シズラーが「Good JAPAN」第2弾、四国・近畿の近江牛や真鯛等

【銀座新聞ニュース=2024年6月27日】国内の外食業界売上高12位のロイヤルホールディングス(東京本部・世田谷区桜新町1-34-6、03-5707-8800)傘下のロイヤルフードサービス(同)は6月27日から9月1日まで「シズラー東京国際フォーラム店」(千代田区丸の内3-5-1、東京国際フォーラム地下1階、03-3211-2205)など「シズラー」(10店舗)で「Good JAPAN Fair 第2弾 四国・近畿」を開く。

シズラーが6月27日から9月1日まで開いている「四国・近畿」をテーマにした「Good JAPAN Fair(グッドジャパンフェア)」企画の第2弾のフライヤー。

アメリカ・カリフォルニア発祥のサラダバー&グリルレストラン「シズラー」で「Good JAPAN Fair(グッドジャパンフェア)」を2024年3月からはじめており、5月26日までの第1弾で「北海道」をテーマに実施し、今回は9月1日まで第2弾として「四国・近畿」を取り上げ、2.5センチ以上の厚さのサーロイン部位を使用した「近江牛」と宇和海で育った「愛媛県産真鯛」を使ったグリル料理を提供する。

「近江牛のグリル」(サラダバー1人分付で税込1万1000円、2人分1万3530円、3人分1万6060円、4人分1万8590円)はシンプルな調味と直火焼きグリルで提供する。太平洋から黒潮が流れる宇和海で養殖された真鯛を香草パン粉をのせ香ばしく焼き上げた

「愛媛県産真鯛とタコのシーフードプラッター」(サラダバー1人分付で7678円、2人分1万208円、3人分1万2738円、4人分1万5268円)は愛媛県産真鯛の香草パン粉焼きと、柔らかくなるまで煮込んだタコのコンフィのコンビネーションで、魚介のおいしさを味わえる一皿という。

「愛媛県産真鯛の香草パン粉焼き」(サラダバー1人分付で4818円)も宇和の海で育った愛媛県産真鯛に香草パン粉をのせ、オーブンで焼き上げ、グリルレモンを絞って食べる。

「近江牛と愛媛県産真鯛のサーフ&ターフ」(サラダバー1人分付で税込1万6280円、2人分1万8810円、3人分2万1340円、4人分2万3870円)は近江牛と愛媛県真鯛の香草パン粉焼き、タコのコンフィを一度に楽しめる。

専用薬味としては「有馬山椒のタプナード」(有馬山椒とブラックオリーブを合わせたオリジナルタプナードで、実山椒は韓国産)と「シーソルト」(伝統的な平釜製法で作られるまろやかな味の天然の塩)がある。

デリサラダとデザートメニューとしては、7月末頃までは、「鱧(はも)とシュリンプのパスタサラダ」、8月初旬からはクスクスにとうもろこし、ズッキーニ、ピーカンナッツを加え、魚醤風味のドレッシングで仕上げた「とうもろこし・ズッキーニ・ピーカンナッツのクスクスサラダ」、通期ではマンゴープリンに、チアシード入りのライチジュレを合わせたデザート「マンゴープリン ライチ&チアシードのジュレ添え」を用意している。

そのほか、夏限定のハワイアンメニューとして、脱皮したての殻の柔らかい「ソフトシェルシュリンプ」を使用し、殻ごと食べられ、ガーリックライスとグリルパイン・ケールを添えた「Hawaiianガーリックシュリンプ」(サラダバー1人分付で4818円)もある。

「近江牛」生産・流通推進協議会とウイキペディアによると、近江牛は約400年という歴史があり、1590(天正18)年に高山右近(1552-1615)が蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556-1595)と細川忠興(ほそかわ・ただおき、1563-1646)に牛肉を振る舞ったとされる史実が残っている。蒲生氏郷が領地である近江蒲生日野の地で食肉牛を飼育し、食用としての近江牛の普及には蒲生氏郷が貢献したともいわれている。

蒲生氏郷は松坂(現・松阪市)および会津(現・会津市)に封じられ、その際、近江から招き入れた多数の技術者が畜産の発展に寄与し、現在の「松阪牛」や「会津牛」の礎を築いたと考えられる。1586(天正14)年、豊臣秀次(1568-1595)は自らが築いた八幡山城(現・近江八幡市)の山下町(城下町)に住地を設けて牛馬商人を住まわせ、牛馬商に対する保護政策をとったとされる。

また、江戸時代、彦根藩(現在の滋賀県で、近江牛の故郷)は幕府に太鼓を献上しており、その太鼓に使う牛革を確保するため、牛の畜産を営み、その屠殺を許可されていた。このことから、牛肉を食べる文化が発達し、江戸時代後期、「養生薬」の名目で、干し肉に加工された牛肉が彦根藩から将軍家へ献上されたことが2回あった。その他、松平定信(1759-1829)、徳川斉昭(なりあき、1800-1860)などの大名に味噌漬・粕漬などの加工品が贈られたと彦根藩の記録に残っている。

肉禁食の江戸時代(1603年から1868年)にも、彦根藩では味噌漬けにした牛肉を「反本丸(へんぽんがん)」という養生薬として売り出し、江戸の将軍家にも献上していた。彦根藩では、牛肉を乾燥しておいたという記録が残っている(御城使寄合留帳、彦根城博物館所蔵)。

