初日の出拝むも日印で水際対策逆戻りに懸念、義妹2月に渡印(117)

(著者がインドから帰国したので、タイトルを「インドからの帰国記」としています。連載の回数はそのまま継続しています)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年1月13日】慌ただしい年の瀬を過ぎて、どうやら無事、母国での新年を迎えた。大歳も街中に出かけたが、元旦も早朝から近くの犀川の初日の出を拝みに出、午後は雨中初詣に行った。

マンションから徒歩7分の犀川緑地に早朝7時に出て、運よく雨の晴れ間の雲を割って覗いた初日の出を拝めた。今年も、いいことありそうだ。

クリスマス寒波による大雪はあらかた溶けたが、雨続きの悪天で2023年最初の太陽が拝めるか、危ぶんでいたのだが、ラッキーにも束の間の晴れ間に雲を割って曙光が覗き、感激した。これで3年連続いい初日の出を拝ませてもらったことになる。

特に昨年、インド在住時のベンガル湾の新太陽は神々しく、感激もひとしおで、何かいいことがありそうな気がしたら、新年早々当居住州オディシャ(Odisha)から車で1時間30分ほどのところにあるバードサンクチュアリ(マンガラジョディ=Mangalajodi)に見学に行けた。

長い隔離生活にあって、2年ぶりの外出、プチツアーで、湿原にたくさんの水鳥が群れ遊ぶ壮観をウォッチングできた。パープルヘロン、ムラサキサギの壮麗さは今もまぶたに焼き付いている(詳細は以下のインド旅ルポをどうぞ、https://ginzanews.net/?page_id=57834)。

幸先いいスタートを切った2022年、オミクロン流行で危ぶまれる中、2月に在インド日本大使館(わが居住地プリー=Puri=の管轄は在コルコタ=Kolkata=日本総領事館)から、全土の在留邦人向けの在宅抗原検査の無料サービス提供の吉報が舞い込み、春に帰国を予定しながら、日本フォーマットの陰性証明をどうやって取ろうかと頭を悩ませていた私だけに、渡りに船、これを逃したら、もう帰国のチャンスはないと飛びついたものである。そして、2022年3月11日に晴れて成田着、奇跡の帰国を果たしたのだった。

金沢市野町にある、樹齢千年の豪壮なけやき神木で有名な神明宮に初詣。穴場の神社で、混雑して参拝不可だった尾山町の尾山神社(加賀藩主前田利家が祀られる)に比べ、人が少なく悠々お参りできた。

以来10カ月近くが過ぎ、コロナ禍で最期の対面も、葬儀参列も叶わなかった母の1周忌や遺産協議をつつがなく済ませ、母国で移住以降3度目の年明けを迎えることになった。今は、日本政府の水際対策全面撤廃を待ちわびている現状だが、ここに来て、日印共に、中国の感染急拡大を受けて、せっかく緩和に動き出していた政策を撤回、日本政府は中国(香港、マカオを除く)からの渡航者全員に72時間陰性証明提示かつ、空港検査(1月8日から。1月12日からマカオも含む)、インド政府(保健省)に至っては、中国、シンガポール、韓国、日本、香港、タイからの渡航者全員に72時間前陰性証明並びに自己申告書をデリー(Delhi)空港ホームページ経由で提出(1月1日から)、昨年12月24日より出発地を問わずアトランダムに2%の全国際線旅客にPCRテストを義務付けた。

モディ(Narendra Damodardas Modi)首相は、中国の感染爆発に警戒感を示しており、テスト数の増強を指示した(1月6日現在インド全土の新規感染者数228人ー週平均166人、現時点までの陽性者総数2503人)。

日印のみならず、各国とも規制強化に乗り出しており、そろそろ帰印どきかと、時機を窺っていた私には、あまりいいニュースとはいえず、春の全面撤廃に期待していた出鼻をくじかれた感じだ。

というわけで、私自身は待機体勢で、絶好のタイミングが天から降ってくるのを待っているが、義妹が金沢大学の文化交流プログラムで2月18日から3月2日まで渡印することになった。

