ライブラリー夜話 桃源郷の罠

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2023年1月31日】イジュンは、雪に覆われた合掌造り民家の里に降り立って、そのファンタジックな素晴らしさに魅了された。韓国のソウル産まれのイジュンは子供の頃から日本に憧れていて、大学卒業と同時に渡日予定だったが、世界を襲った疫病流行で夢を断たれ、たっぷり2年以上待たされた挙句、ようやく憧れの地へと飛び立つ再機が訪れたのである。

日本の首都・東京から新幹線で石川県金沢市に入り、1泊後、この旅のハイライトでもあった世界遺産の白川郷に向かったのだった。都会よりも田舎の自然美を愛するイジュンだけに、この雪に覆われた山間(やまあい)に散在する合掌造りの民家の佇まいは、童話の中の世界のように幻想的で、寒さも気にならぬほど茅葺きの三角屋根の素朴で美しい家々が散らばる一帯をわくわくと巡り、展望台から下界を見下ろしたときは、絵本から抜け出したかのような幻想的な光景に感嘆の息が漏れた。

雪が小道具として素朴な村家の美しさをひときわ際立たせ、白い谷間に貼りつくモザイクのように散在する幽玄境に、写真を撮る間も惜しく、時を忘れて、ただ見惚れた。

博物館として開放されている合掌造り民家のいくつかを巡ったあと、雪解けの清流が美しい川に掛かった吊り橋を伝い、向こう岸に渡った。高所恐怖症のイジュンは細い吊り橋を見たとき、一瞬足がすくんだが、床が頑丈なコンクリートで固められていたので、まぁ大丈夫だろうと足を進めた。

一瞬戻れなくなったらどうしようとの懸念もよぎったが、橋の向こうにもあるらしい合掌造りの家群を見学したかったし、15時10分の帰りのバスまでにはまだ時間があった。

足下に流れる急流を見ないようにし、前だけ見てずんずん渡り切った。彼岸に着いたとき、ほっとした。バスターミナルにあった地図を持参していたが、確かめると、左手に進めば合掌造りの家が何軒か固まっているようだ。

イジュンは雪道を冬用のスニーカーで黙々と歩いた。時折固まった雪に足を取られそうになりながら、寒さも疲れもものともせず、目的地をめざした。が、急勾配の切妻の茅葺き屋根はいっこうに見えて来ない。

道を間違ったかと、ダウンのポケットに押し込んだくしゃくしゃの地図を取り出し、確認した。周りに三々五々いたツーリストの姿はいつのまにか、1人もいなくなっている。おかしいなと首を傾げ、遥か来た道を振り返り、引き返そうかと弱気になった。今戻れば、橋の袂まで行って、またあちら側に帰り、4時間近い行程を終えて、暖房の効いたターミナルで暖まりながら、時間までバスを待てばいい。

そのとき、目前に茅葺きの一軒家が見えてきた。さすがに歩き疲れてくたくただったイジュンは、あそこで道を尋ねがてら少し休ませてもらおうと思った。合掌造りの民家は雪の下では大同小異、外国人のイジュンには大して違いはなく、どれも同じに見えたし、やまあいの里を巡っているうちに迷路に紛れ込んだかのような方向感覚の狂いが生じていた。

雪のまやかしもあったかもしれない。純白の世界は、ただでさえ方角音痴に加担する。悪いことに、雪がちらつき始めていた。木戸を開け、にわか仕込みの日本語で、
「コンニチハー」
と屋内に声をかけた。しばらくして現れたのは、赤いキモノを着たおかっぱ髪の童女だった。

身振り手振りでここで雪が止むまでしばらく休ませてくれないかと頼むと、女の子は駆け足で引っ込んで、丸いお盆に何やら湯気の立つ飲み物を手に、戻ってきた。白く濁った飲み物は発酵した甘酒で、長いこと外を歩いてすっかり冷え切った体にじいんと染み渡り、胃の腑を温めてくれた。

この家に、大人はいないのだろうか。ほろ酔い加減のいい気分で思った。また、女の子が現れて、もう一杯甘酒を供した。手に毛織の敷物を持っており、敷けというように手渡してくれ、さらに引っ込むと、小さな火鉢を手に戻ってきた。

