インド在住の息子が来日、日本人ラッパーたちと共演(150)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2024年6月28日】前に4月中に来日していた息子(Rapper Big Deal)の日本滞在レポート(148回)を送ったが(https://ginzanews.net/?page_id=67482)、息子がコラボをした日本人ラッパーについての詳細を知りたいとの要望があったので、来日編第2弾として以下、続編をお届けする。

4月3日、大阪のチルアウト酒場・ネバフ食堂で、「韻シスト」のメンバーと即興コラボを繰り広げるRapper Big Deal(写真左から2番目、その右が飛び入り参加のワンミーさん、左端の背中がドラムスのタロウさん、中央手前がベイシストのシュウさん、右端は繋ぎ役の軽刈田さん)。

その前にお断りしておきたいのは、私は音楽、特にヒップホップについては語るに足る資格を持たない素人ということ。故に、専門的見地からは述べられず、あくまで現実に対面した彼らの印象、実際にそのラップを聴いて思ったこと、一聴衆としての私的な感想にとどまることを前置きしておく。

4月2日、息子がインド・ムンバイから関西国際空港に到着した翌3日の夜、初めて大阪のヒップホップグループ、「韻シスト」(1998年結成)との対面がかなった。

繋ぎ役は、東京在住の軽刈田凡平(かるかった・ぼんべい)さん。常日頃、息子がネットを通して親しくしていた有名ブロガーで、インドのヒップホップシーンに詳しい。音楽評論家顔負けの持論を展開、Rapper Big Dealの作詞の解析も専門的見地から執筆、私もいろいろ学ばせてもらっている。

東京からわざわざ駆けつけてくれた軽刈田さんは、Rapper Big Dealとはもちろん初対面、自己紹介し合った後、早速「韻シスト」が経営するチルアウト酒場・ネバフ食堂(ダイニングバー・バル、大阪市北区神山町)へといざなってくれた。そこで、ベイシストのShyoudog(シュードッグ)さんと、ドラムスのTarow-one(タロウ・ワン)さんに初めてお目にかかった。

「韻シスト」は日本初のヒップホップグループ(6人でスタートしたが、現在4人編成)、いわゆるラップバンドのパイオニア的存在で、活動歴25年のベテランだ。残念ながら、MCのサッコンさんの姿は見えなかったが、後刻ギタリストのTaku(タク)さんとは顔合わせできた。息子好物の日本酒をご馳走になりながら、日印ラップ談義に花が咲いた。

すっかり意気投合した息子は、キーボードを叩くTarowーoneさんの伴奏に合わせてラップと、即興コラボ、たまたま誕生会で居合わせた沖縄出身のラッパー、One mi(ワンミー)さんともデュエット、場は一気に盛り上がった。

キーボードを叩くRapper Big Dealの伴奏でラップする「韻シスト」のタロウさん。意気投合した2人の息はぴったり。

「韻シスト」のメンバーは、キッズ食堂と銘打って子どもたちに無料で食事を提供するボランティア活動も展開、自らも子煩悩な父親である素顔を覗かせた。

真摯で音楽に対する純な情熱が好感度抜群、世代の違う私にも受け入れられる楽曲だった。新曲も聞かせていただいたが、耳に馴染みやすいとてもいい曲だった。以下は、最近リリースされた新作「キッズ食堂」(https://www.youtube.com/watch?v=fKz32bSwXvk)。

しかし、何より私を驚かせたのは店内にいる若者の熱気、東京とは違う関西人の乗り、バースデーで湧く店内の空気は爆上がりで、年長の私はついていけず、唖然と息を呑むばかり。が、同世代の息子はオーバーヒートする熱狂にハイになり、23時近くなっても帰りたがらない程だった。

広島、岡山と周って4月7日に金沢に入り、9日に福井に向かったが、その夜、片町のバー(American Bar Star、順化1丁目)で初顔合わせした地元ラッパーが、MC小法師(こぼし)さんで、福井No.1の人気を誇るヒップホップアーティストだ。紹介者は、福井県丹生郡越前町在住の牧野友さん(企画事務所Y.D.PLAN代表)だ。