2012年12月3日、東インド・オディシャ州プリーにて、我が弟の現地結婚式(ヒンドゥー式)が華麗に執り行われた。向かって右が現地婚礼衣装、緋色のサリーに着飾った義妹。和服愛好家の義妹は、着物文化を世界に広める活動も。そのための起業もプラン中だ。

2月23日から28日まで南部カルナータカ州(Karnataka)に滞在予定で、息子が音楽活動の拠点とする州都バンガロール(Bengaluru)にも寄るので、今日本の叔母とインド在住の甥(わが息子)が5年ぶりの再会を果たせるように、日程を調節中だ。

双方共にスケジュールがあって、互いの空き時間をすり合わせるのが大変だが、義妹の方が28日は自由行動なので、まずは息子に当日は仕事を入れず、空けておくようにと伝えた。

ちなみに、義妹は2012年に渡印歴があり、わが居住地プリーで弟と現地結婚式を挙げ、日本から総勢14人の縁者の列席があったのである。インドのことを気に入って頂きながらも、その後再訪の機会がなく、あれから10年もの歳月が流れてしまったわけで、金沢大学の博士過程に挑戦中の義妹にとっては、大学が提供する交流プログラムは、願ってもないチャンスだ。

インド入国にあたっては、72時間前陰性証明が必要だが、義妹は3回ワクチン接種者なので、母国への再入国にあたっては、フリーパス、未接種の当方のように、現地で日本フォーマットの陰性証明をどうやって取ろうかと、帰国前頭を悩ませる必要はない。海外を行き来する便宜上、未接種者は不利だが、かといって、そのためにだけ打つというのも今さらで、未接種であることに悔いない当方としては、辛抱強く全面撤廃を待つしかない。

私より一足先に渡印する義妹には、息子へのお土産としてユニクロやH&Mで新規購入予定の衣類を手渡してもらうつもりだ。

インドで活躍する人気ラッパーのため、衣装持ちだが、ステージ用にいくらあっても困るということはないだろう。ジャパニーズサケが大好物なので、渡航便が直行なら、義妹に免税店で日本酒を土産に買ってくれるよう依頼するつもりである。

息子は現在、超多忙、1月13日からオディシャ州都ブバネシュワール(Bhubaneswar)と鉄鋼都市ラウケラ(Rourkela)で開催される「ホッケーワールドカップ」の開会式のパフォーマーとして、州政府後援の宣伝動画もYouTubeで公開中、大好評を博している(https://youtu.be/Q4JRJMcCWwY)。

コロナ明けで昨年は超多忙だった息子は、インドで人気のラッパー、Rapper Big Deal。2023年早々、地元の東インド・オディシャ州都で開催されるホッケーワールドカップのアンバサダーに抜擢された。

〇書評/「無人島の二人」(山本文緒、新潮社刊、2022年)

金沢市の繁華街・香林坊の109の地階に入っている「うつのみや書店」で、2021年10月に58歳で急逝した直木賞作家・山本文緒(1962-2021)の死を前にして綴られた日記、「無人島の二人ー120日以上生きなくちゃ日記」を読んだ。

結論から言うと、本人も文中に書いているように、こんなものが読者の鑑賞に耐えうるのかとの疑念通り、内容的にはまったくどうってことのない、すかすかの瀕死日記でがっかりさせられるが(死者を鞭打つつもりは毛頭ないが)、極限状況にある著者が、甚だしい動揺と混乱の中に書いて、あえて発表を意図したということに価値があるのだろう。

膵臓ガンで余命120日と告知された作家は、スマホやパソコンを見ると、めまいがするという病床下にあって、元編集者の夫(再婚)が調べてくれた口述によるテキスト化を試みる。

そして、死後1年余に出版の運びとなった単行本が、同著なのである。「無人島の二人」とは、死を告知された妻である作家とその夫が、コロナ禍も加わって、激浪に無人島へ押し流されてしまった非日常性を言い得ている。