1863(文久3)年ころに来日したイギリスの写真家、フェリックス・ベアト(Felix Beato、1832-1909)が撮影した厚木宿(神奈川県厚木市)の風景写真に「江州 彦根 生製 牛肉漬」との看板 が店に掲げられており、幕末の頃には牛肉が販売されていたことがわかる。また、彦根市史によると、1855(安政2)年、彦根魚屋町の勘治(生没年不詳)が、江戸の神田、両国、日本橋、四ツ谷で彦根牛肉の看板を掲げて開業したと伝えられている。1850年頃(嘉永年間)には、尾張藩領であった蒲生郡内で藩士の指導により、牛の肥育が開始された。

明治期になると、物流網の発展により、近江牛は東京へと輸送された。この時代の近江牛は、すべて「神戸牛」として扱われ、これは当時、近江牛は神戸港を経て東京へ出荷されており、「出荷港=ブランド」という構図があったため、原産地を問わず「神戸牛」として扱われた。

1899(明治22)年7月に東海道本線が開通し、近江八幡駅ができると1890(明治23)年から東京への陸路での直輸送が始まり、「近江牛」の名が使われた。1893(明治26)年に牛疫が蔓延したため、国内の生牛の輸送が禁じられた。そこで、滋賀県下で生産され、現地で屠殺して枝肉となった牛肉が多く市場に出回った。消費者側からみて、それは出荷量が多かったのみならず、ひじょうに美味であったので、生産地が調べられた結果、それが滋賀県近江八幡市の近江八幡駅から出荷された牛肉であることがわかり、それがきっかけで滋賀県が牛の生産において生産量・味ともに優れているとして近江牛の名が知れ渡ることとなった。

1906(明治39)年には、東京上野公園で全国家畜博覧会が開催され、蒲生郡の牛が優等1位となり、1923(大正12)年に関東大震災が発生した際には、全国から東京への貨物輸送が一時禁止されたが、宮内省から天皇御用の近江牛だけは積み出すよう、近江八幡駅長に指示されたといわれている。

1951年に地元の家畜商と東京の卸業者が協力し、近江牛ブランドの確立を目的とする「近江肉牛協会」が発足、1954年に近江肉牛協会が東京で繰り広げた「大宣伝会」では、国会議事堂で生きた近江牛を披露したり、東京日本橋のデパート(白木屋)屋上で競りを市民に公開した。かつては、定義の一つの「滋賀県産」を満たすのに必要な期間の基準がなかったため、県外産の牛を一晩県内に置き、翌日に市場に出しても「近江牛」と呼称できた。しかし、2005年に牛の肥育履歴偽装事件で近江肉牛協会の幹部が逮捕されたのを機に、同年12月に「滋賀県産」とみなす基準を含めた近江牛の定義が決められた。

2007年5月11日に地域団体商標に登録され、同年に近江牛の生産者や流通事業者により、「近江牛」生産・流通推進協議会が設立された。2010年、滋賀食肉センターを通じた近江牛の輸出が開始された。2017年12月15日には地理的表示法(特定農林水産物等の名称の保護に関する法律)に基づく地理的表示(GI)に登録された。今では「近江牛」としてのブランドが定着、現在では滋賀県内の約80カ所の牧場で「近江牛」が肥育されている。

「Good JAPAN Fair」の第3弾は9月19日から11月13日まで「北陸・東北」、第4弾は12月12日から2025年2月12日まで「九州」を予定している。

ウイキペディアによると、シズラー(Sizzler)は1958年にデル・ジョンソン(Delmar Johnson、1914-1992)と妻のヘレン(Helen Johnson)が「手作りとできたてのおいしさでお客様をおもてなししたい」という願いからカリフォルニア州カルバーシティに「デルズ・シズラー・ファミリー・ステーク・ハウス(Del’s Sizzler Family Steak House)」を創業したのがはじまりで、1966年にシズラー事業を後にアメリカ西海岸最大のファストフードフランチャイザーとなるジム・コリンズ(Jim Collinz)に売却した。

その後、アメリカ西部を中心とする全米をはじめ世界に広がり、アメリカで200店以上、日本、オーストラリア、タイ、中国、シンガポール、プエルトリコを含め350店舗近くを展開している。 ただ、韓国からは2012年に撤退している。また、2020年9月に新型コロナによる売り上げ激減でアメリカのシズラーは連邦倒産法第11章の適用を申請し、2020年11月にはオーストラリアで展開する「シズラー」9店舗(運営はコリンズフーズ社)と中国事業を閉店した。

日本では1991年に「シズラー新宿三井ビル店」を開店し、10店舗を展開していた。1990年代にはロイヤルホールディングスの設立によるロイヤルの持株会社制への移行後は、「ロイヤルキャフェテリア」などロイヤルホスト以外のレストトラン運営を担うロイヤルカジュアルダイニングが運営、2010年にはアールアンドケーフードサービス(1898年にロイヤルとキリンビールの折半出資で設立、2005年にキリン側から一部の株式を譲渡され、2020年にロイヤルがキリンの残りの株式も取得して完全子会社化し、2021年1月1日付けでロイヤルホスト・テンコーポレーションと合併し、合併後「ロイヤルフードサービス」に商号変更)が運営し、現在はロイヤルフードサービスが運営している。

営業時間は店舗に確認を。また、東京国際フォーラム店は7月7日から8月16日まで施設改修工事のため休業する。