になりました」

それから、私はあれからのいきさつを手短かに説明した。まるで一卵性双生児のようなクマリは黙って耳を傾けていたが、話が一段落したのを見計らって、口を開いた。
「そういうわけだったのね。大丈夫、そういうことなら、おばあさんはすぐ戻れるわ。何とか公園まで連れ出しさえすれば、あとは、天が取り計らってくれるはずよ。少し急いだ方がいいわ。つがいの片割れ、雄かしら、雌と合流したがっている気がするの」

聞きようによっては、少し不吉とも取れる予言で、胸がざわざわした。
「明日、面会しますので、できるだけトライしてみます」
クマリは大きく、頷いている。

私は最後にこれだけは言っておきたいと、付け足した。
「私、あなたのこと、本当に誇りに思っています。パラレルワールドのもう一人の翔子がこんなダイナミックで冒険に満ちた人生を選んでいたなんて」

「ありがとう。でも、それは私がそっくりあなたに返す言葉でもあるわ。私ね、実は若い頃、雑誌記者に憧れていたの。でも、受けた出版社全部落っこっちゃって、諦めざるを得なかったの。並行世界のもう一人の翔子が、その断念した私の夢を実現してくれていたなんて、すこぶる爽快な気分よ。あなたを同じように誇りに思い、尊敬しているわ」

「身に余る言葉だわ。ありがとう。でも、不思議な能力を備えたあなたには叶わない、素晴らしい才能の持ち主だわ」
「わが分身の翔子からそんな風に言ってもらえるなんて、私にとっては、誰よりも嬉しい最高の褒め言葉よ」

私たちは、画面の向こうとこちらから手を差し伸べ合った。バーチャル握手を交わしながら笑い合う。えくぼの笑みがふたつ、ぴたりと重なり合った(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。