実は牧野さんには、2020年春に福井の観光振興名目のラップ動画を撮っていただくはずがコロナ禍でキャンセルを余儀なくされたいきさつがあった(牧野さんの学友だったムンさんが主宰者)。企画がふいになったあとも、何かと気にかけて下さり、今回の来日にあたっては、地元最大手の福井新聞の取材も設定いただくなど、お世話になった。

大学時代ラップをやっていた牧野さんは、小法師さんとはSNSを通じて親しくなり、今回繋いでいただいたものだ。音楽愛好家のマスターが経営する福井・片町のバー「スター」で、地酒を仲立ちにラップ論議、今後のコラボの可能性も探った。小法師さんは2018年ラップのオーディション番組(Abema TVの「ラップスタア誕生」)で準優勝を射止めた小法師さんは、色白のイケメン、俳優業にも手を出している。2021年には、福井で初のヒップホップ事務所(来福Entertainment)も開設、CEOに就任。地方でラップをやる難しさを抱えながらも、地元でライブ活動、FM福井の「Update Evening! 」のラジオパーソナリティも務め、韻シストのメンバーの1人をゲストに招いたこともあったそうだ。

福井の片町にあるAmerican Bar「Star」にて、左から、牧野さん、ディール、小法師さん、私(著者)、日本酒を飲みながらラップ談義に花が咲いた(写真は牧野友さんが提供)。

4月10日に上京、12日の夜は渋谷道玄坂のクラブ(カスミビル4階のRuby Room=ルビールーム)で異色の日本人ラッパー、Darthreider(ダースレイダー)さんのライブに、息子はゲスト出演することになっていた。「Music Bridge Tokyo」と銘打たれた催しの一環で、世界各国の新人アーティストが参加、息子のほかにもインドから1人参加者があるらしい。繋ぎ役は、前述の軽刈田さんだ。

当日はまず軽刈田さんによるインタビュー取材を受けてから、彼の奥様(ジャズシンガー)並びに友人のインド女性(ムンバイ出身のシンガーソングライター)と合流し、台湾料理店「麗郷」で夕食を済ませたあと、近くの会場へ向かった。

薄暗い店内は熱気むんむん。ダースレイダーさんのパフォーマンスがいよいよ始まる。赤く染めた短髪に、焦げ茶の革ジャンを羽織ったがっしりした体格から、声量ある迫力に満ちたサウンドがほとばしる。

客筋は、クラブオーナーがアメリカ人のせいか、外国人が多い。英語が堪能なダースレイダーさんは、歌詞も英語、外国人受けするロック調ハードラップに、聴衆も体を揺らせてノリノリだ。左目には海賊のような黒いバンダナ風眼帯がかかり、トレードマークとして存在感をアピールする。息子のラップとは、水と油で、全く個性が違う。それにしても、圧倒的迫力で、熱演に吹っ飛びそうだ。

やっと息子の番が来た。しかし、あくまでゲスト出演のため、時間も限られており、インドのようにフルに発揮できないのがもどかしそうだった。それでも、持てる時間内で精一杯ラップを披露し、拍手大喝采を浴びた。帰途、2人の日本女性にサインをねだられたほどだ。

4月14日は、阿佐ヶ谷でダースレイダーさんと、仙台から来たHunger(ハンガー、仙台拠点のヒップホップグループ「GAGLE」=ガグルのMC)さんと、スタジオ(1階にインド・ネパール料理店Kumariが入っている南阿佐谷の渡辺ビル4階)でセッションコラボ。初めて見る録音風景に私は興味津々、一節ずつ録っていく息子に対して、ハンガーさんは長めの節を録っていく。アーティスト個人によってやり方が違うのだろうが、細かく分けて、そのたびにビート伴奏に注文を入れながら、録っていくことは、同じ調子を保つのが難しいため、さすがインドで5指に入るプロだと褒められた。