人心地ついて、時計を見ると、14時を過ぎていた。そろそろ暇を告げねばならない。財布を取り出し、片言の日本語で、
「イクラデスカ」
と訊くと、女の子は首を横に振るばかりだ。千円札を1枚取り出して、無理に握らせようとしたが、女の子は頑として受け取らない。しょうがないので、アリガトウとお礼を言って、ガラス戸を引き開けたところ、少し開けた隙間からビューっと吹雪が吹き込んだ。家の外は、先程までと打って変わって猛吹雪が荒れ狂い、視界は真っ白で、とても歩いて帰れるような環境でなかった。

慌てて閉め戻した戸がカタカタ鳴って、女の子は土間に降りると、つっかえ棒で錠をした。そして、イジュンを中に導き入れた。藁茣蓙(わらござ)が敷かれたいろりのある居間で、イジュンは山菜尽くしの昼食を振る舞われた。素朴な田舎料理だが、熱い地酒も振る舞われ、うまかった。

食事の後、屋根裏にいざなわれたが、年季の入った黒光りの柱が縄で結えられた組みや、太い桁が渡された天井に圧倒された。博物館として開放された家をしばらく前に見学したとき、屋根裏で蚕が飼われていたとの説明を受けたが、この上にも小部屋があり、二層になっているようだった。

茣蓙敷の部屋の隅には既に、布団が敷かれていた。イジュンは長時間歩き続けた疲労と、酒の回りから横になり、しばらく休憩するつもりが、そのまま泥のように眠りこけていた。

目覚めて時計を見ると、19時を過ぎていた。隅のちゃぶ台の上にお茶と干し柿の盆が乗っていた。イジュンはひとつ口に入れ、冷えた茶で流し込んだ。梯段をぎしぎしと踏み締めて下にに降りたが、いろり端に女の子の姿は見当たらなかった。

鈎(かぎ)つるから垂れ下がった鉄瓶のお湯が噴き上げ、壁に架かったしなびた干し柿からは甘い匂いが漂っていた。博物館で説明を受けたが、熟した柿の実を天日干ししたもので、天然のドライフルーツた。

イジュンは既に部屋にあったものを味見しており、甘ったるい熟柿のおいしさに、冬の保存食としてのおやつとしては最高だと感嘆した。家の前の柿の木は熟れきって、いくつもの実が落ちて、雪面を橙に彩っていたことも思い出した。

イジュンは熱い風呂に入りたかった。家内を人の姿を求めて探し回ったが、誰にも会わなかった。女の子はこんな猛吹雪の中、どこに行ったのだろうと訝(いぶか)しんだ。それに母親らしき姿が見当たらないのも不思議だ。

一家の主人はどこだ?三層構造になった古い民家をうろつくうちに、ついに風呂場を探し当てた。薪で焚いた釜ぶろで、まるでイジュンのために用意されたかのように湯加減もちょうどよく、脱ぎ場に丹前まで用意されていた。入浴許可を求めようにも、誰もおらず、イジュンは少し後ろめたい気持ちながら、衣服を脱いで湯船に浸かった。寒さに強ばった体の疲労が温まりに溶けていくようだった。

湯上りの体に丹前をまとい、屋根裏部屋に戻った。すると、隅のちゃぶ台に夕食の膳の支度が整えられ、鍋から湯気が上がっていた。お銚子も2本ついてる。イジュンが好物の日本酒だ。山菜鍋に舌鼓を打ちながら、濃厚な地酒の盃を傾け、しみじみと幸福感に浸った。吹雪になって幸いだったかしれない。

これで、女がいれば、なおさらいうことはないんだがなと、イジュンはないものねだり、贅沢な悩みに苦笑した。こんな山深い民家に、麗しの女人がいるはずもない。日本の古い家には、座敷わらじという子どもの妖怪が住んでいるそうだが、あの童女はまさにそんな感じだった。まったく、どこへ行ったのだろう。

