(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2024年5月24日】4月2日から25日までインド在住の息子(現地で人気のRapper Big Deal=ラッパービッグ・ディール)が来日していた。4月2日に関西国際空港に到着、大阪、広島、岡山・倉敷、金沢、福井、新潟・佐渡、富山(五箇山)と巡り、この間、私の故郷・福井(息子の本籍地でもある)では4件の取材もこなす過密スケジュール、公私共に充実した3週間だった。
息子同伴の旅でひときわ印象に残ったのはなんと言っても、広島だ。世界唯一の被爆国日本のヒロシマということで、息子にも強く勧めて実現した旅だったが、過去の悲劇が嘘のように美しい街だった。
とはいえ、剥き出しの残骸、黒焦げの原爆ドーム(元広島県産業奨励館)を目の当たりにしたときはさすがに衝撃を受け、胸が詰まった。近くを流れる桜並木に彩られた清らかな川(元安川)も、原爆投下後の79年前(1945年8月6日)は、累々と死体で埋まったと思うと、込み上げるものを抑え切れなかった。黙祷する慰霊碑の前には、喉の乾きに苦しみながら息絶えていった犠牲者(推定14万人)への捧げ物として、水のボトルが何本も置かれていた(末尾の注1参照)。
凄惨な歴史と裏腹に、今の広島は平和で美しく、緑豊かで川の流れる街並みの美観が予想外で打たれたが、過去の悲劇を思えばこそ、なおさら光り輝いて見えたのかもしれない。
日本の国花に長年焦がれながら、これまで一度も目にする機会に恵まれなかった息子は4度目の来日で念願叶い、サクラ洗礼、どこに行ってもピンクの花花の大歓迎を受けた。特にフェリーで渡った宮島の厳島神社(広島市廿日市、1996年にユネスコ世界文化遺産)は、海上に立つ高さ16メートルの丹塗りの大鳥居の威容と相まって、満開の緋桜がひとしお壮麗で、感激したようだった。
仕事面では、4月3日、大阪梅田のネバフ食堂で経営者でもある日本初のラップバンド・韻シスト(1998年結成)との即興コラボが叶い、好物の日本酒を仲立ちにラップ論議に花が咲いた(末尾の注2参照)。
広島、岡山(3大名園のひとつ・後楽園や倉敷美観地区)を巡り、7日に我が在住地金沢に入り、金沢城の満開の桜を愛でた後、富士通金沢支店で派遣勤務中のインド女性と面談、将来富士通のブランドアンバサダーになる可能性も探った(既にアメリカ・ペプシコのインド支社や、日本のスズキのインド子会社マルチ・スズキ・インディアのブランドアンバサダーを務めている)。
8日は市内観光後、金沢在住の長弟夫婦と「西洋膳所あおやま」(金沢市古府)で本格フレンチの会食、高級シャンパンのフルートグラス手にフルコースを満喫、お土産に手作りケーキまで頂いた。
9日に福井に出て、次弟の経営する同族会社(福井モータース=亡父が1951年創立)を訪ねたあと、叔父も含めランチ会食、「和びさびTONYA」(和食居酒屋・問屋町)の牡蠣(カキ)尽くし定食は美味だった。牡蠣はお好み焼きとともに、名産地広島でも頂いたが、日本海若狭産の地元の牡蠣も生、フライともおいしくて感激した。
食後は、最大地元紙・福井新聞本社(大和田)まで車で送ってもらい、インタビューを受けた(以下、4月21日の福井新聞に掲載された記事は、Yahooニュースにも転載された)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df6f3a66db119bfc83352e1ebc367337ce250345
次に福井のタウン誌、月刊ウララの取材を駅前の新栄商店街のギャラリー(長坂真護作品展示)でこなし、夜は片町のバー(American Bar Star)で福井No.1のラッパー、MC小法師(こぼうし)さんと初顔合わせ、当日夜のバスで東京に向かった。
10日は九段下のインド大使館に出向き、シビ・ジョージ(Sibi George)大使と面談、日印交流プログラムにアーティストの1人として招聘されることになった。帰途、半分散りかけた千鳥ケ淵の桜も見学、まだ見頃の花もあり、思いがけず大都会の桜を満喫できた。
12日は渋谷の道玄坂のクラブで異色の日本人ラッパー、ダースレイダー(Darthreider、1998年から活動)さんのライブショーにゲスト出演、初めて日本の観客にラップを披露した。出演後の帰途、日本女性が2人駆け寄ってきて、サインを求めるひと幕もあった。インドで人気のRapper Big Dealのパフォーマンスになにがしかのインパクトを受けたようだった。
13日は息子のガールフレンド、ケリー(Kheli)が来日、成田まで迎えに行った。ドバイ在住でエミレーツ航空のCAを務めるケリーは仕事で3度来日歴があり、海外渡航は慣れたもの。今回は息子の動画撮影役も買って出た。あいにく土曜でホテル探しに大変苦労したが、結局中国人経営の民泊、日暮里にあるカームホテルに泊まる羽目に。しかし、異例の22時チェックインで、日暮里駅近くの「鳥貴族」でケリーの歓迎会も兼ねて時間つぶしした。
1泊1万2500円と、この旅中最高値だった同ホテルは、部屋はまあまあながら、翌朝10時のチェックアウト前に催促の電話が何度もかかってきて急かされ、荷物も出発まで預かってもらえず、サービスは最悪だった。
東京最終日の14日は阿佐ヶ谷のスタジオで、ダースレイダーさん並びに、仙台から来たラッパー、ハンガー(Hunger)さんも含めてセッション、その後渋谷や秋葉原を訪ねた。