作家の闘病記は数あれど、死を前にした当事者が渦中日記を書いて、死後に遺そうと発表を意図するのは余程、強靭な精神でないとできない。闘病記では、なかにし礼(1938-2020)のものが緻密な治療経過や患者本人の心理状態などダントツに面白いが、中身が充実しているのは、食道ガンから奇跡の生還を果たし、しばらく経った精神的に余裕がある状態で書き下ろしたものだからで、死を前にした山本文緒に同じ充実を期待するのは酷というものだろう。むしろ、そんな極限状態にあって、あえて書いた姿勢が感動を呼ぶのだろう。中身薄だが、行間に作者の苦悩が見え隠れする。

作家としては、ジュニア小説から始まって(1987年)、アダルトに転向、直木賞を受賞(2001年)したのだから、そこそこ成功した口で、軽井沢に居も構えられた、夫とは別居婚だったが、包容力があり、作品面でも最後まで支えてくれた、だからといって悪くない人生だったと割り切れるものでもない、それが文中の神へのボケとの毒づきに表れている。

林真理子はじめ、村山由佳や角田光代など、同業の直木賞女性作家仲間が絶賛(やや過大評価じゃないかと思うくらいに)、同著ばかりでなく、中央公論文芸賞並びに島清恋愛文学賞を受賞した長編小説「自転しながら公転する」(新潮社、2020年)もベタ褒め、私自身はあまり評価しないが、ここまで通俗なことを事細かに書けるのも、作家力ということなのかもしれない、私にはとてもできない力業と感服したことだった。

編集注:ホッケー・ワールドカップ(Hockey World Cup)は、国際ホッケー連盟(International Hockey Federation、略称・FIH)が主催するフィールドホッケーの国際大会で、男子が2023年1月13日から29日までインドのブバネシュワールの「カリンガ スタジアム」と、ルールケラ(Rourkela)の「ビルサ ムンダ インターナショナル ホッケー スタジアム」で開かれる。

出場するのは、インド、ベルギー、イングランド、ドイツ、オランダ、スペイン、フランス、ウェールズ、南アフリカ、アルゼンチン、チリ、日本(4大会、16年ぶりの出場)、マレーシア、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの16カ国。

予選はグループAがオーストラリア、アルゼンチン、フランス、南アフリカ、グループBがベルギー、ドイツ、韓国、日本、グループCがオランダ、ニュージーランド、マレーシア、チリ、グループDがインド、イングランド、スペイン、ウェールズ。

1チーム18人の選手で構成され、試合に出場するのは11人。グループBの日本は1月14日19時からドイツ、17日17時から韓国、20日17時からベルギーと試合をし、予選の各グループ1位が順々決勝に進み、各グループの2位と3位がほかのグループの2位、3位と準々決勝進出決定戦に進出し、勝利すると、準々決勝で各グループの1位と戦う。

グループBの日本は予選2位の場合は、23日22時30分からグループAの予選3位(28)と、予選3位の場合は23日20時からグループAの予選2位(27)と戦う。ここで勝つと準々決勝に進み、予選2位で23日のグループAの予選3位に勝つと25日22時30分からグループDの予選1位と戦う(32)。予選3位でグループAの予選2位に勝つと、25日20時からグループCの予選1位と戦う(31)。

ホッケー・ワールドカップは男子大会は1971年、女子大会は1974年にそれぞれ第1回が開催され、1986年以降、男女同年開催及び4年に1度オリンピック中間年の開催となる。2014年のオランダ・デン・ハーグ大会は史上初の男女同時開催となり、女子が2022年に開かれた。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」と日本での「生活記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年1月12日現在、世界の感染者数は6億6562万0649人、死亡者数が671万4431人、回復者は未公表。インドは感染者数が4468万1807人、死亡者数が53万0723人、回復者が未公表で、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0151万1946人、死亡者数が109万8512人(回復者は未公表)、日本は感染者数が3103万2204人、死亡者数が6万1281人、回復者が2127万8415人(ダイヤモンド・プリンセス号を含む)。インドの州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。編集注は筆者と関係ありません)