いずれにしろ、明日には吹雪も止むだろう。そしたら、万札を1枚置いて、ここを出るとしよう。

イジュンはその夜、ぐっすり眠った。目覚めて、さぁ出発だと気持ちが逸ったが、壁の高いところに穿たれた細長い格子窓を打ち付ける吹雪の音に出鼻をくじかれた。とても、出られるような天気でなかった。腹がグーと鳴った。朝食の支度をしてくれそうな者はいないしと、とりあえず所在なげに階下のいろり端に行くと、ご飯と味噌汁、のり、卵焼き、漬け物の膳がしつらえられており、イジュンは驚喜して飯をかき込んだ。

そのようにして、人の気配のない合掌造りの民家で、いつのまにか魔法のようにしつらえられた食膳や風呂の恩恵にあずかり、1週間が過ぎた。7日(なのか)経っても、悪天は止まず、雪深い奥地の一軒家での降って湧いたような暮らしに飽きが兆した頃、嘘のように美しい女人が現れた。先の童女の面影を宿していたが、体は成長しており、ピチピチはち切れんばかりの娘盛りで、キモノの襟元から白くたわわな乳房がこぼれんばかりに覗いている。

豊満な美少女は毎夜、イジュンの布団に忍び込み、甘い蜜のような夜の分かちあいは三日三晩続いた。イジュンは腰が立たないほど、若女との睦みあいに耽溺し、官能を貪り尽くした。気怠さが隅々まで名残り、さすがに飽食した気分で目覚めた4日目、女の姿はどこへとも知れず、消えていた。

吹雪はやっと止んだが、イジュンはもうここを出る気にはなれなかった。あまりに居心地よすぎて、望むものが魔法のように目の前に現れる天国紛いの至福さに、もう動く気がしなかった。こんなに快適なのに、何を好き好んで外の嵐の世界に出て行けよう。ここにいれば、煩わしさや面倒は一切ない。生活のためにお金を稼ぐ必要もない。

恋人だって探す必要はない。結婚も仕事も煩わしかった。ただ自分の欲望のまにまに気ままに生きられる。この暮らしと引き換えに、国に戻り、またあくせく働くなんて、考えただけで真っ平だった。ここは、桃源郷だった。根源の欲望が魔法のように満たされる……。

そして、一体、何年の月日が過ぎたのだろう。女はそのときどきに現れたが、少しずつ歳を取っていった。童女から10代のピチピチの少女、20代の若さの盛りの娘、30代の若さが影を潜めた分、成熟のほの見える美女、40代の脂が乗った熟れた肉体美の女、50代、60代、そしてしわくちゃの老婆にさらぼえるまで、同時にイジュンも歳をとり、ついにはよぼよぼの杖付き老爺に変わり果てた。

イジュンは何故、自分が永遠の若さを所望しなかったかと、悔いた。そのときどきの欲望に溺れて、不老長寿をいの一番に希求することをすっかり忘れていた。人生最大の過失、だった。

思い切って木戸を開けて、外に出てみた。杖をつきながら雪道をよろよろとたどった。そして、やっと橋のたもとに辿り着いた。この橋を渡れば、今一度向こうの世界に戻れる、自分の居場所が果たして、まだあるかどうかはわからない。国が待っててくれるかどうかもわからない。

向こうからこちらに渡るとき、戻れなくなるのではないかと恐れた、若き日の自分をくっきりと思い出した。不吉な予感は当たったわけだ。

何くそ、そんなことがあってたまるものか、イジュンは足を1歩踏み出した。体がぐらぐら揺れてめまいがした。もう1歩踏み出した。そうして1歩ずつ進み、橋の中ほどまで来た。あちらの世界のざわめきが耳元にかすかに忍び込んでくる。懐かしい人の世界の賑わい。

そのとき、向こうの世界から来た若いツーリストが傍らを掠め、バランスを崩したイジュンは欄干にもたれるまま、軽く衰弱した肉の器はひらりと飛び越えて、真っ逆さまに雪解けの激流へと呑まれていった。杖が主人の後を追いかけるように、からからと空中を転げ回り、急降下して激流に当たり、主人同様跡形も見えなくなった。

その後を、何事もなかったかのように、ひっきりなしに旅行者が渡って行った。橋の向こうとこちらを日常的に行き来する人波は途絶えなかった。世界遺産、白川郷にはいつも同様、たくさんの観光客が群れていた。その中には、イジュン同様韓国からやってきた旅行者も多数いた(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)。