渋谷道玄坂のクラブ「Ruby Room」で、圧倒的迫力のラップを披露するダースレイダーさん。ロックの要素が強いハードラップだ。

軽刈田さんは録音後、ダースレイダーさんとハンガーさんへのインタビューも試みた(Rapper Big Dealを中心に、ダースレイダー、ハンガーも含めた日印比較論は、国立民族学博物館・辺境ヒップホップ研究会のウェブサイトに掲載された(https://minpaku-ees.jp/news/9/)。

後で調べてわかったことだが、1998年から活動を始めたダースレイダーさんは、33歳の時脳梗塞で倒れ入院、糖尿病の合併症で左目も失明した。そればかりか、40歳の時には腎不全で5年の余命宣告をされたという、異色中の異色ラッパーだった。

左目にかけたバンダナ風眼帯は単なる伊達、ファッションでなく、ほんとの隻眼だったのだ。しかも、東大中退、父が朝日新聞元ヨーロッパ総局長、元論説副主幹の和田俊(1936-2002)だったせいで、幼少期をパリやロンドンに過ごし、どおりで語学に堪能なわけだった。

病気ですらも、ラップにすれば、ポジティブになる、弱みでなくラップを通して強みに転化できるという発想、文学肌の私に言わせれば、私小説型ラッパー、いわゆる昔の破滅型文士風、しかし、自死に向かうマイナスとは逆方向、ラップを武器に病という現実すら利用してアートとして昇華する。死ぬまでは生きているんだからと、生きていることをフルに活用しなければと、自虐的なほどのプラス志向だ。

これだけの修羅場をくぐり抜けてきているのだから、並のラッパーじゃ太刀打ちできない。ほかの日本人ラッパーには申し訳ないが、その壮絶な生き様の前には、霞んでしまう。存在感が圧倒的すぎて、チャラいラッパーなら、強烈な個性の前にやわすぎて吹き飛んでしまいそうだ。

4月14日、南阿佐ヶ谷のスタジオにてダースレイダーさん(左)、ハンガーさん(右)とセッションコラボしたRapper Big Deal(中央)。

負の経験値にダンチの差がある。死と背中合わせの壮絶な体験、片目失明というハンディも逆手にとって売り物にし、眼帯もデザイン・商品化するという、転んでもタダでは起きないしたたかさた。もちろん、家族のサポートも大きな原動力だろう。愛妻との間に2人の娘がおり、素顔は意外にも子煩悩な父親だ。

というわけで、今回息子と関わった日本人ラッパーの中で、1番インパクトを受けたのは、ダースレイダーさんだった。ただそれはアーティストとしてのただならぬ生き様の凄絶さゆえで、音楽嗜好的には、「韻シスト」の優しいトラックが私好み、メンバーも安心できる人たちだった。息子が「韻シスト」に惹かれたのも、そんなところにあったかもしれない。

いまやボリウッド(ボンベイ=現ムンバイを本拠地とするヒンディー映画界)の音楽よりもラップの人気が高くなってしまったインドほどでないにしろ、日本でもラップは若者の間に人気を博しており、今後も日本人アーティストたちとのコラボを始めライブなど、活動の幅を第2の祖国日本に広げていきたいと、意欲を燃やすRapper Big Deal、今後ともご支援のほどくれぐれもよろしくお願いしたい。

※以下は、Rapper Big Dealの最新作ビデオ(英語)Suzumeの紹介(youtu.be/N2O1agVlFjc?si=jFSbfwATdv-_wQYw)。題名のSuzumeは日本のアニメ「すずめの戸締り」(2022年、新海誠監督)へのオマージュ(息子は大の日本アニメファン)、背景は4月中に旅した日本各地(メインは富山の世界遺産・五箇山の合掌作り集落)。日本の血が半分混じることを自負し、第2の祖国をこよなく愛する息子が、日本の自然美や、日本文化のリッチさを賞賛した内容になっている。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)