15日に金沢に戻り、市内観光後、17日から20日までカップルは新潟・佐渡へ旅立った。20日夜に戻ってきて長弟夫婦と寿司会食(金沢駅前の「長八」)、21日は五箇山に日帰り旅行(高速バスで金沢駅から片道1時間)、世界遺産の合掌作り集落(相倉・菅沼)を見学し、22日に再度福井に向かった。
福井モータースにトランクを預けたあと、日刊県民福井のインタビューを受け、午後は福井テレビの撮影取材。駅西口広場の恐竜や福井城址の、お濠にかかる御廊下橋(木橋に壁や屋根を設け防備したもの)での撮影後、テレビ局の車で東尋坊まで遠出、動画撮影風景を、同社のカメラマンが納めた。
その後、夜の親族との会食(「寿司吉」=花月町)においても、福井の銘酒「黒龍」や「梵」を愛飲しながら蟹や焼きがれい、刺身並びに握りに箸を持つ手も鮮やかに舌鼓を打つ息子の姿に、カメラが入った。
当夜は、我が叔父宅(帆谷町)に1泊させてもらったが、築150年の伝統保存地区並みの由緒ある旧家に息子たちは大感激。翌朝、地産のたけのこ尽くしの美味な朝食を振る舞われたあと、丹精された日本庭園を巡り、叔父の車で朝倉氏遺跡へ。
昼は駅前のミニエ(末尾の注3参照)で福井名物おろし蕎麦に舌鼓を打ち、福井テレビ本社(問屋町)まで送ってもらい、重役方と面談。10月の同社の55周年記念番組の一環として、「Fukui Love」(末尾の注4参照)の動画撮影のオファーがあった。その後、ニュース番組に紹介したいとのことで、英語の堪能な女性記者がインタビュー(https://www.fukui-tv.co.jp/?post_type=fukui_news&p=175774)、滞りなくすべての取材スケジュールを済ませた。
ひと足先に養浩館庭園(福井駅から徒歩10分)を見学していたケリーに合流、知る人ぞ知るのビルの谷間のオアシスで、鯉の跳ねる池を前に静かな書院造り座敷でくつろいだ。夜は次弟の奢りで、駅ビルに入っている「八兆屋」でソースカツ丼におでん、へしこ(鯖の塩・ぬか漬けの干物)を肴に、霊山白山の懐に抱かれた奥越前勝山の地酒・一本義の青竹冷酒も試飲、竹筒から注ぐ乙な地酒に酔い痴れ、夜は次弟宅(丸岡市)に寄宿した。
24日お昼前大阪行きの高速バスに乗り込み、2人は福井を後にした。当日夜は名古屋から駆けつけた熱烈な日本人ファン第1号Patsu(パツ)さん(末尾の注5参照)と日本最後のディナー、翌朝息子はムンバイ行きの便で単身帰印した(ケリーは夕刻のドバイ行き別便で帰国)。
〇筆者注
1.息子にヒロシマの被爆者のことを説明していて、水をあげたらすぐ死ぬからあげられないことについてなぜと尋ねられ、とっさに答えられなかった私だが、後でネットで調べて、犠牲者は被曝のショックで体がぎりぎり極限の崩壊寸前、水を与えると、ほっと安心して気が緩むため、一気に死に至るということだったらしい。
2.日本人アーティストたちとの橋渡しをしてくれたのは、有名なブロガー、Kosuke(コースケ)さん。アジアのヒップホップに詳しいプロの音楽評論家顔負けのラップ論を展開、Rapper Big Dealの定評ある作詞についても、少年期の外見が違うことから来る差別のトラウマが創作の原動力と、鋭く解析する。
https://achhaindia.blog.jp/archives/7626380.html
3.新幹線開通に伴い、福井駅西口の再開発エリア(フクマチブロック)に複合ビルが建設中だが、「コートヤード・バイ・マリオット福井」(地上28階、地下1階252室)が3月15日オープンした翌日、1階のフードホール(MINIE、贈り物を意味する古語御贄=みにえに由来)も開設。ミニエは、クラフトビール醸造所併設の店舗や地元食材を扱うマーケット、地場産業製品の店、一般投票で選ばれた地元グルメが週替わりで出店(約30店)と、平日でも盛況、賑わっていた。
4.2017年にRapper Big Dealがリリースした福井に捧げるラップ動画(https://youtu.be/nZfqwodAGdY?si=9q1JHzHD5KpRUUf9)を、2024年3月16日新幹線開通に併せて1部作詞を変えて、曲は全面刷新した。以下は福井新聞本社にてアカペラで披露した新Fukui Love(https://youtu.be/KFcx8DTcTBg?si=K1OY7w8CvJl7wNNS)。
5.Patsuさんは、名古屋市で純オディシャ料理店Patsuを経営、スパイス控えめ、マイルドな東インド・オディシャ州の家庭料理を昼食時だけ提供、通の間で密かな人気を呼んでおり、オディシャ州出身者も訪れる。お客のひとりから、Rapper Big Dealについて知らされ、以来大ファンに。店内のBGMは、ディールのラップ1色。自らもバンドを組む音楽愛好家で、いつか店内ステージでディールにパフォーマンスを披露いただきたいとの夢を抱く。https://g.co/kgs/XKSjpDc
息子滞日中は、親族のみならず、私の中学時代の元級友、海外経験豊富でインドにも長期出張歴のあSや、飯田橋で海外駐在員向けのサービス業を営むF、東京の出版社時代の元同僚Tにも、お世話になったことを、この文面を借りて御礼させていただく。このほか、2020年動画撮影していただくはずがコロナ禍でキャンセルを余儀なくされた主宰者、株式会社ダンビ代表のムンさん並びに牧野さんにもお世話になりましたことを、ここに篤く御礼申し上げます。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)